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アール・ベリー (アメリカ)
【 1959 ~ 2008 】



アール・ウェスリー・ベリー (1959年5月5日生) は、1979年から1981年の間、窃盗や偽証、強盗や脱獄、暴行等の罪を犯し、有罪判決が下された。

刑務所でベリーはカミソリの刃を飲み込んだりした為、狂った青年だと思われ、精神分裂症と診断された。

また、IQも平均を大きく下回っていた。


1987年11月29日、毎週末、教会で聖歌隊の練習をしていたメアリー・バウンズ (56歳♀) が行方不明となる。

数日後、ミシシッピ州チカソー郡ヒューストン (テキサス州ヒューストンとは別の町) でバウンズの車が発見される。

車両を調べると、運転席のドアの周りに血が飛び散っているのがわかった。

そして、周囲を捜索すると、車両近くの道路でバウンズの遺体が発見される。

バウンズの遺体は全身何度も酷く殴られており、腕に撃たれた跡があった。

また、死因は頭部外傷である事がわかった。


同年12月5日、警察に連絡が入り、犯人がベリーという男だと告げる。

翌日、ベリーは祖母の家で逮捕されるが、警察に通報したのはベリーの兄弟であった。

ベリーはすぐに殺人を告白した。

ベリーはバウンズ殺害についてすぐに詳細を語った。

バウンズが行方不明になった日、ベリーは祖母の車を運転していた時、たまたま教会の近くにいたバウンズを見かける。

そして、車に乗ろうとしていたバウンズに近付くと、車に押し込めると車に乗り込み走り始めた。

その後、町の外れの樹木の生い茂った場所に着くと強姦しようとするが、バウンズが命乞いをした為思い止まり、解放する事を約束して再び車に乗った。

しかし、ベリーは心を変え、更に深い森の中へ移動するとバウンズの頭を何度も殴り、バウンズを森の中に置いたままその場を離れた。

ベリーは履いていたテニスシューズを片付け、血まみれの服を燃やし、車に付着した汚れを拭き取った。

直接殺害した様子を目撃したわけではないが、これら行動が不審であった為、警察が通報したのだった。


1988年3月1日、ベリーは起訴され、同年10月28日、死刑が言い渡された。


2007年10月30日、ベリーの死刑が執行される予定であったが、延期となった。

控訴裁判所は、ベリーへの死刑執行停止要求を拒否していたが、致死量の注射による死刑執行の合法性に異議を唱える為の時間制限を超えたとして、アメリカ最高裁判所はミシシッピ州に対してベリーの死刑執行数分前 (15分前) に執行停止を命じた為、延期となったのだった。

ミシシッピ州への薬殺刑の合憲性に対する訴訟を起こしたのはケンタッキー州であった。


2008年5月21日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年49歳。

執行の数時間前、ベリーの様子が暗く陰鬱で深刻な様子であった為、土壇場で死刑執行の停止を求めて控訴を考えるが断念していた。

ベリーのスペシャル・ミールは、ポークチョップ、ポークソーセージ、バタートースト、サラダ、マッシュポテト、ピーカンパイ、ジュース等であった。

ベリーは最後にシャワーを浴びない事を選択し、家族に電話をかける事もしなかった。

また、最後の声明も何も残さなかった。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1987年11月29日



∽ 総評 ∽

たまたま目に入った女性を殺害したベリー。

ベリーは20歳から犯罪を繰り返し、刑務所でカミソリの刃を飲み込み精神分裂症と診断されていた。

また、IQも低く、危険な殺人鬼の条件を満たしていた。

それなのに何故か釈放され、後に殺人を犯した。

アメリカではよくある事であるが、詳細がないのでどういった経緯で釈放されたのかわからない。

結果を見れば完治していないのは明白だが、アメリカ恒例の適当な状態での解放であろう。

ベリーは死刑執行数分前に死刑執行停止が命じられ延期となった。

そんなギリギリで執行が停止される事も驚きだが、どうせ執行するのなら何故わざわざ延ばすのか疑問しかない。