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フランチェスコ・スケッティーノ (イタリア)
【 1960 ~      



フランチェスコ・スケッティーノは、1960年11月14日、イタリア・カンパニア州ナポリ県メータで生まれた。

家族はメータの船乗りで、スケッティーノもフェリー会社に勤務した。


2002年、カーニバル・コーポレーションの子会社であるコスタクロシエールに雇われた。

そこでセキュリティ担当としてスタートし、後に次席指揮官となった。


2006年、スケッティーノはキャプテンに昇進し、新しく打ち上げられたコスタ・コンコルディア号の指揮権を与えられた。


2010年、コスタ・アトランティカ号のキャプテンとして航海し、その後、カーニバル・コーポレーションの船をいくつか乗船した。


2012年1月13日、スケッティーノはコスタ・コンコルディア号のキャプテンとして航海を始める。

この時、コスタ・コンコルディアには乗客3216人 (定員は4200人) 、乗組員1013人の合計4229人が乗船していた。

船は西地中海を7日間に渡ってクルーズし、チビタベッキアへ戻る予定であった。

だが、午後9時42分頃、コスタ・コンコルディア号はイタリア・トスカーナ州沖合のジリオ島付近の浅瀬に座礁する。

船体には大きな亀裂が入り、数分後には機関室が浸水した。

その後、船はゆっくりと傾きながら午後10時44分、座礁から約1時間後に右舷側に70度傾いた形で沈没した。

座礁してから約1時間後に警報が鳴らされたが、乗組員によるSOS海難信号は出されなかった。

港の管制施設と船が連絡をとったのも港のオペレーター側からであった。

また、警察に通報したのも船の乗客であった。

すぐに救助活動が開始されたが、作業は困難を極めた。

事故当時、船には約2400トンもの燃料が積まれており、船から何らかの液体が海に漏れ出ていた。

また、横転した船内にどれだけの乗客がいるのか全くわからなかった。


同年1月17日の時点で、死者は少なくとも11人、負傷者60人、行方不明者29人であった。


同年1月15日には船内から韓国人カップルが、同年1月18日にはベトナム人乗組員3人が救出された。


同年3月22日に新たに5人の遺体が見つかり、死者は30人となり、事故から約3年後の2014年11月3日に最後の行方不明者の遺体が船内から見つかり、死者は合計で32人となった。

乗客の約100人はジリオ島まで自力で泳ごうとし、避難の始まる前に準備もせずに冷温の海に飛び込んだ為、多数の死者が出てしまった。

船から避難するまでの準備が出来るまで少なくとも45分はかかり、対応の遅れが問題となった。

また、避難指示もなく、救命ボートに乗る事が出来なかった人も多数いた。

その為、船内に取り残され翌朝の救助まで待機していた乗客も多数いた。

乗組員を全く見なかったという乗客も多く、「部屋に入れ」と言われた直後に「部屋を出ろ」と言われた等、乗組員は慌てた様子であり、その為、乗客が自ら救命ボートを出したりしていた。

また、乗組員による具体的な救助作業は行われず、錆び付いて使い物にならない救命ボートも多数あった。

乗組員は2週間に1度、事故対応についての訓練を受けていたが、全く機能していなかった。

日本人乗客によると、船内に乗客が沢山残っているにも関わらず、救命ボートには乗組員の方が多く乗っており、しかも、笑いながら楽しく食事をし、一切の謝罪もなかったという。

