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アナトリー・スリフコ (ロシア)
【 1938 ~ 1989 】



アナトリー・エミリアノヴィッチ・スリフコは、1983年12月28日、現ロシア・ダゲスタン共和国イスベルバシュで生まれた。

スリフコは思春期には同性愛者となっていたが、結婚して2人の子供の父親であった。


1961年、スリフコは酔っ払ったオートバイ運転手が、道を歩いていた歩行者の中に突っ込み、10代前半の少年に致命傷を負わせるという交通事故を偶然目撃する。

事故の瞬間を見たスリフコは、口では説明の出来ない性的興奮を覚える。


スリフコによる最初の犠牲者は、1964年6月2日、ニコライ・ドブライシェフ (15歳) という少年であった。

ただ、スリフコはドブライシェフを故意に殺害したわけではなく、拷問の過程で死んでしまったと後に主張した。

その後、ドブライシェフの遺体を解体し埋めた。


1965年5月、2番目の犠牲者はアレクセイ・コワレンコ (♂) であった。

スリフコはコワレンコ殺害後燃やしたが、火事によりスリフコが管理するキッズクラブも破壊された。


1966年、スリフコは少年の為に「Chergid」という名の新たなクラブを運営し始めた。


1973年11月14日、アレクサンダー・ネスメヤーノフ (15歳♂) が、ネビノムイスクで姿を消した。


1975年5月11日、アンドレイ・ポガシャン (11歳♂) が姿を消す。

ポガシャンの母親が警察に、男性が近くの森でビデオを録画していた事、そして、ポガシャンがその撮影に参加していた事を伝えた。

警察はその男性をスリフコだと理解したが、何の対応もしなかった。


1980年、セルゲイ・ファツィエフ (13歳♂) が姿を消した。


1982年、ビャチェスラフ・ホビスティック (15歳♂) が殺害される。


1985年7月23日、セルゲイ・パブロフ (13歳♂) が失踪する。


同年11月、パブロフの失踪を調査していた検察官が、「Chergid」の活動に興味を示した。

しかし、調査を行うがクラブの運営方法に違法性があるという証拠を掴めなかった。

そこで検察官は「Chergid」の多くの少年たちを尋問し、少年たちが「一時的な健忘症」に苦しんでいる事がわかり、少年たちがスリフコにより「実験」を行われたと述べた。

「実験」とは、交通事故の衝撃を忘れられないスリフコが、1963年からキッズクラブでの地位を利用して少年たちに年に1、2回行っていたものであった。

スリフコは少年に制服を着させると、背骨を伸ばす為に天井から吊り下げた。

衝撃で少年は意識を失うが、その都度何度も意識を回復させた。

また、嘔吐を防ぐ為に実験前、数時間は何も食べさせなかった。

そして、意識がなくなった少年を裸にすると、愛撫し、卑猥なポーズをとらせると自慰行為を行った。

また、写真を撮りそれを見ながら自慰行為を繰り返した。

こうして、スリフコは逮捕されるまでの22年間に43人の少年に人為的な実験に参加するよう説得し、その内、36人はスリフコによって意識を回復させられ、この事を誰にも他言しないよう警告した。

少年たちは実験の間意識がなく、スリフコに何をされたのわからなかった為、誰にも言わなかった。

だが、死亡した7人は実験の後、意識が回復しなかった為、遺体を解体し、胴体や手足にガソリンを注いだ。

そして、火を放って燃やしたが、これは交通事故で見た燃え盛る炎を再現したのだった。

スリフコは生存者と同様、死亡した犠牲者も写真を撮ったが、それは解体している時やガソリンを注いだ時、燃える時など全過程に及んだ。

スリフコは次の犠牲者を見つけるまで、撮った写真で自慰行為を行い、次の獲物を実験する自らの姿を想像しては興奮していた。

スリフコは遺体は全て解体して燃やしたが、靴だけは記念品として残した。


同年12月、スリフコは殺人と性的虐待、屍姦により自宅で逮捕された。

逮捕されたスリフコは7人の殺害を認め、遺体を捨てた場所を告げた。


1986年1月から2月にかけて、捜査が行われ、ドブライシェフ以外の全ての遺体を回収する。


同年6月、スリフコは死刑が言い渡された。


1989年9月16日、スリフコは警察に意見を求められる。

それはこの時点でロストフ州で起こっていた連続殺人に関する事であった。

少なくともすでに29人殺害されており、解決出来ない為、スリフコに助けを求めたのであった。

スリフコはいくつか警察にアドバイスするが、後に犯人としてアンドレイ・チカチーロが逮捕されると、スリフコのアドバイスの多くが間違いである事がわかった。

連続殺人のアドバイスをした数時間後、銃殺による死刑が執行された。

享年50歳。


最後に人生を変えた交通事故について述べたスリフコの発言で終わりたいと思います。

「ガソリンと火の匂いが空気に浸透した。少年は痙攣し、断末魔の中苦しみを感じた」



《殺人数》
7人 (他被害者36人)

《犯行期間》
1964年6月2日~1985年7月23日



∽ 総評 ∽

自身の立場や施設を利用し、実験と称して拷問を繰り返し、その内7人殺害したスリフコ。

スリフコは独特な方法で拷問を行い、それをこまめに写真に撮り、拷問の最中と後に写真を見て自慰行為に耽った。

おそらく、スリフコは初めから意図的に殺害するつもりはなく、拷問によりたまたま死んでしまったのではないかと思われる。

ただ、43人中、7人が死亡すると考えるとその実験はかなり過酷なものだという事が伺える。

スリフコは交通事故を目撃してその時に言い知れぬ快感を覚え、それを忘れられず拷問を繰り返した。

そういった何かをきっかけで犯行を繰り返す鬼畜は多いが、スリフコの場合はかなり独特である。

スリフコは当時発生していたチカチーロによる連続殺人事件の犯人についての意見を求められた。

何を言ったのか詳しくわからないが、後にチカチーロが逮捕された際、的外れな事を言っていたそうなので、所詮、鬼畜は鬼畜を理解出来ないという事である。