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キム・ギファン (韓国)
【 1968 ~ 1995 】



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カン・トンハ (韓国)
【 1972 ~ 1995 】



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ギム・ヒョンヤン (韓国)
【 1972 ~ 1995 】



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ムン・サンロク (韓国)
【 1971 ~ 1995 】



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カン・ウンソプ (韓国)
【 1974 ~ 1995 】



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ペク・ピョンオク (韓国)
【 1974 ~ 1995 】



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イ・ギョンスク (韓国)
【 1971 ~      】



キム・ギファンは3歳の時に父親が死亡し、その為、家庭は深刻な貧困に悩まされた。

そんなギファンだったが、小学校6年の時には優等生として知られていた。

この頃のギファンは、
「リーダーシップが強く、クラスメートをよく統率していた。ただ、他人に対する干渉が激しかった」
であったという。

ある時、美術の授業で、ギファンはクレヨンを買うお金がなく、持って来なかった。

その事を先生に話すと、
「友達のを奪えばいいだろ」
と怒られた。

以降、ギファンは他人の物を盗むようになる。

中学生の頃、ギファンは優秀な成績を維持し、また、文章も巧みで運動能力も高かった。

しかし、この頃のギファンの生活記録簿によると、遵法精神が極めて低レベルであったという。

中学2年の時、母親が中風 (脳卒中などによる半身不随) で倒れると、ギファンは学校を退学し、お金を稼ぐ為に釜山へ向かった。

釜山に着くと、最初に靴工場で働いた。

そして、給料のほとんどを母親に送った。

ギファンは学業を中断した事への未練が残っており、時間が空いている時に勉強し、時々検定試験の準備を行った。

その後、数年の間、石炭会社や工事現場など仕事を転々とした。

しかし、母親の為に一生懸命働いていたギファンだが、いくら働いても何一つ変わらない現実についに挫折してしまい、検定試験の準備も止め、仕事も辞めて故郷に戻った。

故郷に戻ったギファンは、ギャンブルにのめり込み、よくポーカーを好んだ。

そんなギファンは「チジョン (至尊) 」というニックネームで呼ばれていた (これが後の『至尊派』の名前の由来となる) 。

だが、ギャンブルにのめり込んだギファンは借金を背負う。

その借金を返済する為に、ギファンは『もっている奴から奪う』という思考に至り「金持ちを恐喝して殺害する犯罪組織」の結成を計画する。


カン・トンハはギファンの小学校・中学校の後輩で、他の『至尊派』メンバーとは違い、家はごく普通の家庭で貧しいという事はなかった。

だが、両親はトンハを含め兄弟に対して関心を示さず、トンハは学生時代から暴力的でよくクラスメートに暴力を振るっていた。

また、ギファンとは異なり学業には全く興味を示さなかった。

この頃の生活記録簿には「何事に関しても無関心な傾向」「正しい生活が求められる」と記されている。

高校でムン・サンロクと出会い、一緒に窃盗を働き逮捕された。

その後、音楽に興味を抱き学校のバンド部に入るが、先輩たちの激しいいびりに遭い部活を辞めた。

そして、高校を中退し、サンロクと家出をしてソウルに移動する。

ソウルで肉体労働を行い、4年間で1500万ウォン (約150万円) 貯めるが、弁護士に騙され稼いだ金を奪われてしまう。

以降、トンハは富裕層に対して怒りと敵意を剥き出しにし、故郷に帰りギファン同様ギャンブルにのめり込んだ。

そして、ギファンと出会い『至尊派』結成に協力する。 

トンハはギファンに忠誠を誓い、サンロク、ペク・ピョンオク、カン・ウンソプをギファンに紹介し、組織に参加させる等、後に組織拡大に積極的な行動を見せた。


ギム・ヒョンヤンは中華料理店を経営する両親の長男として生まれ (他に弟と妹) 、家庭は比較的裕福であった。

しかし、12歳の時に父親が肝臓癌で死亡すると家庭は傾き始め、母親は食堂を始める。

だが、母親はポリオ (急性灰白髄炎) であった為、まだ幼かったヒョンヤンも食堂を手伝った。

ヒョンヤンの母親は外見が美しいと評判であったのだが、次第に母親は子供たちを放置して食堂の仕事で知り合った男性や父親の友人をはじめ複数の男性と関係を持ち、その事にヒョンヤンはショックを受ける。