乗組員約1000人の出身地は40ヶ国にものぼり、その為、うまく意志疎通が出来なかった可能性もあった。

しかも、乗組員の多くが船員の資格を持っておらず、大半がホテルスタッフであった。

座礁して2時間後にようやく「救命スーツを着用し上甲板に出るように」という指示が出された。

事故当時、船長のスケッティーノは、ワインを飲みながら若い女性と食事中であった。

スケッティーノは事故が起こると真っ先に救命ボートに乗り、船を放棄して避難した。

当初、この事に関してスケッティーノは、

「最後に船を離れた。犠牲者が多く出た事は残念だが、錨を下ろす等の自分の措置によって多くの命が救われたのは事実だ」

と言って反論した。

その後、スケッティーノは乗客を置き去りにした事を認めたが、

「座礁した衝撃で転び、偶然救命ボートの中に落ちた」

とボートに乗ったのはあくまでも偶然だと主張した。

事故の翌日14日夜、スケッティーノは過失致死や船の放棄等で起訴された。


同年1月17日にリボルノ港湾監督事務所とスケッティーノのやり取りが公開される。

監督事務所が「今とごにいる?まさか逃げ出したのか」と問うと、スケッティーノは歯切れの悪い言葉で「私と司令官は・・その・・います」と答えた。

監督事務所はスケッティーノたち責任者が逃げ出した事を悟り「乗客を置き去りにして救命ボートに乗ったんだな。何やってるんだ早く船に戻れ!」と怒鳴った。

スケッティーノは「待って下さい」と答えると監督事務所は「船で指揮をとれ!これは命令だ!」と怒鳴った。

スケッティーノは「暗くて何も見えません」と答えると監督事務所は「だからどうしたんだ。船に戻って被害状況を報告しろ!今すぐにだ」というやり取りが行われている事がわかった。


同年1月19日、乗客が事故の10時22分頃に携帯電話で撮影した映像が公開され、乗組員が「問題は解決した。速やかに客室にお戻り下さい」「船長に代わって申し上げます。電気系統のトラブルは解決しました。客室かサロンにお戻り下さい」と呼び掛けている事が判明した。

事故原因についてだが、船には当然問題はなかった。

調査を続けると、イタリア船乗りの陸の人に行う挨拶の風習「インキーノ」が原因とされ、島に近付き過ぎた事で座礁したのだと推測された。

ただ、ジリオ島の島民は、乗客や救助隊員の為に民家やホテルを解放し、食料を提供するなど徹夜で支援活動にあたった。

この行動に対しては世界各国で賞賛の声が多数寄せられた。

裁判で検察はスケッティーノに対し、過失致死で14年、船の座礁で9年、船の放棄で3年、当局への連絡を怠った罪で3ヶ月の合計26年3ヶ月を求刑した。


2015年2月11日、19ヶ月の裁判の後、スケッティーノには過失致死罪で10年、船の座礁で5年、船の放棄で1年の合計16年を言い渡した。

船は2014年7月20日に水面に浮かべる事に成功し、その後、解体される予定であるが、一連の撤去費用は15億ユーロ (約2100億円) かかったとされている (船の建造費用は約650億円) 。

この解体作業は1990年代以降、大型クルーズ客船としては初めての解体作業にして、最も大規模なものとなった。

余談だが、事故が起きたのは1912年4月14日に座礁したタイタニック号の沈没から丁度100年であり、その為、コンコルディア号はタイタニック号とよく比較された。

また、乗客によると、座礁時、レストランでBGMとして映画『タイタニック』の主題歌であるセリーヌ・ディオンの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が偶然流れていたという。



《死者数》
32人 (負傷者数60人)

《事故発生日時》
2012年1月13日午後9時42分



∽ 総評 ∽

島に近付き過ぎた為に座礁したコスタ・コンコルディア号。

海難事故は有名なタイタニック号やこのコスタ・コンコルディア号のような大きな客船から小型の船まで世界各国で発生している。

この事故は韓国で起きたセウォル号沈没と非常に酷似している。

事故後、船内へのアナウンスが極端に遅れ、船上では1番の責任者である船長が乗客を無視して誰よりも先に逃げ出した。

人間というのは普段調子の良い事を口にしていても、こういったいざという時に人間性が露になるものである。

船の事故は飛行機と違い、機械トラブルというよりも人為的なミスが非常に多い。

ただ、タイタニック号のように氷山にぶつかったという事ではなく、風習の為に島に近付き過ぎた事で座礁し、事故が発生したというのは原因としてはあまりに酷い。

ただ、個人的には4000人規模の乗員乗客と、1月という寒い時期に発生した事故の割りに犠牲者が少ないというのが唯一の救いだと思う (セウォル号海難事故は乗員乗客476人の内299人が死亡し、タイタニック号沈没事故は乗員乗客2224人の内1490~1635人死亡している) 。