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マリアム・ソラキオティス (ギリシャ)
【 1883 ~ 1954 】



マリアム・ソラキオティスは、1883年、ギリシャ・ケラテアで生まれた。

ソラキオティスの幼少期についてはほとんどわかっておらず、貧しい家庭で育ち、23歳まで農場で働いた。

ギリシャ正教会のマシュー神父が、自身の考えと旧暦があまりにかけ離れているとし、新たな宗派を設立する (マシュー派) 。

ソラキオティスはマシュー派の考えに賛同し、その信奉者となった。

ソラキオティスはマシュー派の大司教や修道司祭と共に修道院を設立する。


1927年、ソラキオティスは大修道院長として修道院を引き継いだ。


1949年頃、修道院周辺の地元の村人達が、修道院から叫び声を聞く。


1950年、元マシュー派の改宗者の娘が、検察官に連絡し、ソラキオティスに母親の遺産を強制的に奪われたと訴える。

これを受け、検察官は調査を始める。

すると、修道院から次々と遺体が発見される。


同年12月、ソラキオティスと数名の修道女が逮捕される。

ソラキオティスは裕福な女性に目を付けると勧誘し、修道院に誘った。

そして、家族との接触を断たせ、食べ物を与えず悪魔を追い払うという名目で鞭打ち、寄付するまで拷問を繰り返した。

寄付させるとそれを横領し、いくつかのケースでは女性を殺害した。

ソラキオティスはこの方法で逮捕時には金品や宝石等、300以上の財産を所持していた事が判明した。

また、ソラキオティスは修道院の子供達に厳しい禁欲的な生活を強要した。

従わない子供を殴打し、食べ物を与えず、数々の拷問を行った。

その為、衰弱死や結核などの病気にもかかり150人の主に子供が無駄に死亡してしまったと推測された。

その内、1人はアメリカ・オハイオ州トレドのイリーナ・スピリデス (22歳♀) である事が判明した。

スピリデスはアテネに旅行中に失踪していた。

だが、これら犯罪に対して犯行を否認し、また、ソラキオティスが行ったという確実な証拠が無かった。

その為、ソラキオティスは1938年から12年間、少女を修道院に不法に拘束した罪のみで起訴となった。


1951年9月、ソラキオティスは懲役2年2ヶ月が言い渡された。

他の修道女も共犯者として有罪判決を受け、懲役4ヶ月が言い渡された。


1952年、ソラキオティスと8人の修道女、偽の司教らが、詐欺により起訴され、1953年2月6日、ソラキオティスは懲役10年が言い渡された。

他の修道女らには3年から10年の懲役刑が言い渡され、偽の司教には懲役1年が言い渡された。


そして、ソラキオティスは再度、横領、詐欺、違法な拘束、虐待等の罪で起訴され、同年11月18日、更に懲役4年が言い渡された。

ソラキオティスは一貫して無実を主張した。


1954年11月23日、アベロフ刑務所で死去。

享年71歳。

ソラキオティスによる正式な犠牲者数は不明だが、専門家によると、裁判中のソラキオティスの発言から少なくとも177人は殺害しているとされている。

また、女性のしかも修道院に身を置く人間による凄惨な連続殺人は研究者も
「他に類をみない事件で、チャールズ・マンソンよりも遥かに悪質である」
と述べている。

現在もソラキオティスを無実と信じ、聖人として崇拝する者も少なくない。


最後に無実を主張したソラキオティスが、罪状を告げられた際の発言で終わりたいと思います。

「悪魔の作り話」



《殺人数》
177人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1938年~1950年



∽ 総評 ∽

『The Woman Rasputin (女ラスプーチン) 』または『The Convent of Horrors (恐怖の修道院) 』と呼ばれ、177人を殺害したとされるソラキオティス (ラスプーチンはニコラウス2世の宮廷での宗教的なアドバイザーであったシベリア人の農民の僧) 。

ソラキオティスは修道院のトップとして女性を誘惑し、金品を奪って殺害した。

また、修道院で面倒をみている子供達を拷問し、殺害した。

これらは普通に考えても凄惨な犯行なのに、それを修道院という仮にも神聖とされる場所で繰り広げられていたという事に驚きを隠せない。

ただ、本人はあくまでも無実を主張し、確実な証拠も存在していない。

今から何十年も前の話しなので、詳細についてはわからず、177人というのも正直なんともいえない。

しかし、ソラキオティスが無実であるという事はまずあり得ず、時代を考えればもしかしたらもっと酷い可能性すらある。