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マイケル・ペリー (アメリカ)
【 1982 ~ 2010 】



マイケル・ジェームス・ペリーは、1982年4月9日、アメリカ・テキサス州ヒューストンで生まれた。


2001年10月24日、ペリーは友人のジェイソン・アーロン・バーケットと、友人のアダム・ストットラー (17歳♂) の両親が所有する2台の車を盗む事にする。

アダムの家に到着した2人は、バーケットが玄関のドアをノックする。

その間、ペリーは散弾銃で武装してガレージの裏口から家に侵入し、洗濯室に隠れバックドアをノックした。

すると、サンドラ・ストットラー (50歳♀) が裏口に向かい、洗濯室を開けると、ペリーは横からサンドラを撃った。

サンドラは倒れた後、起き上がろうとするが、再び撃って射殺した。

家にはアダムは居らず、この時はサンドラしかいなかった。

ペリーとバーケットはサンドラの遺体をトラックの後ろに積み、近くの湖まで運ぶとそこに捨てた。

その後、ペリーとバーケットは仕事を終えた別の友人クリスティン・ウィルズを迎えに行きアダムの家へ戻った。

丁度その時、アダムが友人のジェレミー・リチャードソン (18歳♂) と家に戻って来る。

すると、ペリーとバーケットはアダムとリチャードソンに、友人が森の中で撃たれて助けが必要だと言って森の中へ連れ込む事に成功する。

アダムとリチャードソンをトラック近くの樹木の生い茂った場所に導くと、2人を撃って射殺した。

そして、ペリーとバーケットはペリーの家に行き、その後、バーに行った。


2日後の26日、ペリーは交通違反で高速道路で止められる。

警察が車内からアダムの財布を見つけ、ペリーは逮捕された。

ペリーとバーケットはストットラー一家殺害で起訴されるが、保釈金を支払い保釈されると2人は逃走する。

しかし、2人はすぐに逮捕される。

凶器の散弾銃も見つかり、また、ペリーの証言通り証拠も見つかった。

裁判はペリーとバーケット別々に行われた。

ペリーは殺人について自分を守る為だと主張した。

また、バーケットがリチャードソンを撃ち、その次にアダムを撃ったと主張した。

しかし、その事をバーケットに話すと、ペリーが2人を撃ったと反論した。

結局、陪審員はペリーが殺害したと判断し、ペリーには死刑が、バーケットには終身刑が言い渡された。


2010年7月1日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年28歳。

ペリーのスペシャル・ミール (特別な食事) は、3つのベーコン、卵、チーズのオムレツ、3つのチキンチーズのエンチラーダ、コーラとペプシを3つであった。

執行前の最後の言葉を求められると、ペリーは

「私がこの残虐行為に関与している事を皆に知って欲しいという事から始めたいです」

と述べ、一瞬涙を流すと、

「お母さん愛してます。私は家に帰ります。お父さん、私は家に帰ります」

と囁いた。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
2001年10月24日



∽ 総評 ∽

友人の家の車を奪う為に3人射殺したペリー。

ペリーは車を盗む為に友人の家を襲撃したが、強盗目的はわかるが何故、突如友人を襲ったのかわからない。

ただ単に若さ故の短絡的犯行かもしれないが、アダムの家がお金持ちで狙ったのかもしれない。

だが、ペリーの家や家庭環境が詳細がなくわからない為、これ程の異常性を備えた理由もわからない。

これまで凶悪犯の処刑前の最後の言葉をいつくも紹介してきた。

最後まで悪者らしい言葉や聞くに耐えない罵詈雑言、往生際の悪いセリフ、開き直った発言や後悔、真意は別として謝罪など、凶悪犯によって最後の言葉は様々である。

ペリーは家族の事を語り、涙を流し愛していると述べ、家に帰ると述べた。

両親との関係はよくわからないが、ここまでの言葉を最後に述べるのは嘘だとしてもあまりない。

ただ、犠牲者や遺族からすれば「お前に親の事を愛する資格はない」と言いたい所だが。