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マリア・スワーネンブルフ (オランダ)
【 1839 ~ 1915 】



マリア・カテリーナ・ヴァン・デル・リンデン=スワーネンブルフは、1839年9月9日、オランダ・ライデンで生まれた。

父親をクレメンス・スワーネンブルフ、母親をジョアンナ・ディンジャンといった。


1868年5月13日、スワーネンブルフはヨハネス・ファン・デル・リンデンと結婚する。

そして、スワーネンブルフは5人の息子と2人の娘を生んだ。

スワーネンブルフはライデンの貧しい地域で隣人のベビーシッターや病人、高齢者の世話をしていた。

その為、スワーネンブルフは『Goeie Mie』と呼ばれ近隣住民から慕われていた。


1880年、スワーネンブルフは母親のジョアンナをヒ素で毒殺する。

そして、間もなく父親のクレメンスも毒殺した。


1883年12月、スワーネンブルフは逮捕されるのだが、これまで確実な数でも27人をヒ素で毒殺している事が判明する。

その27人の内、16人は家族や親戚だった。

ただ、スワーネンブルフの周りには90人の不審死を遂げた人間がおり、一説では最大で102人に及ぶとされている。

また、45人は生き残ったが、慢性的な後遺症が残った。

肝心の殺害動機だが、保険金や遺産や財産狙いであり、保険契約のほとんどを自ら言葉巧みに導いて加入させていた。


1885年4月23日、裁判が始まり、立証された3人の殺人で有罪判決を受け、終身刑が言い渡された。


1915年4月11日、刑務所で死亡した。

享年76歳。



《殺人数》
27人 (90人以上の可能性あり)

《犯行期間》
1880年~1883年



∽ 総評 ∽

『Goeie Mie』と呼ばれ、保険金や財産目当てで少なくとも27人を殺害したスワーネンブルフ。

女性の殺人動機のほとんどが「怨恨」か「お金」であり、スワーネンブルフも後者であった。

しかも、殺害方法も大抵が毒殺であり、スワーネンブルフもそうであった。

ただ、いくら古い時代とはいえ、殺害数は驚異的である。

27人いう事は、1880年から1883年の3年間だと平均で年間9人殺害している事になり、快楽殺人ではなく保険金や遺産目当ての犯行にしてはかなりのハイペースといえる。

オランダは死刑が完全に廃止されたのは1982年であるが、通常の犯罪に関しては1870年にすでに廃止しているので、スワーネンブルフも死刑になる事はなかった。

1870年といえば日本はやっと明治に入ったくらいであり、そんな時期に死刑を廃止しているという事は、これまでどれだけの無駄な税金が凶悪犯罪者たちに遣われたのだろう。

考えるだけでも嫌気がさすので止めたいと思う。