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カール・ウィリアムズ (オーストラリア)
【 1970 ~ 2010 】



カール・アンソニー・ウィリアムズは、1970年10月13日、オーストラリア・ビクトリア州メルボルンで生まれた。

父親をジョージ、母親をバーバラといった。

ウィリアムズは友人や兄シェーンと西メルボルンで幼少期のほとんどを過ごした (友人は1997年にヘロインの過剰摂取で死亡している) 。

ウィリアムズはブロードメドーズ専門学校に通い、その後、薬物の密売で逮捕歴のあるロバータ・メルシエカ (1969年3月23日生) と結婚する (2001年3月10日、1人娘ダコタが生まれる) 。

ウィリアムズは様々な職に就くが長続きせず、最終的には妻と協力して子供服店を経営した。


1990年5月、盗品を所持していたとして逮捕され、罰金400ドル (約3万円) を命じられた。


1994年12月、薬物を輸送しようとした罪で逮捕され、懲役12ヶ月、執行猶予2年6ヶ月が言い渡された。


1999年10月13日、ウィリアムズはギャングのジェイソン・モラン (♂) に腹部を撃たれる。

以降、メルボルンでギャングによる激しい抗争が繰り広げられる。


同年11月25日、ウィリアムズは父親ジョージや他の仲間と結託し、ブロードメドーズにある違法ドラッグ工場「Fir Close Unit」を襲撃する。

そして、麻薬密売で逮捕され起訴された。

警察は25,000錠以上のアンフェタミンを押収した。

これは最大で2000万豪ドル (約15億円) の価値と推測された。

逮捕されたウィリアムズは、自分はギャングではなくプロのギャンブラーだと説明した。


2000年6月15日、アバーフェルディでウィリアムズは自宅に戻ったギャングのマーク・モラン (35歳♂) を射殺する (マーク殺害は後に殺人で起訴される予定であったが他の殺人で有罪を認めた為起訴が取り下げられた) 。


2003年6月21日朝、ストラスモアにあるクロスキーズホテルの駐車場で、ジェイソン (35歳) と仲間のパスクアーレ・バルバロが、フットボールクリニックに子供を迎えに来ていた所を射殺される。

この時、クリニックは終わったばかりで、多くの大人や子供が大勢いた中で発砲が行われた。

後に『The Runner』という愛称で呼ばれるヒットマンが逮捕されるが、ウィリアムズに殺すよう頼まれ、お金を受け取ったと述べた。


2003年8月18日、マーク・マリア (♂) の遺体が発見される。

消防署に火災の通報が入り、消防隊員が現場に駆け付け消火作業を行い、焼け焦げたマリアの遺体を発見した。


同年10月25日、サウス・ヤラでマイケル・マーシャル (♂) が5歳の息子の前で撃たれて死亡した。


2004年3月31日、ブランズウィックでジェイソンの父ルイス・モラン (63歳) が射殺される。


同年10月29日、ウィリアムズは麻薬密売で逮捕される。

この罪で7年の禁錮刑が言い渡される。

しかし、警察はこれまでメルボルンで発生していたギャングによる抗争にウィリアムズが関与していると考える。


2006年7月19日、ウィリアムズはマーシャル殺害で21年は仮釈放の可能性がない懲役27年が言い渡された。


2007年2月28日、ビクトリア最高裁判所でウィリアムズはルイス、ジェイソン、マリア殺害を認めた。

また、ウィリアムズはライバルであったギャング、マリオ・コンデロ殺害を計画していたと自供した。


同年5月7日、ジェイソンとマリオ殺害で2つの終身刑が言い渡された。

また、ルイス殺害とコンデロ殺害の陰謀でそれぞれ25年の禁錮刑が言い渡された。

実は1998年1月16日から2010年8月13日までギャングによる殺人事件が36件発生していた。 

これは『The Melbourne Gangland Killings (メルボルン暗黒街殺人) 』と呼ばれ、ほとんどが未解決事件だったが、10件はウィリアムズが関与しているとされた。


2010年4月19日、ウィリアムズはバーウォン刑務所内で頭部外傷により死亡する。

当初、原因がわからなかったが、後にマシュー・チャールズ・ジョンソンが殴った事が判明する (マシューは2011年12月に懲役32年が言い渡されている) 。


同じ日、ビクトリア警察がウィリアムズの娘に8000豪ドル (約60万円) の学費を支払っていた事が判明すると、オーストラリア各地で抗議が起こった。


同年4月30日、ウィリアムズの葬儀が行われるが、ウィリアムズの棺は黄金であった。


2011年、裁判でウィリアムズが未解決の殺人事件に関する情報を提供する代わりに、娘の学費を払う約束をした事が明らかになった。



《殺人数》
5人 (他麻薬関連犯罪多数)

《犯行期間》
2000年6月15日~2004年3月31日



∽ 総評 ∽

ギャング抗争の末、5人を殺害したウィリアムズ。

ウィリアムズは麻薬を密売する程のギャングであったが、いまいちいつどこのギャングに所属したのかわからない。

おそらく親がそもそもギャングか自分でギャングを作ったのだと思われる。

ギャングによる抗争はアメリカや南米、ヨーロッパ等世界各地で発生している。

日本の暴力団による抗争のようなものだが、正直、比較にならない。

日本ではたまにニュースで報じられる程度の発生であるが、海外の抗争は頻繁に発生し、市民も巻き込まれる予断を許さないレベルである。

ただ、このウィリアムズに関しては相手も悪名高きギャングであり (モラン一家はメルボルンで有名なギャング一家) 、凶悪犯同士殺し合いをしてくれるというのは良い事である。

ウィリアムズは刑務所で殴り殺されたが、殺害したマシューが他のギャングから指示を受けて行ったのかはわからない。

理由はなんだろうが死んでくれたのは良かったと思う。