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タギー (英名:サギー) (インド)
【 1550? ~ 1835 】



タギー (ヒンドゥー語で「詐欺師」という意味) は1550年 (結成には諸説あり。1356年のフィールズ王時代にはすでに犯罪組織について言及されている) にインドで結成されたプロの組織化された犯罪集団であった。

タギーはヒンドゥー教の神でインド最高神の1人にして3柱神のシヴァの妻であるカーリーを崇め信仰した。

カーリーは血と殺戮を好む女神であり、その供物としてタギーは全ての信者たちに1年で最低1人を殺害する事を義務付けた。

ただ、タギーの教義として血は全てカーリーへ捧げる為、血を流す殺人 (刺殺や射殺) を禁じ、殺害方法は絞殺を命じた。

タギーは絞殺の際に黄色のスカーフや縄を用いたが、これはカーリーが黄色のスカートの切れ端でラクタヴィージャを倒した事に由来する。

その犯行はインド全土に渡り、殺人を主とし強盗も行った。

タギーはインド中を移動し、通行人の振りをして旅行者の中に加わり、そして、頃合いを図って突如として集団で襲い掛かり、殺害して奪った。

タギーの犯行は捕まらない事を前提として慎重に行い、旅行者の数が自分達の数より多い場合は襲わなかった。

また、相手が裕福かどうかを聞き出してから犯行に及び、自らをヒンドゥー教徒やイスラム教徒と装い騙した。

襲い掛かるのは薄暗くなり始めた夕方で、殺害後は遺体を隠すか埋めた。

こうして殺害で得た財産で組織を維持し続け、1850年代までに実に200万人が犠牲になったとされている。

だが、19世紀に入りインドがイギリスの植民地となると、イギリス軍がインドで長らく語り継がれるタギーの実態を知る。

そこで、調査を行い1809年にその存在を明らかにした。

その後、イギリス軍とタギーによる抗争が起こり、1835年、イギリス軍人ウィリアム・ヘンリー・スリーマンが部隊を率いてタギー殲滅作戦を展開し、1836年にタギーを滅ぼした。

300年近いタギーの活動による犠牲者は推定200万人とされている。

タギーの歴史の中で最も有名な人物は、当時のタギーのリーダー、ベーラム・ジェメダー (以前掲載) で、ベーラムは18世紀後半から逮捕される19世紀初頭の間に931人の殺害に関与したとされている (直接手を下したのは150人程度といわれる) 。



《殺人数》
200万人以上

《犯行期間》
1550年~1835年



∽ 総評 ∽

長らく暗躍し殺人と強盗を繰り返した犯罪集団タギー。

これほど長らく犯罪を行えたのは、犯行の慎重さと根回し、時代やインドという国柄も影響していると思われる。

実際、イギリスに占領された後に殲滅している。

イギリス軍がインドへ入植した後、その存在は迷信や伝説のように思われ、当初はイギリス政府もその存在を信じていなかった。

当時は当然ネットはなく、また、情報も容易に伝わる時代ではないので、当初はそんは犯罪集団の存在など信じないのも無理はない。

ただ、存在を確認した後のイギリス政府の行動は迅速で、早々に殲滅したのは素晴らしいといえる。