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アンジェラ・モンゴメリー (アメリカ)
【 1962 ~      】



2015年3月10日、アメリカ・テネシー州マーフリーズボロで、アンジェラ・モンゴメリーの裁判が始まった。

罪状は児童強姦20件、強姦6件、近親相姦12件、脅迫2件の計40件であった。

しかも、その強姦の相手というのが実の息子アラン・フォン・モンゴメリーであった。

犯行は1999年から2003年の間で行われ、アランが9歳から13歳の時だった。

証言台に立ったアランは犯行が始まった時の様子を
「学校で性教育を教わるようになってから母に尋ねると『ママが全部教えて上げるわ』と言われて始まった」
と赤裸々に語った。

そして、アランはアンジェラの体を愛撫するよう強要された。

行為は次第にエスカレートとしていき、性行為を行うに至った。

ただ、幼かったアランは
「私はそれが普通だと思った」
と話した。

その後、同級生たちと話をした際にそれが異常な事に気付いたのだった。

母親の強姦に耐えきれなくなったアランは、実は6回も児童福祉局に相談に行っていた。

だが、福祉局の職員に
「実の母親がこんな幼い息子を強姦する事などありえない」
として相手にしなかった。

また、アランは母親に強姦されていたのは自分だけではなく、弟マイケル (1993年生) や妹アンナ (1996年生) に対しても性的虐待をしていたと証言した (もう1人末っ子のジョナサンがいるが、ジョナサンはダウン症であった) 。

アランはアンナやマイケルが、無理やり母親を胸を吸わされていたのを目撃していた。

一時、アランは自立してアリゾナ州に移住し、一人暮らしを始めるが、妹や弟の事を心配し再び戻った。

その後、訴えた事により裁判が始まったのだった。

アンジェラは1983年にポール・フォン・ウェブという男性と結婚した (アンジェラもポールもエホバの証人であった) 。

そして、子供たちを授かったが、ポールが借金を抱え1997年に離婚した。

アンジェラは犯行時、幼い子供たちと障害をもつ子供を抱え、とても大変であり、記憶がないと主張した。

実は2012年にアンナも「母親に性的虐待を受けている」と裁判所に訴えていた事が判明する。

だが、この時もあり得ないとして訴えは却下されていた。

父親であるポールも法廷に出廷し、
「全く知らなかった。子供たちにとってこれ以上の悲劇はない。彼女 (アンジェラ) に治療が必要なのは明らかだ」
と語った。


裁判は同年3月13日まで続き、有罪判決が下された。

法廷を出たアランは涙を流しながら
「やっと終わりました」
と語った。


同年5月6日、アンジェラには懲役40年が言い渡された。

判決を聞いたアランは
「私は長い間、この日を待っていました。彼女がもう誰も傷つけない事を願っています
と述べている。



《被害者数》
3人

《犯行期間》
1999年~2003年



∽ 総評 ∽

実の子供を強姦し続けたモンゴメリー。

近親相姦というのはそれ自体珍しい事ではない。

ただ、このモンゴメリーのケースが異質なのは、通常、近親相姦といえば父親が娘を強姦するのがほとんどであり、母親が子供を強姦している所だ。

モンゴメリーの元々の異常性もそうだと思うが、離婚により4人の子供を抱え (この時子供たちは1歳から8歳) 、障害を持つ子や育児により精神的に追い詰められたのかもしれない。

だからといって子供を好きで産んだのは本人であるし、とても許される事ではないが。

凄惨で陰惨な事件ではあるが、問題なのは児童福祉局や裁判所の対応だ。

「母親がそんな事するわけない」「あり得ない」としか却下されてしまい、発覚が何年も後になってしまった。

よく「子供の言う事は信用できない」として無視される事があるが、むしろ子供がそんな嘘をつく必要がない。

事件が公になった際、児童福祉局の担当者や裁判官は何を思ったのだろうか。

正直、罰せられても文句の言えない事案である。