_20190802_143336
至尊派事件 (韓国)
【 1993 ~ 1994 】



1994年9月5日、組員らはアジトを離れ、ソウルへ向けて出発し、その日の夜ホテルに泊まった。


同年9月7日、犯行を試みるが失敗した為、一旦戻り、その後すぐにヤンジュに移動して標的を見つけるまで潜伏した。

数時間後、ヒュンダイ・グレンジャーが現れると、進行を阻止して無理やり止める。

そして、ガス銃やナイフで武装した組員が車内にいたイ・ジョンウォン (36歳♂) とイ (27歳♀) を脅して車から降ろした。

2人の手と足をテープや紐で縛り、目隠しして車に乗せアジトに拉致する。

だが、2人は高級車に乗っていたものの、求めていた裕福な人間ではなかった。

ジョンウォンはカフェの店員であり、イはそのカフェでアルバイトとして働く女性であった。

組員内でどうしようかと議論になり、2人の処分についてもめた。

そして、結局は殺害する事で話がまとまる。

翌日、組員は順番にイを強姦し、ジョンウォンに酒を大量に飲ませ酔わせた。

そして、交通事故を装って殺害しようと計画するが、そこでヒョンヤンが

「女は生かして組織の雑用をやらせよう」

と提案する。

他の組員が反対するが、ヒョンヤンはイにジョンウォンを殺害させ、共犯意識を芽生えさせれば裏切る事はないと説得する。

そして、イにジョンウォンの口を防がせ殺害を試みるが、イは手が震えて上手くいかず、結局は組員がジョンウォンにビニール袋を被せて窒息死させた。

その後、チャンスンの交通量が少ない崖に向かうと、ジョンウォンの遺体をグレンジャーに乗せ、崖から落とした。

自殺を装う為に道路にスキッド・マークをわざわざ作った。

アジトへ戻ると組員は再びイを代わる代わる強姦した。


同年9月13日、キョンギ・ソンナムにある公園墓地の駐車場でグレンジャーを発見する。

墓参りから戻って来た車のオーナーのソ・ユンオ (43歳♂) 、パク・ミジャ (35歳♀) 夫妻に、

「車のタイヤがパンクしているようだ」

と話し掛け、確認させようとした所を空気銃で脅し、夫妻を連れアジトへ拉致する。

翌日の未明、夫妻に話しを聞くと、ユンオは自力で成功した中小企業の会社社長で、経済的に裕福な事がわかると、

「身代金を払えば解放してやる」

と約束し、1億ウォン (約1000万円) を要求する。

ユンオは従業員に連絡して
「交通事故を起こしてしまったから1億ウォン持ってきてくれと頼んだが、8000万ウォンまでしか払えない」
と組員たちに話す。

組員はそれで同意し、同日午前、身代金引き渡し場所へ向かうが、警察の事前配備に備え、車両にダイナマイトを積んで現場に向かう。

しかし、備えていたダイナマイトをヒョンヤンが誤作動で爆破させてしまい手や足に怪我を負った為、アジトへ戻った。

その後、午後2時頃、ヒョンヤン以外の組員が見守る中、ユンオが従業員から8000万ウォンを受け取った。

この時、従業員に助けを求める事も出来たのだが、妻のミジャが人質に捕られている事と、お金を払えば解放してもらえると思っていたので何もしなかった。

アジトに戻りお金を受け取ると、組員たちは大金に喜び宴会を行った。

そして、夫妻の処分について話し合うが、ちょうど意見は殺すか生かすか半々に分かれる。

結局、殺そうという事になり、夫妻に家に帰してやると話し酒を飲ませた。

抵抗出来ないくらい酔わせた後、ヒョンヤンが銃で夫妻を射殺すると、遺体の一部を切り取り食べた。

