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ジェームズ・フィールズ (アメリカ)
【 1997 ~      】



ジェームズ・アレックス・フィールズは、1997年4月26日、アメリカ・ケンタッキー州フローレンスで生まれた。

その後、フィールズはケンタッキー州南西部フィレンツェで育った。

母親をサマンサ・ブルームといい、父親はフィールズが生まれる5ヶ月前、1996年12月5日に自動車事故で死亡していた。

ブルームの父マービン (42歳) は1984年8月21日、妻のジュディ (37歳) を殺害し、その後、自殺した。

この時、ブルームはまだ16歳であった。

ブルームは麻薬中毒者で、ことある毎にフィールズに暴力を振るった。


2010年11月、ブルームはフィールズにゲームを止めるよう言うと、怒ったフィールズは殴ると脅した。

フィールズを恐れたブルームはトイレに閉じ込めると警察に電話した。


2011年2月、ブルームが警察にフィールズが帰って来ないと連絡する。

2時間後、フィールズが帰って来たと警察に連絡するが「戻って来たが無気力になっていた」と報告する。


同年10月、フィールズは12インチ (約30cm) のナイフでブルームを脅した。

翌日、ブルームは警察に電話し「非常に脅迫的で恐ろしい」と告げる。


同年11月、フィールズはブルームの顔に唾を吐きかけ、脅した。

警察はブルームにフィールズを病院に連れて行く事を勧める。

その後、フィールズは逮捕され、少年矯正施設に拘束される。

高校に入るとフィールズは「愛しのヒトラー」と口癖のように呟くようになり、その事についてクラスメートに話しをした。

また、フィールズは高校の歴史教師に

「アドルフ・ヒトラーと白人至上主義は深く関わっている」

と述べた。

高校教師デレク・ワイマーは3つのクラスでフィールズを教えていたのだが、授業後や自由時間に個人的に定期的に交流した。

ワイマーはフィールズについて
「非常に明るい子ですが見当違いで幻滅した。彼はしばらくするとナチズムへの賛同、ヒトラーの偶像化、白人至上主義の信念が見え始めた」
と後に語っている。

そんなフィールズをワイマーは諭して説き伏せようと努力した。

フィールズもワイマーの話しを聞き入れた。

その為、ワイマーはフィールズの考え方が変わったと感じていた。


しかし、2015年に学校のヨーロッパ旅行の際「ドイツに行く為に来た」とクラスメートに話し、ドイツを「祖国」と呼んだ。

強制収容施設を見学した際は子供のようにはしゃぎ、その様子をクラスメートは
「まるでディズニーランドに来た子供のようだった」
と後に語っている。

また、フィールズはフランス人について、

「私たちよりも低く劣っている」

と話した。

そんな中、フィールズが陸軍に入隊する事となり、その時、元オハイオ州警備隊の将校であったワイマーが口利きを行った。


同年8月18日、フィールズは陸軍に入隊するが、同年12月11日に「訓練基準を満たさなかった」として除隊する事となった。

高校を卒業すると、ワイマーはフィールズとの接触がなくなってしまう。

軍隊に入る前の同年6月、フィールズはフィレンツェの自動車販売店でダッジ・チャレンジャーを購入する。


2016年、アメリカ大統領選挙が行われると、フィールズはドナルド・トランプを支持する。

トランプが人種的見解の持ち主だと認識したからだった。

特にトランプのメキシコ国境提案について支持した。


2016年3月15日、フィールズはオハイオ州共和党予備選挙で投票した。

その後、フィールズは白人至上主義の集会に参加するようになる。

ブルームはトランプ関連の集会に参加していると思っていた。

この頃、フィールズは警備員として事件を起こすまでの約2年間働いた。

収入は2週間で650ドル (約7万円) で、時間が空いた時はゲームをしていた。


2017年8月12日、フィールズは以前購入したダッジ・チャレンジャーに乗って高速を走った。

そして、バージニア州シャーロッツビルに向かい、午後1時45分頃、白人至上主義者の集会に抗議するデモに車で突っ込んだ。

ただ、スピードはそれほど速いわけではなく、40km程度と推測された。

車は群衆を押し退け、多くの人が空中に飛ばされた。

そして、ミニバンにぶつかると、フィールズはフロントバンパーをこすりながら逆方向へ走り再び多くの人をはねた。

その後、フィールズは高速を走り、一般道に入ったが、バージニア州警察のヘリコプターが車を追跡し、その様子は中継された。

警察が追尾し、1マイル (約1.6km) ほど進んだ所で車を止められフィールズは逮捕された。

フィールズは謝罪し、警察官に負傷者について尋ねた。

警察官はヘザー・ダニエル・へイヤー (32歳♀) が死亡し、35人が負傷した事を告げた。

すると、それを聞いたフィールズは泣き崩れた。


翌日、シャーロッツビル市庁舎近くで記者会見が行われ、約100人の群衆がフィールズの名前を叫び「殺人者」と呼んだ。

フィールズは第二級殺人等で起訴される。 


同年8月14日、刑務所からのビデオによって法廷に現れるが、保釈を拒否される。

フィールズは弁護士を雇う余裕はなく、その為、裁判官によって国選弁護人が立てられた。

検察はフィールズの行為を「テロ」と非難した。

弁護側はフィールズが精神を患いた為、感情や行動を制御出来なかったと主張した。

高校の時の教師ワイマーが証人として出廷し、フィールズは統合失調症と診断された後、抗精神病薬を処方されていたと述べた。

また、フィールズは双極性障害、うつ病、注意欠陥・多動性障害 (ADHD) の治療を受けていたと証言した。


2018年12月11日、フィールズはへイヤー殺害で終身刑と傷害等で懲役70年を5件、懲役20年を3件、事故現場を去った罪9年、合計419年を求刑された。


2019年6月28日、へイヤー殺害で終身刑が言い渡された。


同年7月15日、裁判官は判決を支持し、更に懲役419年が追加された。

へイヤーの母親はインタビューで、
「多くの人がフィールズを嫌わないで欲しい。それはへイヤーも望んでいない」
と述べ、父親も
「全ての人々がお互いを許す事を学ぶ必要がある」
と述べている。


最後に判決を言い渡される際に述べたフィールズの発言で終わりたいと思います。

「私の行為によって傷つけられた者、失われたもの全てに謝罪する」



《殺人数》
1人 (他35人負傷)

《犯行期間》
2017年8月12日



∽ 総評 ∽

白人至上主義、ヒトラーに憧れ、白人至上主義者の抗議デモに車で突っ込んだフィールズ。

これまで何度も同様な思考・思想となる人間を紹介してきたが、毎度何故そこまでヒトラーやナチスに魅力を感じるのか理解出来ない。

白人至上主義も生まれてまだ小さい頃はそんな事考えるはずもなく、そういう考えに至るきっかけが何かあったはずである。

フィールズは逮捕の際、被害の事を聞いて泣き崩れたが、ここまでの事になると思ってなかったのだろう。

おそらくフィールズは「ちょっと懲らしめてやるか」程度にしか考えておらず、その為、それ程スピードも出さずに突っ込んだと思われる。

事の重大さに気付いた後に反省して後悔する大した信念もない小心者で、まるで救いようがない。

ただ、殺害されたへイヤーの遺族がフィールズを許しているので、これ以上私が言う事はないが。