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イ・スンチョル (韓国)
【 1967 ~      】



殺人罪で懲役12年が言い渡されていたイ・スンチョルは、1989年、仮釈放となり10年振りに外に出た。

スンチョルはパク・ジェボム、チャン・ジョンビン、ジョン・ドクスらと犯罪組織『ヨン・ウン・パ (英雄派) 』を結成する。

スンチョルは組織のリーダーとなった。

スンチョルは他のギャングとは異なる方法をとり、暴力を請け負ったり警護等で資金を調達した。

その後、メンバーも増え、犯罪も繰り返すようになる。


1999年10月22日午前5時、大田広域市西区炭坊洞で、組織のメンバーが集まり酒を飲んでいた。

すると、組織の1人グァク・ジョンギル (29歳♂) が、スンチョルの同居人ガン・ジョンスク (25歳♀) に礼儀の欠いたなげやりで乱暴な言葉を吐いた。

それを知ったスンチョルは激怒し、他のメンバーにジョンギルへの暴行を指示する。

メンバーはすぐに行動に移し、集団で蹴る殴るの暴行を加える。

あまりの激しいリンチにジョンギルは気絶する。

メンバーは気絶したジョンギルを車に乗せ、自分達のアジトへ運んだ。

当初は暴行で終わらせるつもりだったが、目を覚ました後に自分達がジョンギルから報復されると思い、同日午後6時頃、ハンマーで殴りかかり腹部をナイフで滅多刺しにして殺害した。

スンチョルは痕跡を残さない為にジョンギルの遺体を解体するよう指示する。

ジョンギルの遺体を風呂場に運ぶと、包丁3本を使って骨と肉を切り離した。

ジョンギルの遺体を解体し、指紋も無くし歯を粉々にした後、絶対に口外しないという覚悟と結束の為と言ってスンチョルは他のメンバーにジョンギルの内臓や肉片を焼酎のつまみとして食べるよう指示する。

スンチョルも食べ、ジョンスクも食べた。

その後、残った遺体を11個のゴミ袋に分けて入れ、車に積むと大田広域市儒城の山奥に向かい、崖から谷底にゴミ袋を捨てた。

そこは人通りがほとんどなく、昼間でも車が2、3台通るか通らないかという場所であった。


完全に隠蔽出来たかと思っていたが、メンバーの1人がソウル地検に犯行を告白した為、1週間後の29日、『ヨン・ウン・パ』のメンバー全員が逮捕された。

供述によりジョンギルの遺体が入ったゴミ袋が回収されたが、あまりの凄惨な様子に身元確認の為にDNA鑑定を行わなければならない程であった。

事件が公になると、韓国全土が震撼した。

裁判で一審でスンチョル、ジェボム、ジョンビンの3人には無期懲役が、ドクスには懲役25年が言い渡された。

しかし、二審で人肉を食べた悪質で異常な犯行を促したスンチョルには厳格な処罰が必要だとして、死刑を言い渡した。

通常、韓国では1人殺害では死刑は誘拐殺人を除けばほとんど下される事はなかったが、それほど今回の事件は世間に与えた衝撃が大きかった事を意味していた。

その他のメンバーの罪は一審を維持された。

スンチョルは最高裁に上告したが、最高裁も死刑を支持した。


2000年8月、ジョンビンは刑務所で首を吊って自殺した。

1994年に『至尊派』が、1996年に『マク・ガ・パ』が、そして、1999年にこの『ヨン・ウン・パ (英雄派) 』の事件が起きた。

犯罪集団によるこの立て続けの事件は、韓国全土に衝撃を与え、社会に深刻な影を落とした。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1979年?、1999年10月22日



∽ 総評 ∽

仲間を殺害し解体、その肉を仲間と共に食べたスンチョル。

スンチョルは殺人罪で有罪となり、1989年に10年振りに仮釈放された。

逆算すると1979年前後に殺人を犯している事になるのだが、そうだとしたらスンチョルは12歳前後である。

仲間を殺害するというのはこういった鬼畜集団ではよくある事で、珍しい事はない。

ただ、解体した後、組織の結束力を高める為にその肉を食らうというのは異常という他ない。

1990年代は『至尊派』、『マク・ガ・パ』、そして、この『ヨン・ウン・パ』と、韓国では相次いで犯罪集団が跋扈した。

ただ、この『ヨン・ウン・パ』その前の2つに比べればそれまで残酷な犯行は行っていない。

殺したのも仲間であるし、前者2つの集団に比べればまだましな方かもしれない。

『至尊派』、『マク・ガ・パ』、『ヨン・ウン・パ (英雄派) 』は韓国における3大犯罪集団と言っても過言ではないだろう。