その後、遺体を解体し、焼却しようとするがその際に出る臭いをわざわざ豚肉を焼いて誤魔化した。

そして、近隣住民にその豚肉を配り、夫妻から奪ったお金の一部、1500万ウォン (約150万円) を使って機関銃等を購入した。

組員は警察署を襲撃し、ギファンを逮捕した警察官を殺して銃を奪おうと計画する。

また、テレビ局MBCも襲撃する計画も立てる。

ヒョンヤンがダイナマイトの誤爆で負傷した傷口を病院で診てもらう際、イは同行を頼み許可される。

ヒョンヤンが診察を受ける時、イに現金50万ウォン (約5万円) が入った財布と携帯電話を渡して診察室に入った。

イはどうせ殺されるならと逃走しようと考え、危険を承知で病院から抜け出した。

そして、タクシーに乗り、進めるだけ進んでタクシーを降りるとブドウ畑のビニールハウスの下で数時間隠れた。

畑の主人に事情を説明し、車に乗せてもらいソウル近郊のモーテルに到着し、以前働いていたカフェに連絡してこれまでの事情を話した。

その後、カフェオーナーと共にイは警察署で経緯を話すが「管轄でない」と拒絶される。

怒りと絶望を感じたイだったが、カフェオーナーの弟が懇意にしている警察署班長に連絡した。

班長はイの話しのあまりの衝撃的な内容に最初は信じられなかったが、他の事件について詳細を語った為、イを信じ本格的な捜査を開始した。


組員たちはイが逃げた事を知り、同年9月17日、雑用をさせる女が必要だと話し、トンハの彼女であったイ・ギョンスクに事情を説明し、組織に参加させる事となった。


同年9月19日、警察はイが持ち出した携帯電話を調べ、それがトンハのものだとわかり、まず、トンハの車を尾行し逮捕した。

そして、トンハの携帯電話を使い「交通事故に遭った」と言ってヒョンヤンとサンロク、ギョンスクを呼び出し逮捕した。

その後、アジトを聞き出し突入し、残りの組員を逮捕した。

そもそも拘束している女性を病院に連れ、現金や携帯電話を渡すという行為は通常あり得なかった。

しかも、本来掟では殺すはずだったのをヒョンヤンは仲間を説得してイを生かしたが、実はヒョンヤンはイに対して好意を抱いてしまい、その為、生かしたのだった。

イは命乞いしたが恐らく殺されるだろうと感じ、本能的に一切抵抗しないようにしたと後に話している。

組員たちの逮捕後、刑務所にいたギファンにその事が伝えられ、逮捕された原因が女性だとわかると、

「『女は母親でも信じるな』とあれだけ教えたのに愚かな奴等だ」

と吐き捨てた。

事件が公になると、その身勝手な動機と殺人組織なる存在に韓国全土が震撼した。

警察は『至尊派』のアジトからダイナマイト23本、望遠レンズの着いた空気銃が1丁、ガス銃1丁、登山杖を改造した隠し剣7本、サーベル4本、トランシーバー2個、ポケットベル5個等を押収した。

トンハはギファン逮捕後、組織を率いる事になったが、収監されているギファンに数回面会へ赴き犯行の指示を仰いでいた。

トンハは本来小心者で、ギファンの指示なくては行動を起こせるようなタイプではなく、犯行にも積極的ではなかった。

トンハは最初の犠牲者ミジャ殺害後、ポンウン同様罪悪感に苛まれ、足の怪我を理由にしばらくアジトでも1人で過ごした。

ユンオ夫妻殺害も指示だけして犯行には参加しなかった。

ヒョンヤンは組織の中でも暴力性が群を抜いており、その為、ギファンから行動隊長に任命される程であった。

ギファンへの忠誠心も高く、犯行にも積極的に参加し、逮捕後のメディアへのインタビューでも笑いながら平然としており、衝撃的な発言を躊躇う事なく発し、周囲を騒然とさせた。

