_20190829_171422
ペーター・ニルシュ (ドイツ)
【 ? ~ 1581 】



ペーター・ニルシュ (またはニールス) は、ドイツの田舎で強盗を生業とする犯罪集団を率いていた。

この犯罪集団はドイツとスイスと接するフランスのアルザス地方でニルシュとシュメールによって結成された (といわれる) 。

その後、犯罪集団は24人となり、フランス北東部のファルスブール近郊で強盗や殺人といった犯罪を行うようになる。

集団はグループに分かれ、ドイツ・ランダウ、ドイツ・キルヒヴァイラー、ドイツ・コブレンツ、フランス・ストラスブール、フランス・ファルスブール等で犯行に及んだ。

人数はまちまちで、1人の場合もあれば9人や6人で活動するグループもあった。

犯罪集団は主に人気のない森や山々で犯行に及び、稀に道路沿いや都市部で犯行に及んだ。


1577年、ニルシュは他のメンバー数人と共に逮捕される。

ニルシュは拷問を受け、20歳の女性殺害を含むこれまで75人を殺害した事を告白する。

また、証言を元に組織のメンバーリストが作られた。

しかし、ニルシュは逃亡する事に成功する。

ニルシュ逃亡を受け、その様子が描かれたチラシやパンフレットが多く作成され、世間に配布された。

ニルシュとシュメールらメンバーがファルスブールに集まった時、自分達集団の前途を祝福した。

そして、ニルシュとシュメールは悪魔と出会ったと話し、悪魔に生け贄を捧げる事で魔法を使う事が出来ると語った。

魔法を使用する為に最も必要な素材は胎児の遺体であり、呪文を唱える間、ニルシュは胎児の心臓を食べた。

また、胎児の肉と脂肪を魔法の蝋燭と調合して火を点ければ、家で寝ている住人を起こす事なく略奪出来るとも話した。

ニルシュは超常的な力により肉体的な変化も可能となっており、丸太や石に変化したり、晩年は犬や猫、ヤギに変化する事も出来た (ただ、当然そういった変身は不可能であり、元々変装の達人であった為、それに尾ひれはひれが付いて現代に伝わったとされている) 。


1579年、ニルシュがフランスとの国境にあるドイツ西南部のシュヴァルツヴァルトで活動しているという情報が入る。

だが、ニルシュは変装により頻繁に外見を変えており、時には普通の兵士だったり、時にはハンセン病患者を装ったりした為、なかなか捕まえる事が出来なかった。

ただ、ニルシュはどんな変装をしていても常に大金を所持し、ズボンに装填された2つの銃と巨大な両手剣を持っていた。

また、ニルシュは身体的特徴として、2本の指が曲がっており、顎に古傷があった。


それらの特徴により、1581年、ニルシュは再び逮捕された。

ニルシュはドイツのノイマルクトという町にある「ベル」という名の宿に泊まった。

数日後、ニルシュは体を洗う為に公衆浴場へ行くが、バッグを宿に置いたままにしていた。

ベルのオーナーが管理の為に部屋に入るとバッグを見つける。

この時、ニルシュの悪名はドイツ国内に轟いており、身体的特徴が記されたパンフレットもオーナーは見ていた。

オーナーは宿の警備員にバッグを渡し、中身を確認すると、そこには殺害された胎児の切り取られたいくつもの部位 (心臓や腕) が見つかった。

その後、武装した8人の町民によってニルシュは逮捕されたのだった。

逮捕されたニルシュは、バッグの中身を見せられこれまでの殺人を告白した。

ニルシュはこれまで15年に及ぶ犯行でおよそ1575人を襲った。

犯行はドイツやフランスを中心にいくつかの国で行われ、相手はお金持ちから貧乏人まで様々であった。


ライン川の両側で妊婦9人を含む200人以上を殺害した。


ドイツ・ヴュルテンベルク州では123人を殺害した。


オーストリアでは5人の妊婦を殺害し、チェコの首都プラハやボヘミアでは8人の妊婦を含む140人を殺害した。


1580年にはドイツ・キッツィンゲンの妊婦を殺害し、お腹を切り裂くと胎児 () を取り出し心臓を食べた。


胎児は全て魔法を使う為に殺害したと述べ、常に鞄を持ち歩き中に胎児の心臓等を入れていた。

こうしてニルシュは24人の妊婦とその胎児を含む520人以上 (一説には544人殺害で有罪判決を受けたとも言われる) を殺害したと告白した。



ニルシュは同年9月14日から16日の3日間拷問を受け最後は処刑された。

初日は身体中を切り裂かれ、その傷の中に熱した油が注がれた。

2日目は足に熱した油を注ぎ、熱された石炭で全身を焼かれた。

最終日は処刑場に連れられ「broken on the wheel (壊れた車輪」と呼ばれる処刑方法で、車輪で42回殴打された。


通常、これまでの拷問で絶命していてもおかしくなかったが、ニルシュはまだ生きていた為、最終的には体を4つにバラバラにされた。


この520人以上の殺人数は、ドイツにおいてクリストマン・ゲニッペルティンガ (以前掲載) に次いで史上2位の記録である。






《殺人数》
520人以上 (544人の可能性あり)


《犯行期間》
1566年~1581年






∽ 総評 ∽


犯罪集団を率いて実に1500人以上を襲い、520人以上を殺害したとされるニルシュ。


今から500年近く昔の話であり、正直その存在には疑問が残る。


一応、当時のニルシュの様子を記した歴史家やパンフレット、チラシ等現存するらしいが、それでも何ともいえない。


だが、前述したゲニッペルティンガに比べてその存在の信憑性は高いとされている。


ニルシュは強盗犯にして悪魔崇拝者、そして、カニバリズムと犯罪の全てを高水準で繰り返した戦慄の異常者といえる。


ニルシュとゲニッペルティンガの活動時期はほとんど同じ時期で、処刑されたのもニルシュが9月でゲニッペルティンガが6月であった。

ただ、ゲニッペルティンガは洞窟に潜み、通行人を狙ったり洞窟に招き入れて殺害したりと、犯行は単純で場所も限定的であり、その為ニルシュと相容れる事はなかった。

この2人が実際に存在していたとしたら、2人だけで実に1500人近く殺害している事になり、まるで戦争による犠牲者の数である (戦争ですら小規模だとこれ程にならない) 。