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エドムント・コラノフスキー (ポーランド)
【 1947 ~ 1986 



エドムント・コラノフスキーは、1947年10月24日、ポーランド共和国で生まれた。

兄アンジェイが2歳で亡くなり、その為、母親はコラノフスキーを何度もミウォストヴォ墓地へ墓参りに連れて行った。

小学校に入学したコラノフスキーだったが、精神的な問題により、医師から精神障害者の為の施設に入るよう促される。

その為、コラノフスキーは1年、3年、5年をそれぞれ2年過ごす事となった。

11歳の頃から死体を見る事を好み、よく病院に出入りしていた。

15歳の時、コラノフスキーはポズナンの中心で見知らぬ女性に声をかけるようになる。

コラノフスキーは逮捕され、少年裁判所から青少年矯正施設への拘留を命じられる。

しかし、その命令は2年間猶予される。

この頃、コラノフスキーは自殺を図るが救助され助かっている。


1966年、コラノフスキーは囚人を殴ったとして懲役1年6ヶ月が言い渡される。


1967年11月、刑期を終え出所した。

その後、職業訓練学校で勉強し、時間は掛かったが卒業し、電気技師として働き始める。


1970年、ゾフィアという名前の女性と結婚し、1970年と72年にそれぞれ娘が生まれた。


同年10月27日、コラノフスキーはバボルフコの駅近くで、カジミラ・G (21歳♀) を殺害する。

殺害後、遺体を解体し、バラバラにして遺棄した (遺体は現在も見つかっていない) 。


1972年、墓地で遺体を掘り起こし持ち去ると遺体をバラバラにし、胸と性器を切り取り、マネキンに縫い付けた。

そして、数日間楽しんだ後、遺体を自宅の暖炉で燃やした。


同年、コラノフスキーは女性を脅してルサウカ湖に連れ込むと、殴る蹴るの暴行を加え、髪を引き裂いた。

その後、コラノフスキーは民兵によって拘束され、裁判では別の女性を襲っている事が判明し、3人の女性への暴行で懲役9年が言い渡された。


1979年、コラノフスキーは出所した。


1980年7月、コラノフスキーはノバ・スルの墓地で遺体を掘り起こし、礼拝堂で解体した。


1981年3月16日、首都ワルシャワで20歳の女性を殺害する。


1982年2月26日、ナラモビツェの墓地の礼拝堂で遺体を盗み、バラバラにした。


同年11月4日、ナラモビツェで11歳の少女を殺害する。


同年11月29日、ポズナンのミウォストヴォ墓地で遺体を掘り起こし、持ち去ると解体した。

そして、胸と性器を切り取りマネキンに縫い付けるの数日間、愛撫し最後は燃やした。


1983年1月28日、再びミウォストヴォ墓地から遺体を掘り起こし持ち帰ると、これまで同様胸と性器を切り取り、マネキンに縫い付けると、数日間、愛撫し最終的には燃やした。


同年5月7日、コラノフスキーはミウォストヴォ墓地に向かうが、民兵によって待ち伏せに遭う。

しかし、コラノフスキーは民兵の追っ手を振り切り、何とか逃げる事が出来た。

だが、逃げる際、コラノフスキーは自身が働いているプラスチック加工会社の紙を落としてしまう


同年5月16日、コラノフスキーは工場で働いている所を逮捕された。

逮捕されたコラノフスキーは尋問に対し、これまでの犯行を認めた。

殺害された少女の血液型が特殊であり、その血がコラノフスキーの上着に付着していた。


コラノフスキーは3件の殺人、5件の遺体損壊、窃盗等で起訴され、1985年1月22日から裁判が始まった。 

専門医はコラノフスキーが犯行時、精神的に病気ではなかったと主張した。


同年6月4日、コラノフスキーには死刑が言い渡された。

弁護士は上訴し、判決の見直しを訴えたが最高裁判所は判決を支持した。


1986年7月28日、ポズナンの刑務所で絞首刑による死刑が執行された。

享年38歳。

コラノフスキーはポズナンの刑務所で死刑が執行された最後の人物であった。


2014年、このコラノフスキーの事が書かれた「Dead bodies」という本が出版されている。



《殺人数》
3人 (他死体損壊等)

《犯行期間》
1970年10月27日~1982年11月4日



∽ 総評 ∽

遺体を掘り起こして胸と性器を切り取り、マネキンに縫い付けたコラノフスキー。

コラノフスキーは墓地で遺体を掘り起こし、解体してマネキンに縫い付け愛撫したが、典型的なネクロフィリアといえる。

その犯行はかのエド・ゲインを彷彿とさせるものがある。

ただ、不思議なのはコラノフスキーは3人殺害しているが、その3人に関しては胸と性器を切り取られマネキンに縫い付けられたという詳細がなかった。

詳細がないだけで普通にやっていたのかもしれないが、もしかしたら新鮮な遺体には興味がなかったのかもしれない。

コラノフスキーのように遺体に愛着や執着する異常者は少なくないが、個人的に意外に多いのが不思議でならない。

趣味嗜好は人それぞれといえど、ネクロフィリアのどこに魅力を感じるのか全くわからない。

コラノフスキーは小学生の時にすでに精神的な問題がありと診断されており、これらは放置した結果当然ともいえる。

コラノフスキーは10代の頃に自殺を図り、救助されてしまっているが、この時死んでいればと思うと悔やまれてならない。