の存在が『至尊派』の非情性を知らしめ、もっともメディアに取り上げられた。

また、組員の中で唯一食人を行っており、その事について問われると、

「興味とただ証拠を消す為」

と述べた。

ただ、非情なヒョンヤンも後に脱走される事になるイを殺す事を唯一反対した。

イの脱走は単にヒョンヤンの油断だとされるが、あえて逃げる機会を与えたともいわれた。

後にイがヒョンヤンが収監されている拘置所へ面会に訪れた時、
「わざと逃がしてくれたの?」
と尋ねると、わざと逃がそうとしたわけではないと述べ、謝罪したという。

殺人の理由については

「不平等で矛盾だらけの社会に対する怒り」

と述べ、逮捕された際、

「2000万ウォン (約200万円) 以上の車に乗る人間全員を殺さなきゃいけない!そうしないと俺の恨みは解けない」

と叫んでいたと住民が証言し、現場検証の時も

「偉い連中を殺そうとした」

と話していた。

サンロクはミジャ殺害以外、全ての犯行に参加し、組織内ではトンハを補佐する役割であった。

また、サンロクはギファンの次に年長者であった為、犯罪行為の際はあまり主導的な役割を引き受けなかった。

ただ、組織内ではギファン、ヒョンヤンに劣らない残酷な性向の持ち主で、殺人の際は犠牲者の苦痛を楽しんでいた。

ヒョンヤン同様ギファンに対しては絶対的な忠誠心を抱いており、唯一の生存者イ殺害を最後まで主張していた。

「女性は母親でも信じるな」という掟を破ったヒョンヤンとは逮捕時には険悪な仲になっていた。

ウンソプは犯行動機について

「顔の火傷の痕を無くす為の整形手術費用を調達するため」

と述べ、組織内では序列が下で主に犯行後の後始末を行っていた。

ピョンオクは組織に加入した理由を

「お金を稼いで両親に親孝行したくて」

と話し、組織内での役割は標的を物色する事だった。

最年少という事もあり組織内での地位は最も下であったが、他の組員に負けない積極性とギファンには絶対服従していた。

ギョンスクはイが逃げ出した後、トンハが料理や洗濯といった雑用をこなす女性組員が必要だと考え声をかけた。

ギョンスクはトンハがやっている犯罪を全て知った上で協力する事となった。

ギファンは強姦で早々に逮捕され、犯行には指示はしたものの、ほとんどの犯行に参加出来なかった。

この事について直接犯行から逃れる事で重罪を回避したのではと推測する専門家もいた。

裁判が始まると、ギファンは常にふてぶてしい態度で法廷に臨んだ。

犬を殺して食べた後、仲間のポンウンを殺害した事を問われると、

「一日に犬2匹を殺したに過ぎない」

と発言し、法廷は騒然となった。


同年10月31日、強盗殺人、死体遺棄、死体損壊、人肉食、強姦等でギファン、トンハ、ヒョンヤン、サンロク、ウンソプ、ピョンオクにはそれぞれ死刑が言い渡された。

ギョンスクは参加後、わずか2日で逮捕され、犯行に関与していないという事が考慮され、懲役3年、執行猶予4年が言い渡された。

死刑判決を言い渡されたギファンは、

「おい!金斗煥 (第11、12代大統領) と盧泰愚 (第13代大統領) は無罪なのに何で俺だけ死刑だ?これが世界の法律かよ!」

と喚き散らした (ただ実際は金も盧も無罪でなく軽い刑を宣告されている) 。

判決を不服として控訴するが、高等裁判所、最高裁判所も死刑を支持した。


1995年11月2日、ギファンら6人の死刑が執行された。

当時の韓国では通常、死刑執行まで最低2年はかかるのが通例であったが、異例の執行の早さであった。

これは『至尊派』が社会に与えた影響があまりに大きく、例外的に早い執行となったのだった。

また、韓国では「死刑判決時の大統領の任期中には死刑が執行されない」というのが暗黙のルールとなっていた。

警察は『至尊派』には余罪があるとみており、1994年4月5日、カンヌンで起きた身元不明の女性 (38歳) のバラバラ殺人事件や、同年8月28日に起きた交通事故偽装殺人事件は手口が非常に似ている事から『至尊派』の犯行ではないかとされ追加捜査が行われた。

しかし、結局それらの事件が『至尊派』によるものだという証拠は出なかった。

この『至尊派』による事件はその特異性、発想自体の猟奇性、衝撃の高さから現在も韓国では最も最悪な殺人事件に挙げる人が多い。


最後に犯罪について法廷で述べたギファンの発言で終わりたいと思います。

「子供の頃、先生に盗めと言われた。その通り生きてきただけだ」



《殺人数》
5人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1993年7月~1994年9月14日



∽ 総評 ∽

犯罪組織を結成し、殺人と強盗、強姦といった悪行の限りを尽くした『至尊派』。

その特異性や猟奇性、あまりの残酷さに韓国全土が震撼した。

その衝撃の強さから後に模倣した事件が多数起きている (今後掲載予定) 。

一般的にシリアルキラーはほとんどが単独で活動し、複数人で行われるとしても夫婦や恋人、兄弟や親戚といった血縁で行われる事がほとんどで、学校の後輩やちょっとした知り合いといった希薄な縁で殺人の為に集まり、しかも、6人という規模で行われるというのは世界的にみても非常に珍しい。

しかも、こういった犯罪組織というのは薄っぺらい表面上の結束の為、途中で仲間割れを起こし、組織が瓦解して逮捕に至るという事が大抵であるが、それなりの結束力と信頼関係が築かれていたというのは驚嘆といえる。

それもギファンという人間の残酷で非情な人間性、恐怖で縛り絶対的な存在として君臨したのが要因といえる。

ただ、ギファンが逮捕された時点で組織は解散してもいいものであるが、それでも続けられたというのはかなり特殊である。

また、ギファンが強姦で逮捕されなかった場合、事件発覚の要因となった女性は確実に殺されており、そうなった場合、組織は発覚せず尚犯行を続けていたと想像すると恐ろしくてならない。


* 追伸 *

実はギファンが『至尊派』結成の前に1度組織を結成していたとか、『至尊派』という名前は彼らは名乗っておらず、本来は『マスカン』という名称であった事など、おそらく知らなかった人は多いと思います (日本語wikiには香港映画からとられたとか、死刑になったのは5人とか間違って表記されている) 。

これを機に個人的に過去の記事で作り直したいと思っている記事 (『バルガー事件』や『コロンバイン高校銃乱射事件』等) がいくつかあるので、今後、再度作り直していこうと思います (1度作った記事なのでつまらないと思いますが) 。