_20190527_205700
ダニエル・レメタ (アメリカ)
【 1958 ~ 1998 】



_20190527_205549
リサ・ダン (アメリカ)
【 1967 ~      】



_20190527_205512
ジェームズ・ハンター (アメリカ)
【 1952 ~ 1988 】



ダニエル・ユージーン・レメタ (1958年1月6日生) は、アメリカ・ミシガン州北部グランド・トラバース湾南端のトラバース・シティで5人兄弟の1人として育った。

レメタの学校生活は中学で終わり、その後、常習的な犯罪者となった。

当時、レメタと話した保安官によると、人生の目的について壮大に語っていたという。

レメタは17歳から27歳までの10年間、ほとんどをミシガン州とカリフォルニア州の刑務所で過ごした。

しかも刑務所に入っている間、レメタは他の囚人を強姦したり暴力を振るった。

また、看守をナイフで攻撃した事もあった。

その為、刑務所での時間の多くを独房で過ごした。

レメタが釈放される度に警察は警戒し、何かあったらすぐに対応出来るようにしていた。


窃盗で逮捕されたレメタは3年間の奉仕の後に釈放され、1984年12月下旬、パーティーでリサ・ダンと出会う。

ダンはレストランでアルバイトしていた学生であったが、ダンは一目でレメタに惚れてしまう。

その後、レメタはダンの両親と電話で話し、両親はレメタの丁寧で紳士的な対応に感心する (この時、レメタはいずれダンと結婚したいと話している) 。

ダンは家を出てレメタとモーテルで一緒に生活するようになる。

ダンは警察の世話になるような学生ではなく、成績優秀な才能溢れる少女であった。

その後、レメタは酔った勢いで暴れ、窓を破壊した罪で逮捕された。

だが、レメタの母親と友人のマーク・ウォルターが保釈金の200ドル (約5万円) を払った為、レメタは保釈された。


1985年1月下旬、レメタとダン、そして、ウォルターの3人はミシガン州を去りフロリダ州へ向かった。

ダンは父親から .357マグナムを盗んで持って来ており、それをレメタに渡した。

レメタはマグナムに「スージー」という名前をつけた。

3人は麻薬にアルコール、そして、強盗や殺人といった犯罪行脚に出る。


同年1月27日、ミシガン州北西部コペミッシュで、レメタら3人は強盗目的でコンビニエンスストアを襲撃した。

店員のキャシー・ディンガー (27歳♀) が床に伏して命乞いをすると、レメタらは命は助けその場を離れた。

それから3人はフロリダ州へ行き、ウォルト・ディズニー・ワールドを訪問した。

レメタはダンの事を「リサ・レメタ」と呼び自分の妻のように扱った。

また、ダンとの子供が欲しいと言ったが、もし、逃げたりしたら殺すと脅した。

しかも、ダンだけではなく家族も殺すと脅した。


同年2月8日、レメタらはフロリダ州オカラでコンビニエンスストアを襲撃する。

レメタは店員のウェラ・リーダー (60歳♂) を4度撃って射殺した。

レメタらは52ドル (約1万2000円) を奪って逃走した。 

その後、レメタはウォルターにミシガン州ではなく西に向かうよう指示した。

レメタら3人はビールを飲みながら車を走らせていた為、後部座席は大量のビールと空き缶で溢れていた。


同年2月10日、レメタらの乗る車はルイジアナ州を経由してテキサス州ワスコムに入り、そこでアメリア・キャロル (18歳♀) を銃で脅して拉致した。

その後、森の中に拉致すると腹部や足を5発撃った。

レメタらは約400ドル (約1万円) を奪いその場から逃走したが、実はキャロルはまだ生きており、キャロルは何とか道まで歩き、通った車に発見され助かった。

レメタらはテキサス州のフリーマーケットで銃を購入する。


翌日の11日、レメタらはアーカンソー州マルベリーで、食料品の店員リンダ・マーヴィン (42歳♀) を6回撃って射殺した。

レメタらは556ドル (約12万円) を盗んで逃走した。


同年2月12日、レメタらが乗った車がカンザス州ウィチタのレストランに侵入した際、縁石に車をぶつけてしまう。

すると、たまたまレストランで食事をしていた警察官が外に出て運転手が酔っているのではと考えダンに尋ねた。

