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マーティン・パイヤール (ドイツ)
【 1983 ~ 1999 】



1983年8月11日、ドイツ・バートライヘンハルで生まれた。

父親をルドルフ、母親をテレサといい、パイヤールにはダニエラという姉妹がいた。

隣人によると、パイヤールは内向的であったが至って普通の少年であったという。


1999年11月1日、パイヤールの両親が祖父母の墓参りに出掛けた。

パイヤールは一緒に行かず、父親のキャビネットから10以上の銃器を持ち出し、外に出た。

そして、目につく動いているものを何でも撃ち始めた。

まず、パイヤールは近所の隣人のルース (♂) と、ホルスト・ジレンビラー (♂) を射殺する。

丁度その時、向かい側にある病院で54歳の患者が外でタバコを吸っており、それを見掛けるとパイヤールは躊躇なく撃って射殺した。

正午頃、姉妹のダニエラが家に帰って来ると、パイヤールは5発撃って射殺した。

ダニエラ殺害後、飼っている猫も撃って射殺し、そして、バスルームへ向かうと、散弾銃で自らを撃って自殺した。

結局、パイヤールによる犠牲者は4人で、他に7人が負傷した (負傷した中には俳優のギュンター・ラムプレヒトとその妻がいた) 。

午後6時頃、警察が家に駆けつけると、ダニエラと猫の死体と共にパイヤールの遺体が発見された。

パイヤールのベッドの上には巨大なスワスティカ (まんじ) が描かれており、他にナチスのシンボルも沢山見つかった。

また、暴力的なコンテンツを含む多数のビデオやCDも発見された。

更に、アドルフ・ヒトラーの肖像画がダニエラのベッドの上にぶら下がっていた。

ただ、パイヤールの明確な動機は不明であった。

父親であるルドルフはよく失業しては酒を飲み、アルコール中毒であった為、その影響が少なからずあったのではとされた。

パイヤールは熱心な銃愛好家で、銃の雑誌をよく買っていた。

そんなパイヤールはクラスメート達に鳥を探しに森へ行き、父親と射撃の練習をしたと話した。

パイヤールは犯行の数ヶ月前にノートに貼り付けられたナチスの写真の為に一時期停学となっていた事がわかった。

クラスメートによると、パイヤールは人と話すよりもビデオゲームをする事を好む恥ずかしがり屋であったという。

ただ、クラスメートの1人ステファニー・ホシュダーは、パイヤールが「いつも親切でした」と話した。

事件の調査に関わった精神科医によると、パイヤールは敗者型の人間であり、クラスメートに話を聞き『コロンバイン高校銃乱射事件』のエリック・ハリス&ディラン・クレボルドとの類似性を感じたと語った。

『コロンバイン高校銃乱射事件』はパイヤールの犯行の約半年前に起きており、犯行の時間の長さ、犯人の様子等、影響を受けた可能性が高いとされた。

実際、パイヤールはハリスとクレボルドの犯行について

「私たちがすべきこと」

と信じていた。

だが、調査担当者はハリスとクレボルドのように自殺行為として犯行を犯したわけではなく、かなり前から計画されて起こされたと考えていた。

その理由としてパイヤールはハリスとクレボルドのようにビデオメッセージを一切残していなかった。

事件後、多数の政治家が銃器に対する法律の変更を要求した。

パイヤールの両親が証人として警察に出頭し、麻薬やアルコール、極端な右翼イデオロギーによる犯行ではない事がわかった。



《殺人数》
4人 (他7人負傷)

《犯行期間》
1999年11月1日



∽ 総評 ∽

突如銃を乱射し、4人を殺害した後自殺したパイヤール。

パイヤールはわずか16歳で犯行に及んだが、このような事件を起こす人物としてはありがちな年頃ではある。

また、こういった事件を起こす人物は、学校でいじめられていたり世の中に絶望していたりする事が多いが、パイヤールはよくわからない。

ベッドの上にはマンジが描かれヒトラーの肖像画もあったようだが、それが直接の原因かはわからない。

パイヤールが犯行を起こす約半年前に、アメリカではかの有名な『コロンバイン高校銃乱射事件』が発生しており、その為、その影響を受けたのではとされている。

本人がすでに自殺してしまっているので真相は藪の中だが、個人的にはあまり関係ないような気がする。

これまで『コロンバイン高校銃乱射事件』に影響を受けて犯行に及んだ人物は影響を受けた事を言動で示しているが、パイヤールは何もない。

犯行も類似点があるとされるが、学校でもなければ2人でもない。

また、特にいじめられたりという事もなかった (とされている) 。

逮捕されていてもドイツなので死刑は愚か、終身刑となった場合でも最短で15年で出て来る可能性があるので、自殺してくれて良かったと思う。