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エリック・ロバート (アメリカ)
【 1962 ~ 2012 】



エリック・ロナルド・ロバートは、1962年5月31日、アメリカ・マサチューセッツ州で生まれた。

その後、すぐにウィスコンシン州に引っ越す。


1980年、ヘイワード高等学校を卒業した。


1988年、ウィスコンシン大学を卒業し、ヘイワードに戻り少年野球のコーチを務めた。


1992年、ロバートはボランティアサービスに加入する。


1994年、ロバートは廃水処理プラントで働き始める。


2005年7月24日、ロバートは警察官を装い、18歳の女性を拉致し、車のトランクに詰め込んだ。

しかし、女性が携帯電話で誰かに連絡しているのを聞いた為、車で少し離れた場所まで運転した後、車を捨てて逃走した。

女性は無傷であり、すぐに警察に駆け込みその後、ロバートは逮捕された。


2006年1月3日、有罪判決を受けたロバートには懲役80年が言い渡された。


2007年、ロバートは高度なセキュリティで有名なサウスダコタ州立刑務所に移送される。


2009年、ロバートはウィスコンシン州の刑務所への移送を申請するが拒否される。


2011年4月12日、刑務所のドアのロックが切断された事が判明すると、ロバートは囚人仲間のロドニー・バーゲットと協力し、看守のロナルド・ジョンソン (62歳) の頭を布で覆いパイプで殴り殺す。

ロバートとバーゲットは看守の服を着ると、脱獄を試みる。

しかし、その前に見つかり捕獲された。


同年9月16日、ロバートは有罪判決を受け、同年10月20日、死刑が言い渡された。

共犯者のバーゲットにも死刑が言い渡された。


2012年8月、サウスダコタ州最高裁判所もロバートの死刑判決を支持した。


同年10月15日午後9時31分、致死量の注射による死刑が執行された。

享年50歳。

スペシャル・ミール (特別な食事) だが、ロバートは処刑40時間前から断食しており、最後に食べたのはムーストラックスのアイスクリームだけであった。

また、最後の言葉は

「正義と自由と慈悲の名において、ウォーデン・ダグラス・ウィーバー (ロバートの死刑執行日を発表した人物) が私の罪の為に私を処刑する事を承認し、許します」

ロバートの執行は2012年、全米で執行された32人目であり、サウスダコタ州としては1人目。

1976年にアメリカで死刑が復活して以降、全体の1309人目であり、サウスダコタ州としては2人目であった。



《殺人数》
1人 (他誘拐未遂)

《犯行期間》
2011年4月12日



∽ 総評 ∽

看守を殺害して死刑が執行されたロバート。

ロバートが珍しいのは、刑務所に入る前までは殺人は行っておらず (未遂はあったが) 、刑務所に入ってから看守を殺害している所だ。

処刑されたのは良い事だが、看守が1人殺されているので複雑な心境である。

上述した通りロバートの死刑執行はサウスダコタ州としては1976年に死刑が復活して以降、2人目であった。

そもそもサウスダコタ州が死刑復活以降、初めて執行したのが2007年であり、30年以上執行していなかった。

しかも、2018年まで執行数はたった4人という死刑に消極的な州であった。

ただ、サウスダコタ州は2018年までで死刑判決を下された死刑囚が11人しかおらず、その為、死刑執行割合は36%となり、384人の死刑判決を下してわずか3人しか執行していないペンシルベニア州に比べれば遥かにましであるが (ペンシルベニア州は2015年に死刑を停止している) 。