ダンは運転手は疲れているだけで酔ってはいないと説明し、警察官は車の番号を書き留めはしたが、その後、調べる事をしなかった。


同年2月13日、レメタらはコロラド州へ向かう途中、ミズーリ州に家を持つヒッチハイクしているジェームズ・ハンターを拾う。

最初は友好的に会話を交わしていたが、ハンターが思っていた方向とは違う方向へ車が進んだ為、不安になる。

しかし、レメタはハンターにガソリンを入れる際、降ろすと約束して安心させた。

20分後、ガソリンスタンドに到着すると、ハンターは降りる準備をするが、レメタが後部座席から離れるなと促した。

そして、レメタが銃でハンターを脅すと犯罪に協力出来るかどうか尋ねた。

レメタは撃てなくなった銃をハンターに渡すと、元海兵隊員であったハンターは銃を組み直しレメタに渡した。

レメタは窓から外に数発撃つと車を走らせた。

その日の午後、カンザス州北西部グレインフィールドを走る州間高速道路70号線の側で、レメタはラリー・マクファーランド (27歳♂) を強盗目的で襲撃し、何発か撃って射殺する。

マクファーランドの遺体は午後3時45分頃発見され、目撃者は赤と青の車を目撃していた。

その後、車を発見した警察官オブライトが、レメタらの乗る車を止める。

オブライトが車に近づくと、オブライトに向かって2度発砲した。

レメタらは車を走らせる逃走するが、オブライトは負傷しながら警察無線でレメタらが走り去った方向を伝えた (後にオブライトはその傷がもとで警察官を辞職している) 。

午後4時15分、レメタらは新しい車を手に入れる為、カントリーエレベーター (穀物の貯蔵施設の一種) に向かう。

カントリーエレベーターのマネージャー、モーリス・クリスティーが事務所から外を見ると、2人の男が従業員のジョン・シュルーダー (29歳♂) とグレン・ムーア (55歳♂) をピックアップトラックに拉致するのを目撃する。

その後、施設に近付いて来た為、ドアをロックして保安官オフィスに電話を掛けた。

ハンターが窓を蹴り、レメタは別の窓を壊して侵入し、クリスティーの右肩近くを撃った。

その後、レメタらはピックアップトラックの後部座席にはシュルーダーとムーアを乗せたまま走らせた。

東に4マイル (約6km) 、北に2マイル (約3km) 進んだ後、レメタが車を止めるよう指示した。

そして、レメタはムーアとシュルーダーを車から降ろして路上に跪かせると、処刑スタイルを強要し、シュルーダーの後頭部を撃って射殺し、ムーアは胸を撃って射殺した。

その後、2人の遺体を路上に横たえその場を去った。

だが、2台の警察車両がレメタらの乗るピックアップトラックを追跡する。

ピックアップトラックは放棄された農場に侵入し、小屋の近くで停止した。

ウォルターは車から降りると、警察官のマーク・アルバートとマーク・コンボイがウォルターに発砲した。

ウォルターも2人に発砲し、コンボイは1分間に12発撃って抵抗した。

ハンターはその場から逃げ、レメタとダンは小屋近くのいくつかの木に隠れ、新たに警察官デニス・ブラウン、ケネス・ディブルが応援に駆けつけた。

ウォルターがコンボイとアルバートに発砲した時、ディブルとブラウンがウォルターの額を撃って射殺した。

その後、レメタは臀部を撃たれ負傷し逮捕され、ダンはショットガンで腕を撃たれた。

ダンは負傷した腕を抱えたまま逃げようとするが、雪の上で跪いて逮捕された。

武装したハンターも逮捕されるが、逮捕される際、警察官に

「俺はただのヒッチハイカーで無実だ!」

と叫んだ。

わずか6日間で5人が殺害され、5人が負傷した事件についての裁判が行われると、レメタはムーアとシュルーダーを人質に取らず、すぐ殺した事を問われると、

「私には人質を必要とせず、証人も必要ない」

と述べた。

ただ、ハンターは自身も被害者であり、ヒッチハイクしていた所を拉致され、犯罪を強要されたと主張した。


同年5月、レメタは3件の殺人と2件の誘拐等で有罪判決となり、同年7月、5つの終身刑が言い渡された。


同年6月、ハンターとダンの裁判が始まり、検察側は犯行における2人の役割が焦点となった。

オブライトは自分を撃ったのはハンターだと証言したが、ハンターとダンはレメタがオブライトを撃ったと述べ、犯罪はレメタが行った事だと主張し、自分達は脅されていただけだと述べた。

