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パブロ・エスコバル (コロンビア)
【 1949 ~ 1993 】



パブロ・エミリオ・エスコバル・ガビリアは、1949年12月1日、コロンビア・リオネグロで生まれた。

その後、エスコバルはメデジンで育った

父親は畜産業、母親は教師という中流家庭で育ち、幼少の頃は家族想いの優しい少年であった。

しかし、そんな少年時代から墓石を盗み、碑銘を消して転売していた。

そして、学校を退学すると、やがて闇市場のタバコを密輸し、次第に大麻を扱うようになる。

その後、コカインと出会うとアメリカのコカイン需要に目をつける。

アメリカは映画スターや一部の富裕層のみならず、国中でコカインを求めている事に気付く。


1975年、エスコバルはコカイン事業を開始し、急激な成長を遂げる。

しかし、そんはエスコバルにコロンビア警察は気付き、39kg (1g辺りの価値は約150ドルなので、約6億円相当) のコカイン所持で逮捕された。

エスコバルは罪を逃れる為、裁判官の買収を試みるが失敗する。

そこで、エスコバルは自身を逮捕したギルベルトとルイスという2人の警察官を誘拐し、自ら2人の頭を撃って射殺した。

警察官が死んだ為、エスコバルに対する不利な証言を行う証人がいなくなり、結局、釈放される事となった。


その後、エスコバルは他の麻薬商人と共に1970年代までに「メデジン・カルテル」を創設し、その残虐性による恐怖で周囲を支配する。

エスコバルは流通こそが最も大事だと考えていた。

それまでの麻薬の密輸は少量の麻薬を荷物に隠したり飲み込んで運ぶというものであった。

だが、それでは多くの量を運べないと考えたエスコバルは、バハマ島のノーマンズ・ケイに飛行場を建設し、直接アメリカへコカインを密輸する方法をとる。

旅客機で運んだコカインを小型機に移し、レーダーを避けつつ他の飛行機に紛れて南フロリダへ飛ばした。


こうして毎月80トンのコカインが運ばれ、1980年代、最盛期には世界のコカイン市場の約8割を牛耳った。

多い時では週で4億2000万ドル (約500億円) を稼ぎ、最大年間で250億ドル (約3兆) の収益を得ていた (これは当時世界7番目の大富豪であり、フォーブス誌に取り上げられた) 。


1980年代後半、エスコバルの犯行に業を煮やしたアメリカのブッシュ大統領は、「エスコバルの引き渡しとアメリカ国内での裁判」を条件にコロンビア政府と協定を結ぶ。

そして、バハマの自治体に空港の封鎖を求め、強制捜査で密輸業者を一掃し、空港を使用不可能にした。

そこでエスコバルは優秀な化学者とエンジニアに命じ、「液体コカイン」を作らせる。

これはコカインを水に溶かしたもので、臭いもなく検知は困難であった (現在でも困難とされる) 。

そして、液体という特徴を活かし、ジーンズ等衣類に液体コカインを浸して箱詰めし、アメリカ国内に容易に運ぶ事に成功した。

運ばれた衣類は水ですすぎ、その水を沸かして蒸発させると再びコカインに戻った (この行程で失われるコカインは10%程といわれる) 。

しかし、FBIに気づかれた為、今度はコカインを溶かしたプラスチックに混ぜ、様々な品物に成形させた。

そして、アメリカ国内に到着すると、薄く削って酸と混ぜ、塩酸に浸してコカインを抽出し (塩酸コカイン) 、加工して粉末のコカインにした (純度は96%) 。

エスコバルは組織の運営に冷酷なまでの効率性と暴力、賄賂を用いた。

エスコバルは反発する人間を「plata o plomo (銀か鉛か:金か銃弾かという意味) 」と脅し、政治家や役人、裁判官へ賄賂を送り、敵対者は暗殺した。


1989年、メデジン・カルテルは、大統領候補者3人を暗殺し、アビアンカ航空機を爆破した。

また、ライバル組織であるカリ・カルテルとの抗争も激化し、メデジン周辺は無政府状態の様相を呈した。


アメリカ政府とコロンビア政府によるエスコバル捜索が行われ、16か月後の1991年、エスコバルは5年の服役とアメリカ政府への身柄引き渡しを回避する事を条件に自首した (自ら逮捕された理由は抗争に疲弊した為とされている) 。

エスコバルは「オテル (ホテル) ・エスコバル」と称されるエスコバル個人専用の豪華な設備を備えた刑務所に収監された (そもそも刑務所自体がエスコバルの寄付で出来たものだった) 。

刑務所でエスコバルは快適に過ごし、組織に指示を出し、買い出しにメデジン市内に出掛けてはパーティーやサッカーを見て楽しんだ。


1992年、刑務所内でエスコバルは幼馴染など2人を殺し、別の刑務所へ移管が検討された。


同年7月22日、移管のこの日、エスコバルは堂々と刑務所を歩いて出るとそのまま行方をくらました。


コロンビア政府とアメリカ政府はエスコバル捜索を開始し、16ヶ月後の1993年12月2日、エスコバルの隠れ家を見つけると、治安部隊が突入し、屋根の上に逃れたエスコバルを一斉射撃し、射殺した。

享年44歳。

エスコバルは麻薬王として敵対者や政府に対して残酷で冷徹であったが、その巨万の富を活かし貧困層の住宅建設、サッカースタジアム、複合施設を建設するなど慈善事業に熱心であった。

その為、一部貧困層からは支持を得ており英雄視されている。



《殺人数》
数千人?

《犯行期間》
1975年~1993年



∽ 総評 ∽

『コカインの帝王』『史上最も裕福な犯罪者』と呼ばれ、コロンビア最大の麻薬組織「メデジン・カルテル」を創設し、麻薬王として世界に悪名を轟かせエスコバル。

あらゆる方法を用いてアメリカを中心に世界にコカインを売り捌き、世界有数の大富豪にまで登り詰めた。

エスコバルは非情で冷酷、政府や敵対組織に対しては容赦がなく、政治家や400人以上の警察官等を含め殺害した数は数千人ともいわれ「史上最も凶悪非情な野心に満ちた麻薬王の1人」とされている。

ただ、これだけコカインを売り捌いたエスコバルであったが、自身はコカインに一切手を出さず、大麻を主に吸っていた。

南米は主にメキシコを代表として麻薬絡みのカルテルが幅を利かせており、カルテル同士の激しい抗争は政府も手を出せず、無政府状態になる程のものであった。

エスコバルは稼いだ財産を貧困層の住宅の建設等にも使用し、慈善事業にも熱心であった。

こういった非情な人間は意外に同様な行動を取る事がある。

あまりに莫大な資産であった為、少しくらいならたいした事ではないと投資しただけかもしれないが、冷酷さとギャップを感じずにはいられない。