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オズギュル・ディンギス (トルコ)
【 1980 ~      】



オズギュル・ディンギスの父親はキプロス紛争で活躍したベテランの兵士であった。

ディンギスは両親との喧嘩が絶えず、その為、しばしば家を逃げ出した。

ディンギスは中学を卒業後、学校には通わなかった。


ディンギス17歳の時、友人と口論となり殺害した。

ディンギスは年齢を考慮され、懲役10年が言い渡された。

だが、ディンギスの父親が警察に頼り、その為、大統領の恩赦によって3年間の服役で釈放となった。

釈放後、父親の支持により軍に参加した。

兵役中、ディンギスは精神的な問題により数回入院した。

ディンギスは何度も軍を脱出しようとしたが、その都度失敗してしまい、攻撃性が増していった。

軍を辞めた後、ディンギスは首都アンカラに戻り、母親の為に仕立屋を開いた。

だが、ディンギスは1度も店に行く事はなかった。


2007年6月5日、ディンギスはコンピュータ・エンジニアのセダト・アーズルマルー (♂) を殺害する。

ディンギスは商品を購入しようと話を持ち掛けるが、買う気がない事で口論となっての犯行であった。

ディンギスは店からラップトップを2台盗み、また、携帯電話も盗んだ。

ディンギスは盗んだラップトップ1台を売ろうとするが騙された。


同年9月12日、ディンギスは自治体労働者のジャファル・アール (55歳♂) と少し会話を交わした後、背後から頭を2度撃って射殺した。

ディンギスはアールの遺体を車に乗せ、それから包丁で皮を剥いだ。

そして、そのまま生で食べ、残りを袋に入れた。

その後、遺体を布で包み屋台の近くで捨てると、両親と共有していたアパートに戻った。

アパートに戻ったディンギスは、外にいる野良犬にアールの肉を与え、残りを冷蔵庫に閉まった。

アールの遺体はすぐに発見されるが、体が切断され、柔らかい部分の肉片が切り取られていた。

捜査を進めた警察はアーズルマルーの盗まれた携帯電話の通話記録を調べ、ディンギスを追跡した。


同年9月14日、警察はディンギスを逮捕し、アパートの冷蔵庫の中からビニール袋に包まれた新鮮な肉を発見した。

それを調べると腕や臀部、太腿の1部である事が判明した。

逮捕されたディンギスは、後悔を全く示さなかった。

また、ディンギスは人間の肉を食べる事に異様に惹き付けられたと述べた。

尋問の際、ほとんど感情を表さなかったディンギスだったが、自身の行動を説明する時に唯一、わずかに笑みを浮かべた。

しかも、もし捕まなければ殺人を続けていただろうと語った。

裁判が行われると、ディンギスは2件の殺人で有罪判決が下され、終身刑が言い渡された。

その後、ディンギスは刑務所内の精神病院に入院する事となった。


最後に尋問の際、語ったディンギスの発言で終わりたいと思います。

「私の良心は快適です。私は後悔はしていません。捕まらなかったら殺し続けたい。これからも人間の肉だけを食べる事を考えます」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1997年~2007年9月12日



∽ 総評 ∽

『Cannibal of Ankara (アンカラの食人鬼) 』と呼ばれ、殺害後に遺体を食べたディンギス。

ディンギスは自分のやった犯行に対して後悔や反省が全くない事から典型的な異常犯罪者といえる。

ディンギスは食人鬼であったが、友人やエンジニア殺害後には行っていなかった。

その為、ディンギスによる食人は最後の1人のみであった。

通常、食人鬼は人間の肉を食べる事に執着する為、ジェフリー・ダーマーのように常に食べ続ける。

ディンギスは急に食人を始めており、そのきっかけがよくわからない。

ただ、1つ言えるのは、かなり危険な存在であり、決して外に出してはいけないという事だ。