その後、

「彼が誤ってダンを撃ったのか、また、私を背後から撃ったのかわからなかった」

と述べ、レメタがハンターとダンが逃げないように撃ったと主張した。

だが、実際はレメタの銃には弾薬が入ってなかった。

ダンはレメタに強姦され、肛門姦もされたと述べた。

また、殴られタバコの火をつけられ、弾の入った銃口を口の中に入れられ、自分から去った場合、家族を殺すと脅されたと述べた。

ダンはレメタを恐れた為、愛していると述べたと語った。

ハンターはレメタがこれまで12人のヒッチハイカーを殺したと自慢していたと述べ、その為やむを得ず協力したと語った。

レメタはコロラド州でウォルターとハンターを殺すつもりだったと話し、ダンについてはどうしようか決めていないと語った。

12時間半の審議の末、ハンターとダンには4つの終身刑を言い渡された。


1986年6月、レメタはフロリダ州へ身柄を移されると、そこで死刑が言い渡された。

実はカンザス州で死刑に反対したジョン・カーリン知事が、フロリダ州で終身刑を宣告するよう求めたが、フロリダ州はそれを拒否し、死刑を宣告したのだった。


1987年7月、カンザス州最高裁判所は、ハンターの犯行が「強制」の下で行われたかの裁判が行われ、ハンターに対する7つの有罪の評決を全員一致で棄却した。


1988年1月、陪審員7人全員がハンターを無罪とした。

無罪判決を言い渡されたハンターは、

「生まれ変わったようなものだ」

とインタビューに答えた。


しかし、無罪判決となり釈放されてからわずか4日後、ハンターは心臓発作により死亡した。

ハンターの父親は息子の死を事件のストレスによるものだと主張した。


1992年、ダンに対して新たな裁判を受けるよう連邦控訴裁判所が命じた。


同年9月、陪審員7人はダンの全ての訴訟に対して無罪であると認定した。

だが、ダンはアーカンソー州でマーヴィン殺害で訴追され、懲役20年が言い渡される。


1993年12月、ダンはカンザス州での8年間の奉仕に変更となり、その後、間もなく釈放された (逮捕されてからすでに8年経っていた為) 。

釈放後、ダンはミシガン州トラヴァーシティーに戻り、虐待を受けた女性の為のセンターで働き、そして、地元のセラピストの為のオフィスマネージャーと簿記係としての仕事を得た。

だが、次第にギャンブルやアルコールにはまり、借金を重ねるようになる。


1996年2月から1997年1月の間に、ダンは雇用者から8000ドル以上 (約90万円) を盗んだ。

ダンはボーイフレンドとフロリダ州へ逃げ、数週間以内に逮捕された。

逮捕された時、ダンはボーイフレンドと結婚しており妊娠もしていた。


1998年、ダンは横領で有罪判決となったが、盗んだお金は全て返済していた為、裁判官は懲役1年と5年間の保護観察を言い渡した。

また、アーカンソー州への移動を禁じた。


1998年3月31日、フロリダ州で電気椅子によるレメタへの死刑が執行された。

享年40歳。

レメタの最後の言葉はなかった。

また、執行の時、レメタは椅子に縛られた時も落ち着いており、無表情であった。

そして、フードを被せられる際、ガラスの仕切りの向こう側の目撃者の誰かに頷いた。


最後に逮捕後の尋問で答えたレメタの発言で終わりたいと思います。

「人を殺すのが好きだ」



《殺人数》
5人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1985年2月8日~同年2月13日



∽ 総評 ∽

各州を移動し犯罪を重ね、1週間足らずで横暴の限りを尽くしたレメタたち。

その犯行は陰湿で容赦なく、捕まるまでとことんやり尽くすアメリカの破綻した犯罪集団の典型といえるものであった。

しかも、アメリカの各州を渡り歩いて行ったまさに犯罪行脚の旅であった。

ダンやハンターが積極的に犯罪に荷担したのかはさておき、レメタがグループの「王」として君臨していたのは間違いない。

ダンとハンターは裁判でレメタに脅されたと主張し、全てレメタが行った事だと主張した。

そのおかげでハンターは無罪となり、ダンも短縮されて釈放された。

ハンターはまだしも、ダンは当初レメタに惚れており、個人的には脅されたのかもしれないが、積極的に参加したと思われる。

ダンの裁判でのレメタ1人に責任を擦り付ける様は見ていて見苦しく、個人的にそういう輩が最も許せない。

レメタのように自身の犯行に何の反省もなく、むしろ「何が悪いんだ」とふんぞり返っている方がまだましである。

しかと、ダンは温情判決により釈放された後、やはり再犯を犯した。

再犯を犯した所を見ると、やはりダンの「全部レメタか悪い」というのが虚言だというのがよくわかる。

ただ、レメタはウォルターやハンターを殺すつもりであったと語っており、その凶悪さと非情さは群を抜く恐ろしさである。