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スタンリー・ミルグラム (アメリカ)
【 1933 ~ 1984 】



スタンリー・ミルグラムは、1933年8月15日、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨークで生まれた。

ミルグラムはイェール大学の教授であり心理学者であった。


1963年、ミルグラムはある実験を行う。

それはナチス・ドイツ政権下の親衛隊将校でユダヤ人移送局長官としてユダヤ人の大量輸送の責任者であったアドルフ・アイヒマンの事についてであった。

アイヒマンはユダヤ人虐殺に関わった残酷な人物であったが、一方で結婚記念日に妻の為に花を贈るような優しい人間であった。

イスラエルで行われたアイヒマン裁判では、その人格について語られ、決して人格異常者などではなく、ホロコーストもあくまで仕事の一貫として行っただけとされた。

また、残虐な行為を行うような苛烈で過激な人格などでもなく、むしろ平凡で取り柄がない小心者であった。

そんなアイヒマンに興味を抱いたミルグラムは、

「多くのナチス戦犯たちはそもそも特殊で異常な人物であったのか。それともアイヒマンのように結婚記念日に花を贈るような愛情に満ちた普通の市民であったのか。もしそうだとしたら一定の条件下では誰でもあのような残虐な行為を犯すものなのか

と考え、実験を始める事となった。

実験はまず、協力者を新聞広告を通じて「記憶に関する実験」の参加者として20歳から50歳の男性を対象として募った。

しかも、1時間の実験に対して報酬も約束された。

こうしてイェール大学に集められたのは小学校を中退した者から博士号保持者まで多岐に及んだ。

実験はまず被験者を「生徒役」と「教師役」に分け、学習における罰の効果測定を行うと説明した。

そして、くじ引きで生徒役と教師役に分けるのだが、実は生徒役は存在せず、くじには教師役しか書かれていなかった。

その為、被験者は必ず教師役を行う事となるのだが、その事は被験者には知らせていなかった。

そして、始めに全員に45ボルトの電気ショックを体験させ、生徒が受ける痛みがどの程度なのか軽く感じさせた。

次に教師役と生徒役 (実際には存在しない) を別々の部屋に分け、互いはインターフォンを通じて声のみが聞こえる状況であった。

教師役は2つの単語リストの一方を読み上げ、生徒役がもう一方の対応する単語を4択で答えさせる。

正解すると次の質問に移行し、失敗すると電気ショックを流すという単純なものであった。

ただし、最初45ボルトであった電圧が、失敗する度に15ボルトずつ電圧を上げるように指示された。

また、電圧の上昇と共に、それがどの程度のものか示す「言葉」が表示される仕組みになっていた (「危険」など) 。

最大電圧は450ボルトで、435ボルトの際は危険以上 (死) と表示された。

教師役の被験者は別室の生徒役の被験者に電圧がかけられていると思っているが、実際は電圧はかけられておらず、事前に録音した声が電圧に応じてインターフォンから流された。

電圧を上げる度に徐々に苦痛な声が響き渡り、まるで拷問を受けているかのようなとても演技とは思えない迫真なものであった。

被験者が実験の続行を拒否した場合、白衣を身に纏ったいかにも権威のある博士風の人間が、無表情で
「大丈夫です。続けて下さい」
と話し、更に
「この実験はあなたに続行して頂かなければなりません。迷う必要はありません。あなたは続けるべきです」
と促した。 

それでも中止を希望した場合は実験を中止した。

中止しない場合は「死」レベルの450ボルトの電圧を数度流されるまで実験を続けた。

結果、40人の被験者の内、実に26人 (65%) が最大の450ボルトまでのスイッチを入れた。

中にはそれ程の抵抗を示さず、言われるがままに淡々と続ける者もいれば、絶叫がインターフォンから響き渡ると笑う者さえいた。

ただ、当然被験者の中には嫌悪感を抱いて止める者や、報酬を全額返却してでも止めたいという者もいた。

だが、権威のある博士風の男性の強い進めにより、ほとんどが「自分には一切の責任がない」と確認して実験を継続しており、それを証拠に300ボルト手前で実験を中止した者は1人としていなかった。

また、別室ではなく同じ部屋に教師役と生徒役を配置し、目の前で苦しむ姿を確認出来る状態で実験を行うと、それでも40人中、12人 (30%) が最大の450ボルトまでスイッチを入れた。
 
被験者は偉そうな博士風の男性に言われるだけであり、当然、脅迫等の精神的な追い込みは一切されていなかった。

ミルグラムは実験を行う前、大学の心理学専攻の4年生14人に、実験の予想をアンケートさせており、全員が最大電圧まで付加するのはごくわずかだと回答していた。


同年、ミルグラムは実験の結果を発表し、称賛を受ける一方、倫理観から批判や非難の声もあがった。


1974年、ミルグラムは著書『権威に対する服従』を出版し、社会心理学賞を受賞した。


1984年12月20日、ミルグラムは心臓発作により死亡した。

享年51歳。

ミルグラム実験は映画やドキュメンタリードラマ、音楽など様々な分野で多く取り上げられた。

ミルグラムは1967年に『スモール・ワールド現象 (世界の狭さを提唱するもので、平均6人を介せば世界の誰とでも繋がる事が出来るという考え方) 』を提唱し、20世紀において最も重要な心理学者の1人とされている。



《実験期間》
1963年



∽ 総評 ∽

『ミルグラム実験』または『アイヒマン実験 (テスト) 』等と呼ばれ、人間の残虐性を浮き彫りにした実験。

「どんな人間も権力の傘の下なら残酷になれる」という事を証明した実験であった。

相手が苦しんでいるのかどうか全くわからないのであればまだわかるが、嘘といえど苦しむ声が聞こえるのである。

それでもろ65%の人間が止めようとしなかった。

これだけでも十分恐ろしいが、更に恐ろしいのが、同じ部屋でその苦しみを目の当たりにしているのに3割の人間が実験を続けたという事である。

むしろこちらの方が恐ろしい。

ただ、実験はもちろん100%ではなく、3割以上の人間が拒絶したという事実も存在している。

また、被験者の人格が元々正常でまともだったのかは何ともいえない。

実験を「何%をもって成功した」と判断するのは難しい所であるとは思うが、今回に限っては事前アンケートでほとんどの人が「途中で止める」と答えているので、6割以上というのは予想以上の結果といえる。

この実験の重要な所は「絶対的権力者の前には人は服従する」という事であった。

ナチス・ドイツの将校たちが凡人で普段は愛情に満ち、残酷な異常者でなかったというのは実際にはわからない。

実験の元となったアイヒマンも、妻だけには優しいだけだったのかもしれない。

実際に妻には優しいシリアルキラーは多く、ソシオパスはサイコパスと違って特定の相手を愛する事が出来る。

ただ、誰でもというわけではないが、普通の人間が残酷な行為を平然と出来てしまう可能性があるのは事実である。

確かに人間は自分の事を棚に上げて人のせいにしがちな生き物である。

また、今回のように「言われた事をやったまでだ」と自分には何も非がないと思うのだろうが、それは大きな間違いである。

例えば脅されていたり従わなければ殺されるといった緊急の状況下であれば理解出来る。

しかし、今回の場合は、ただ白衣を着た偉そうな人間に「続けて下さい」と言われただけであり、止める事はいつだって誰にも容易に出来た。

結局、人間というのは他人の不幸を悦び、また、普段出来ない事や人を痛めつけたいという欲求や願望が根底に根付いている生き物なのだといえる。