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毒入りワイン輸出事件 (オーストリア)
【 1983 ~1985 】



1980年代前半、ドイツ (西ドイツ) で甘い白ワインが大流行し、高価なボトルも飛ぶように売れた。

この事に目をつけたオーストリアのワイン生産者は、次々とドイツの小売店と契約した。

オーストリアのワインはドイツのものと似ており、より安く甘いのが特徴であった。

ワイン生産は気候が全てといっても過言ではなく、濃厚で甘いワインを作り出すには温暖で乾燥した環境が不可欠であった。

だが、ドイツに売り出そうとした年、寒冷で湿った天候が続いてしまった為、酸味の強いワインとなってしまい契約で定められた品質のワインが出来なかった。

しかし、契約上、大量のワインを輸出する約束をしていた。

そこで、ヴァーグラムのワイン生産者たちは、優秀な生化学者であるオットー・ナドラスキーを頼る。


1982年、ラボを設置すると、酸味のきいたワインを甘くする方法を模索する。

ナドラスキーは天然と人工両方の甘味料を試し、完璧な人工甘味料を発見する。

それは「ジエチレングリコール (DEG) 」であった。

ジエチレングリコールはほぼ無色無臭でほのかな甘味がある液体であり、ワインとの愛称は絶妙で、混ぜると濃厚な甘味となった。

だが、この液体というのは車のウォッシャー液やエンジン液に含まれる不凍液であった。

わずか5ドル (約600円) のジエチレングリコールで実に約1350リットルのワインを偽装でき、非常に安価で効果的な解決方法であった。

だが、当然食品ではなく人体にとっては毒物でしかなく、頭痛や消化不良を引き起こし、0.1グラムのジエチレングリコールを摂取し続けると、脳と腎臓を破壊し、14グラム摂取すると死に至った。


1983年、ジエチレングリコールが入った毒入りワインが西ドイツに輸出される。

当然販売者や消費者は気付かずワインは売れた。

その後、2年間で毒入りワイン実に3960万リットルを輸出した。


巧妙な偽装は発覚しないと思われたが、1985年、当局がワインの品質検査を行い事件が発覚。

ワインを調査すると次々とジエチレングリコールが検出され、西ドイツは騒然とする。

その後、28人の生産者が逮捕され、ナドラスキーも逮捕された。

裁判でナドラスキーには懲役5年が言い渡された。

ただ、事件発覚後、毒入りワインによる健康被害は報告されなかった。

事件後、3600万本のワインが処分され、西ドイツはワインの輸入を禁止した為、オーストリアのワイン産業自体が衰退の一途を辿った。


最後に裁判でのナドラスキーの発言で終わりたいと思います。

「国のワイン産業を救う為だ」



《被害者数》
不明

《犯行期間》
1983年~1985年



∽ 総評 ∽

利益優先及び契約の為にワインに不凍液を混入して輸出した事件。

不思議と被害報告がなかった為、実際どれくらいの被害者がいたのかわからない。

ただ、2年間でおよそ3960万リットルも輸入され続けとぶように売れたというので、おそらく被害者本人が体調不良をワインによるものだと考えておらず、訴えなかった為だと思われる。

おそらく、被害者や犠牲者はかなりの数だと思われる。

そもそもワインの味を添加物で変える事は当然許される事ではない。

「どのようにしたら甘くする事ができるのか?」と生化学者に頼るのも間違えているし、その願いを受け入れ模索する生化学者ももはや化学者という言葉など許されない程あまりに酷い。

日頃、誰もが嗜むような物に利益や体面、面子や契約の為だけにこのような行為に及ぶというのは恐ろしさしかない。