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セウォル号沈没事故 (韓国)
【 2014 】



2014年4月15日午後8時58分、チョンヘジン海運の大型旅客船セウォル号が、インチョン港からチェジュ島へ向けて出航した。

本来は午後6時頃に出航予定であったが、濃霧による視界不良が影響し、約2時間遅れの出航となった。


翌日16日午前8時49分、セウォル号はメンゴル群島を南東へ進み、ピョンプン島とクァンメ島の間に差し掛かった所で、突然、セウォル号が右に45度旋回し、船体が傾き始める。

そんな状態のセウォル号はそのまま北に進み、急激な旋回により船体は横倒しになった。

この時、乗客は「ドン!」という鈍い音を聞いており、船員は「衝撃を受けた」と話している。

3分後、乗客の少年が携帯電話で消防に通報するのだが、これが最初の通報であり、この時点では船からの通報はまだなかった。

そして、この通報が海洋警察に転送される。

8時55分頃、セウォル号から遭難信号がチェジュ島に発信される。

セウォル号はチェジュ島の海上交通管制センターに海洋警察へ連絡するよう要請する。

セウォル号の位置を確認後、海上交通管制センターが乗客に対する救命胴衣の着用と避難の準備を指示する。

9時24分頃、海上交通管制センターが船長イ・ジュンソクに対して乗客に対する避難の最終決断を促す。

10時10分頃、船内で「沈没が迫っている!乗客は海へ飛び込め!」と放送が流れる。

船内放送から7分後、船体は船首底部を除き沈没する。

11時過ぎ、キョンギ道教育庁がセウォル号に乗船していた高校生の保護者達に「生徒を全員救助」というメールを一斉送信するが、全員は救助されておらず、行方不明数が修正された。

陸軍司令部によって調査と救助作業に潜水員が投入され、大規模な救助活動が展開された。

その後、天候不良や波や風の影響で救助作業は困難が続いた。

同年4月18日にセウォル号は完全に水没し、同年4月22日の時点で死者数は100人を超えた。

翌日の23日には死者数は150人を超え、同年4月29日には200人を超えた。

同年5月7日、生存者は172人と発表し、同年6月24日、死者数が293人となり、『西海フェリー沈没事故』で犠牲となった292人を上回り、韓国における海難事故としては史上最悪となった。

同年10月28日、船内から遺体が発見され、この発見が最後となった。

結局、乗員・乗客476人の内、299人が
死亡、他に救助活動に参加した海軍兵1人、民間ダイバー2人、消防隊員5人が死亡し、行方不明者5人という大惨事となった。

事故の原因について調査が行われるが、様々は要因が重なった結果とされた。

当初、チョンヘジン海運の発表では、セウォル号には車両150台、貨物657トンが積載されているとしていた。

これなら総積載量内に収まっているのだが、メディアは「最大積載量を超過していたのではないか」と疑問の声を上げていた。

セウォル号改造後の最大積載量は987トンであり、車両を含む657トンと発表していたチョンヘジン海運だったが、最終的には大型トレーラーを含む車両180台で2451トン、貨物1157トンの合計3608トンという最大積載量の4倍近い過積載状態であった事がわかった (実はセウォル号の過積載は今回だけではなく過去に何度も行われていた) 。

また、本来2000トンのバラスト水 (船体の重さを調整する為にあらかじめ船内に取り込む海水のこと) が必要なセウォル号には事故同時、4分の1の約580トンしかなかった事が判明した。

