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スタニスラフ・モゼレフスキ (ポーランド)
【 1929 ~ 1969 】



スタニスラフ・モゼレフスキは、1929年3月15日、ポーランド・シュチェパンコボで生まれた。

モゼレフスキの学校生活はわずか小学3年で終わった。

その後、結婚し、ドライバーとしてワルシャワで働き始めた。


1952年7月17日、ガウクベク近くでモゼレフスキはヨセファ・ピエトルジコフスカ (67歳♀) を殺害する。


同年12月27日、モドリツァでマリア・クンカ (32歳♀) を殺害する。


1953年3月27日、トゥシン周辺でテレサ・ピエカルスカ (21歳♀) を殺害する。


1955年1月2日、ガウクベクでイレーナ・バーナデット・ドゥナイスカー (24歳♀) を殺害する。


1956年3月14日、ガウクベクではヘレナ・ワロス (18歳♀) を殺害する。


同年8月27日、ガウクベクでヘレナ・クラタ (22歳♀) を殺害する。

一連の事件は『Wampirem z Gałkówek (ガウクベクの吸血鬼) 』と呼ばれ、1957年から捜査が行われた。

捜査は初めから力を入れて行われていたが、間違った捜査方法により犯人逮捕が出来なかった。

ただ、捜査を誤ったのは襲われて生き延びた生存者の何人かが「犯人は制服を着ていた」と証言していた事から犯人をポーランド国鉄の従業員だと判断して捜査した為であった。

犯人が逮捕されない事に地元の住民は怒りと恐怖で震えた。


1967年9月14日、ポーランドの首都ワルシャワで、マリア・ガベッカ (87歳♀) を殺害する。

しばらく犯行が行われなかった為、住民は安心ていたが、10年振りワルシャワでガベッカが殺害されると再び緊張が走る。

そして、ガベッカの元隣人であったモゼレフスキが、以前、言い争いとなり激しく対立していた事が捜査でわかった。


同年9月24日、モゼレフスキは逮捕された。

モゼレフスキは妻と義理の兄弟と一緒にホテルで宿泊しており、逮捕された際、一切の同様を見せる事もなく素直に捕まった。

逮捕されたモゼレフスキは尋問でかつて軍にいた事を語り、運転手であった為、地形を熟知していると述べた。

そして、これまでの殺人を告白した。

モゼレフスキが軍務を終えた後、休暇等の合間に殺人を犯していた事がわかり、その際、軍服を着て犯行に及んでいた。

モゼレフスキは18歳から87歳の女性を標的とし、殴打して拷問した後、手やスカーフで首を絞めて窒息させた。

遺体の下半身を脱がせ、遺体の女性器は何かで刺され貫通させられていた。

モゼレフスキは典型的なサディストであったが、犯行後、被害者の生死は気にせず確認しなかった為、生存者が何人かいたのであった。

また、モゼレフスキは違法にリボルバーを所有していた事がわかった。


モゼレフスキは7件の殺人で起訴され、1969年2月5日、死刑が言い渡された。

実はモゼレフスキは8人の女性を殺害した事を認めていた。

8人目はクラタとガベッカの間にガウクベクで殺害したと述べたが、遺体も見つからなかった為、起訴されたなかった。

モゼレフスキは判決を不服として控訴した。


同年7月4日、最高裁判所はモゼレフスキに対する精神科医の診断の要求を棄却し、3日後の7日、死刑判決を指示した。


同年11月13日、絞首刑による死刑が執行された。

享年40歳。



《殺人数》
7人 (8人の可能性大)

《犯行期間》
1952年7月17日~1967年9月14日



∽ 総評 ∽

女性ばかり7人を強姦し、拷問の末殺害したモゼレフスキ。

モゼレフスキは犯行までの詳細があまりなくよくわからないが、わずか小学3年で学業を終えたとある事からまともな生活環境でなかったと推測される。

モゼレフスキは8人殺害したと主張したが、8人目は遺体が見つからず不起訴となった。

殺人鬼の中には逮捕後に「沢山殺した」と主張する人物も少なくなく、大抵が虚言である。

だが、モゼレフスキの場合、7人を8人と嘘を言う理由もなく、おそらく8人というのは事実であろう。

モゼレフスキは拷問して殺害するサディストで、こういった殺人鬼は特に殺人に快感を得る為、凄惨な犯行現場で犠牲者も多くなる傾向にある。

現在、ポーランドは死刑を廃止しているが、モゼレフスキは2月に死刑判決後、控訴しているにも拘わらず、9ヶ月後の11月執行されている。

たかだか今から50年程前の話しであり、何故、たった50年で現在の哀れな司法に様変わりしてしまったのか不思議でならない。