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フランク・アトウッド (アメリカ)
【 1956 ~ 2022 】



フランク・ジャーヴィス・アトウッド (1956年12月9日生) は、1974年、14歳の少女に猥褻行為を行い逮捕された。

逮捕されたアトウッドは矯正施設に送られた。


1984年9月17日、アメリカ・アリゾナ州ピマ郡で、アトウッドは夜遅くにデアンザ公園で仲間たちと会った。

すると、アトウッドの手は血に染まり、ズボンにはサボテンの針がいくつも刺さっていた。

その血について問われると、麻薬取引で上手くいかなかった為、相手の男を殴って刺して殺したと自慢し、その時の返り血だと話した。

そして、アトウッドは友人とバーへ向かった。

同じ日、ヴィッキー・リン・ホスキンソン (8歳♀) の自転車を姉が見つける。

だが、肝心のホスキンソンは見つからなかった。

姉はすぐに母親に報告し、母親は911に連絡した。

FBIが捜査に乗り出し、すぐにアトウッドを容疑者と考える。


同年9月27日、ホスキンソンを殺し、身体的虐待及び強姦を加える意図で誘拐したとしてアトウッドは起訴された。

遺体が見つかっていない段階での起訴は珍しかった。


1985年4月、ホスキンソンの遺体が発見される。

アトウッドはホスキンソンの遺体を砂漠に捨てると、テキサス州へ逃げた。


1987年1月、ようやく裁判が始まるが、メディアがこぞって報道した。

裁判中のアトウッドは不気味な笑みを浮かべ、まるで悪魔的な表情だと騒がれた。

熟練の弁護士はアトウッドの身体的、精神的あらゆる状態から弁護を行った。


1987年3月26日、アトウッドは有罪判決が下され、同年5月8日、死刑を宣告された。


1991年12月17日、アトウッドはレイチェル・リー・テニー (29歳♀) と獄中結婚した。

アトウッドは刑務所で勉学に励み、宗教の学位を取得した。

しかし、アトウッドが宗教の勉強をしたのは更生の為ではなかった。

アリゾナ州は死刑は存在していたが、元々執行に消極的な州であった。

実はアリゾナ州では当時、126人の死刑囚がおり、その内、22人がアトウッドよりも長く執行されてない死刑囚であった。

アリゾナ州ではガス室での死刑執行が行われていたのだが (現在は薬殺との選択) 、1992年4月6日にドナルド・ハーディングという死刑囚の死刑が執行された。

この執行、実は1976年にアメリカで死刑が復活して以降、アリゾナ州としては初めての執行であった。


2022年6月7日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年65歳。

アリゾナ州は今年に入ってアトウッドで2度目の執行であったが、1人目は5月に執行され、これは州としては実に8年振りであった。



《殺人数》
1人 (他1人猥褻行為)

《犯行期間》
1984年9月17日



∽ 総評 ∽

わずか8歳の少女を誘拐し、強姦して殺害したアトウッド。

少女殺害前に14歳の少女にも猥褻行為を行っており、アトウッドは典型的なペドフィリアといえる。

アトウッドがどのような人生を歩んできたのか詳細がなくわからないが、17歳の時に猥褻行為を行っている事から先天的な異常者か崩壊した家庭で育ったと思われる。

事件の捜査にはFBIが参加したが、通常、ただの殺人や行方不明程度の事件ではFBIは動かない。

おそらく同様の事件がすでに他にも発生しており、連続殺人事件や行方不明事件だとされたのだろう。

アリゾナ州は死刑に消極的な州であり、ハーディングの執行がアメリカで死刑が復活して以降、前述した通り初めての執行であったが、ハーディングの執行により少し流れが変わり、毎年少ないながら1人か2人の執行が行われるようになった (2001年から2006年は執行されなかったが) 。

その為、今後のアトウッドへの執行を期待したい (ただし、2015年から2018年まで再び執行されなくなっている) 。