コンテナも固定も固定装置を使用せずロープで縛っただけであった。

元々セウォル号は日本で建造され使用されていた。

2012年10月にほぼスクラップ状態でチョンヘジン海運に売却し、その後、増設など改造が加えられ、韓国で運航されていた。

改造自体は問題がないが、改造により船体の重心が後部に移動してしまい、それによりバランスが取れなかったのではと指摘された。

運航会社であるチョンヘジン海運も問題があり、近年、事故や衝突などの事故を繰り返していた。

船員の一部は非常時の際の安全教育を受けていない者もいた事から、安全を軽視した企業体質が指摘された。

前述した過積載についても会社側が黙認していた事がわかった。

また、事故の1ヶ月前、船員全員から船の問題を会社に陳述し、これを受けチョンヘジン海運はセウォル号を売却しようとしていた事がわかった。

売れなかった為、結局何の対策も取る事なくそのまま運航された。

安全検査も杜撰で、船舶に無理が生じてしまうという理由で4度以上傾けて検査する事が出来ず、自社の安全基準を満たしていると判断され合格となった。

しかも、救命ボートの安全点検を行ったはずの会社が、実は検査を一切行っていない事も判明した。

そして、検査をせずに問題なしとして虚偽の書類を提出していた (救命ボートはセウォル号建造よりも20年も前に取り付けられたままであり、事故当時錆び付いて甲板とくっついて使用できない状態であった) 。

救命筏は46艘設置されていたが、固定器具が錆びて外せなくなっており、実際使用されたのは1艘だけだった。

事故2ヶ月前の安全検査では「良好」と判定されていた為、検査機関とチョンヘジン海運との癒着があったのでは噂された。

船員からの待機指示が出されたのも使用出来ない事が発覚するのを恐れた為だとも指摘された。

セウォル号は韓国検察の調査で大き過ぎて就航基準を満たしていないとし、本来は運航出来る状態になかった。

しかし、監督官庁がチョンヘジン海運から賄賂を受け取り運航許可を出していた事が判明する。

2月に行われた特別安全点検では5ヶ所に不具合があると指摘される。

チョンヘジン海運は措置を取ったと報告したが、その言葉を信じ再点検しなかった。

また、乗組員のほとんどが契約社員で正社員がいなかった事や、海軍が直接救助活動に参加出来ないという政治的問題等も原因の1つではないかと指摘された。

だが、これらの問題もさることながら、多くの犠牲者を出した最も重要な原因は、事故の際の船長や乗組員の過失や怠慢、不適切で身勝手な行動とされた。

船長イ・ジュンソク (事件当時69歳) は、事故が起きた時、操舵室におらず船長室におり、事故が発生すると乗客の避難誘導を行う所か真っ先に逃げ出し、9時35分に到着した海洋警察に保護された。

