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ヒューゴ・シェンク (オーストリア)
【 1849 ~ 1884 】



ヒューゴ・シェンクは、1849年2月11日、オーストリアのチェヒ・ポト・コシージェム (現チェコ共和国) で生まれた。

父親はポーランドのチェシンで働く裁判官だった為、家は裕福であった。

兄はオーストリアのマリア・ターフェルで医師として働いていた。

シェンクは「ウィロポルスキー」という偽名を使い、結婚詐欺師として女性を騙した。


1870年12月5日、シェンクはミーロフ矯正施設へ5年間の滞在を宣告された。

2年後、シェンクは釈放された。


1881年、シェンクは再び結婚詐欺で逮捕され、有罪判決を受けた。

刑務所に収監されたシェンクは、窃盗で逮捕され収監されたカール・チュロサレクと出会う。


1883年1月、シェンクは釈放されると首都ウィーンで鉄道技師として働き始める。

ここでメイドとして働いているジョセフィーヌ・チマル (34歳♀) と出会う。

シェンクはチマルに結婚の約束をすると、チマルは全財産と貴重品を鞄に詰め、シェンクとポーランドのクラクフに新婚旅行に出掛けた。

だが、シェンクはチェコのフラニツェ・アビス近くでチマルを強姦し、チュロサレクの助けを借りて縛った。

チマルは命乞いをするが、貴重品を奪ってから石で頭を殴り殺害した。

ブジェヨビツェ (チェコ) でメイドとして働いているチマルの叔母カタリーナがチマルの失踪に気付く。

その事を知ったシェンクはカタリーナ殺害を計画し、チマルと結婚したという嘘の手紙を書いてカタリーナを誘き寄せた。


同年6月21日、駅にカタリーナを迎えに行き、クルンムヌスバウム (オーストリア) に連れて行くと、そこでチュロサレクとカタリーナを殺害した。

カタリーナの貴重品を全て奪った後、遺体をドナウ川に沈めた。


同年8月、シェンクはリリエンフェルト (オーストリア) の峡谷で、メイドのテレジア・ケテル (♀) を殺害し、貴重品を奪った。


同年12月28日、キッツェー (オーストリア) でシェンクとチュロサレクは、メイドのローザ・フェレンツィ (♀) を殺害し、貴重品を奪った後、ドナウ川に捨てた。


1884年1月10日、シェンクは逮捕され、翌日にはチュロサレクも逮捕された。

裁判でシェンクとチュロサレクには死刑が言い渡された。


同年4月22日、シェンクとチュロサレクには絞首刑による死刑が執行された。

享年35歳。

尚、シェンクは死刑執行後、神経内科医モリッツ・ベネディクトによって剖検され、頭蓋骨はウィーン犯罪博物館に現在も展示されている。

作家エーゴン・キッシュは、シェンクに襲われ生き残った女性を扱った物語を書いている。



《殺人数》
4人 (他結婚詐欺)

《犯行期間》
1883年~同年12月28日



∽ 総評 ∽

『The Vinnese Housemaids Killer (ウィーンのメイド殺人者) 』と呼ばれ、4人の女性を騙して殺害したシェンク。

シェンクは現代で言う典型的な結婚詐欺師だが、犠牲者は呼び名が示す通り全てメイドであった。

流石に偶然という事はないだろうが、何故、メイドばかりを狙ったのかよくわからない。

もしかしたら、メイドという状況が結婚をちらつかせて誘き寄せるのに容易だったと知っていたからかもしれない。

今から100年以上も前の話であり、詳細に乏しいが、逮捕から死刑執行までわずか3ヶ月程しかない。

この時代はまだ、世界はどの国も厳罰で即執行であったが、原点回帰じゃないが戻って欲しいと思う。