その為、ヒョンヤンは家に帰りたくないと考えるようになり、家出同然の生活を送る。

この頃のヒョンヤンの生活記録簿によると「無気力で学業に興味を示さない」「注意力散漫で自分のやりたい事を見つけられない」と記録されている。

また、学生時代の教師はヒョンヤンは口数が少なく内向的で目立たない生徒であったと述べている。

ただ、ヒョンヤンは問題を起こす事はなく、暴力といった犯罪を犯す事はなかった。

だが、母親は父親の死後まもなく父親の友人と再婚し、この母親の裏切り行為に強い憎しみを抱く。

そして、その憎悪は次第に他の女性へと向けられるようになる。

ヒョンヤンは中学2年の時に母親と喧嘩して家を出ると、クァンジュに向かうがホームレスとして生活を始める。

そして、窃盗等を行いながらソウルへ向かい、様々な仕事に就いた。

そんな中、電気技術を学んで就職し、数年働いてお金を貯めると、トラックを購入して自ら商売を始めるが失敗してしまう。

その後、運輸会社に就職するが、間もなくギファンと出会い組織に参加する事となった。


ムン・サンロクは高校在学中に父親と兄が死亡し、高校の同級生であったトンハと家出をし、肉体労働を行った。

高校在学時の生活記録簿によると「学習に興味がなく偶発的な行為が懸念され自己抑制が出来ない」と記録されている。

その為、衝動制御障害が疑われた。

1991年に入隊するが、同年12月に除隊し、バーのウェイターをしている時にトンハと再会した。

その後、トンハに誘われ『至尊派』に参加する事となった。


カン・ウンソプは子供の頃、親が離婚した為、叔母に育てられた。

顔の両頬に火傷の痕があり、その事で学生時代は顔を上げるのを嫌がりいつもうつむいていた。

また、無気力で注意力が欠けていた。

高校1年の時、長期欠席により退学となり、ソウルとチョンジュを行き来した。

バーのウェイターをやっていた時にサンロクと知り合い、その紹介でトンハと知り合った。

そして、ギファンに会い

「大金を稼がせてやる」

と言われて組織に参加する事となった。

ウンソプはメンバーで唯一前科がなかった。


ペク・ピョンオクは貧しい家庭に生まれたが、両親から愛されて育った。

子供の頃から体が弱く、小学校の時に長期欠席を余儀なくされ、その為、学業への意欲を失った。

小学5年の時に先生に「体が汚れている」と言われた事で学校が嫌いになった。

中学校に進学すると、長期欠席に不良少年と交流し、窃盗で逮捕された。

刑務所に収監されている時にトンハと出会い、出所後にトンハと工事現場で働いた。

チョナンで肉体労働に従事していた時、トンハから「一攫千金を狙える」と誘われ『至尊派』に加入した。


イ・ギョンスクはアルコール依存症であった父と喫茶店経営の母のもとで生まれた。

高校2年で中退し家出すると、1992年まで居酒屋でウェイトレスとして働いたが、そこでトンハと出会い恋人となる。

そして、後にトンハに誘われ『至尊派』に加入する事となった。


②に続く



* 追伸 *

この『至尊派』の事件は以前、掲載していました。

ただ、個人的に内容が薄っぺらく、いつか作り直したいと思っていました。

そして、ハングル語の記事を見直すと色々わかった事があったので今回、再度作り直す事にしました。

以前に1度読まれた方にとってはつまらないと思いますが、読んで頂けると嬉しいです (元々記事があった所には別の記事を差し替えてます。2016年2月3日) 。