保護された時、ジュンソクは何故かズボンを履いておらず、下着姿で救助船に跳び移ったが、これは船長という事を隠す為にわざわざ脱いだと推測された。

また、ジュンソクは船長室でゲームをして遊んでいたと乗組員が証言しているが、本人は携帯のメッセージを見ていただけだと否定した。

事故当時、セウォル号を操縦していたのは三等航海士の新人女性であり、今回の航路を操縦するのは初めてであった (三等航海士が船を操縦する事自体は違法ではない) 。

2度の急激な旋回によりセウォル号は横倒したのだが、女性航海士はほぼ減速せずに方向を変えたと供述した。

しかも、出港前に本来船長が作成するはずの安全点検報告書を女性航海士が作成し、代理署名して提出されていた事がわかった。

それには全て「良好」と記載されており、女性航海士は確かめずに記載した事を前任の航海士からそう作成すれば良いと言われたのでそうしたと述べた。

当然、この女性航海士も避難誘導などせず逃げていた。

乗客によると「救命胴衣を着用して待機していて下さい」という船内放送が流れただけで、乗組員が「動かないで下さい」と繰り返していただけであったという。

4階にいた高校生たちはそれに従って待機していた為、命を落とす事となり、適切な行動をとっていたなら助かったとされている。

最初に到着した海洋警察の警備艇に救助された約50人の内、船長のジュンソクのみならず、機関士や操舵手ら6人を含む乗組員約30人もその中に入っていた。

韓国の法律では「船長は全員が降りるまで必要な人命救助措置を行い船を離れてはならない」とある (韓国のみならず世界的にそれが普通である) 。

また、乗組員は避難誘導しないばかりか、職員専用通路を使用して脱出していた事がわかった。

しかも、乗組員らは救助の船に乗り移る直前に作業服からわざわざ着替えていた。

その理由について乗組員らは発言を拒み続けているが、作業服のままでは救助されないと考え、乗客を装う為に着替えたのは明白であった。

機関室の乗組員らは、乗客のみならず負傷して身動きのとれない料理人の船員を見捨てていた事が判明した。

その機関長を含む機関室の乗組員7人は、脱出しやすいよう寝室前の通路に集まり、救助が来るまでの30分間、何もせず待機していた事がわかった。

機関室の乗組員は救助された後も料理人が負傷している事を黙っていた。

交信記録も残されているが、海洋警察側が一部を編集及び削除したとされている。

船長のジュンソクは、搬送先の病院で身分を聞かれた際、

「私はただの船員、何も知らない」

と答えた。

また、この時、ジュンソクが20万ウォン (約2万円) の紙幣を乾かしている姿を目撃され、そのお金が誰のものかで他の乗組員と喧嘩になっていた。

退院後、検察と警察の取り調べに対し、

「尻が辛かったから飛び出したらちょうど救助船が来た。救助隊員が早く乗れという指示に従っただけだ」

と供述した。

当初、喫煙の為に操舵室の外に出ていたと話していたが、下着姿だった事が明らかになると、船室でズボンを着替えようとしたが、船が傾き始めたので慌てて出て行ったと証言を変えた。

女性航海士は取り調べで

「教科書で学んだ通りにしただけ。事故が起き、男性でも耐えられない状況なのに私には何も出来なかった」

と供述した。

セウォル号の乗組員たちが乗客を避難誘導しなかったのは救命ボートが使えない事を事前に知っており、それを隠す為だったのではないかとされている。

また、事故当時、副船長は前日に入社したばかりで、乗組員15の内、8人がセウォル号での航海経験が半年未満であった。

ただ、最後まで船内に残り、自身の救命胴衣を後回しにして乗客に着用させ、必死に最後まで避難をアナウンスした女性乗組員の存在が明らかになった。

その女性乗組員は事故後にすぐに死亡が確認されていたが、最後まで乗客の為に命を投げ出したのが入社わずか2年目の女性であった (乗組員で唯一死亡した) 。


同年4月19日、船長のジュンソクを始め、女性航海士など4人が逮捕された。


同年4月26日、乗組員15人が逮捕された。


同年5月8日、チョンヘジン海運代表キム・ハンシクの身柄が拘束される。


同年5月15日、ジュンソクら4人が殺人罪で起訴された。


同年6月10日、裁判が始まり、ジュンソクら15人が出廷した。

開廷前、多くの取材陣が集まる中、遺族は『お前らは人ではない。けだものだ』と書かれた横断幕を掲げたり、死刑と書かれたプラカードを掲げる遺族もいた。

法廷には犠牲者の遺族が多く詰めかけ、ジュンソクは目を合わさず弁護士に隠れるように法廷に現れた。

そんな乗組員達に対し、遺族らは「殺人者!」「顔をよく見せろ!」「自分の子供にも同じ事が出来るのか!」等と罵声や叫び声が投げ掛けられた。

裁判官は遺族に対して静かにするよう促した。

他の乗組員たちも泣く者や黙ってうつむいている者など、遺族とは目を合わそうとしなかった。

弁護士はジュンソクについて
「怪我を負った中でも可能な限り救助措置を行い、海洋警察に最後に救助された」
と弁護し、過失以上に問うのは不当だと主張した。

他の弁護士も乗組員に対し、
「海洋警察すら船内に進入出来なかった状況であり、乗組員が乗客を救助するのは難しかった」
と主張した。

裁判の争点は「未必の故意かどうか」であり、殺人罪で有罪となれば、ジュンソクら4人には死刑の可能性もあった。

弁護士がジュンソクらの弁護をする度に傍聴席にいる遺族から罵声が飛んだ。

裁判官は
「遺族の方々の気持ちは十分に理解出来るが、大声で罵っても裁判が進まない」
とたしなめた。

だが、被害者の会代表が法廷で発言出来る機会が与えられ、
「被告たちが脱出する時、船内放送で避難を呼び掛けてくれれば多くの子供たちが助かったはずだ。被告は乗客だけでなく遺族の魂まで殺した。我々の時間は事故から今まで止まっている」
とその切実な思いを語り、真実の究明と厳罰を訴えると他の遺族たちからすすり泣く声で法廷は包まれた。


同年11月11日、殺人罪で起訴された4人の内、ジュンソクを含む3人は殺人罪が認められず、ジュンソクには懲役36年、1人に懲役20年、1人に懲役15年、殺人罪が認められた機関長には懲役30年が言い渡された。

残り11人には懲役5年から10年の実刑判決が下された。


2015年4月28日、ジュンソクの判決が覆り、未必の故意による殺人罪が認められ無期懲役となったが、逆に機関長は殺人罪が認められず懲役10年、他12人は懲役1年6ヶ月から12年の判決となった。

韓国国民は「成功したければ他人を押し退けてでも前に出ろ」という体質が根付いており、その為、協力して助け合わずに自分だけが助かればいいという行動により犠牲者が更に増えたと指摘する者もいた。


最後に船長ジュンソクが事故前に海について語った言葉で終わりたいと思います。

「人はずる賢い。だが、危機を乗り越えられればそんな思いは消える。それで今日まで私は船に乗っている。今日も明日も私は船と一緒にいるつもりだ」



《死者数》
299人 (他行方不明者5人)

《事故日》
2014年4月15日



∽ 総評 ∽

様々な要因が重なり最悪の海難事故となったセウォル号沈没事故。

沈没原因については唖然とするほど多く存在し、要約して列挙したが細かい点を挙げればもっとあってきりがない。

こういった悲惨な事故は世界各地で起こっているが、火山の噴火とか地震とか自然の災害を除き、ほとんどが人間のちょっとしたミスや様々な要因が重なって発生する。

その為、このセウォル号沈没も対策と対応等しっかりとしていれば起こる事は決してなかった。

ただ、今回の事故は船長ら乗組員の対応が何より酷い。

事故が起こると乗客を無視して真っ先に逃げるが、最初の救助ボートに我先に乗る始末。

作業着を着たままだと救助されないと考えわざわざ着替え、しかも、自分達だけ職員専用通路を利用するずる賢さ。

正直、この乗組員たちは責任能力など持ち合わせてはおらず、船員になるべき人間ではなかった。

このセウォル号沈没事故は、以前掲載したコスタ・コンコルディア号沈没事故と非常に酷似している。

どちらの船長も事故の時に舵をとっておらず、また、事故後、真っ先に逃げている。

ただ、それなのに4000人以上乗っていたコスタ・コンコルディア号の犠牲者は32人で、500人弱のセウォル号が300人近い犠牲者を出してしまった。

おそらくこの差は船の規模によるものだと思われる。

コスタ・コンコルディア号は非常に大型の船で、その為、浸水するのに時間がかかり、その間に逃げ出す事が出来たと思われる (全長はコスタ・コンコルディア号がセウォル号の約2倍) 。

セウォル号はそれほど大きな船ではないので、気付いたら浸水が進んでおり、もはや手遅れだったと思われる。

裁判では遺族の叫びが多く聞こえ、裁判官に窘められる事が多々あった。

確かに裁判官の言う事は正しいといえるが、遺族の気持ちは当然であり、これが被害者遺族の声なのだ。

「自分の子供にも同じ事が出来るのか!」罵声の中でのこの言葉に遺族の真の叫びの全てが詰まっていると私は思う。