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キンバリー・マッカーシー (アメリカ)
【 1961 ~ 2013 】



キンバリー・ラゲイル・マッカーシーは、1961年5月11日、アメリカ・テキサス州グリーンビルで生まれた。

マッカーシーは成人する前にクラック・コカインの依存症となっていた。

マッカーシーは老人ホームで作業療法士として働いていており、結婚してアーロン・マイケルズという子供がいた (すぐに離婚している) 。


1990年、マッカーシーは偽造の罪で逮捕され、その後、売春と窃盗でも有罪判決を受けた。


1997年7月21日、マッカーシーは隣人の心理学教授ドロシー・ブース (71歳♀) に砂糖を分けてくれと電話する。

実は砂糖をもらうのは口実であり、強盗が本来の目的であった。

ブースの家に入ると、マッカーシーは肉屋のナイフでブースを5回刺し、燭台で殴って殺害した。

マッカーシーはブースの結婚指輪がダイヤモンドである事に気付き、指を切り落として抜き取った。

その後、財布を盗み、ブースの車であるメルセデス・ベンツに乗って逃走した。

マッカーシーはコカインを買う為にダイヤモンドの指輪を売った。


翌日の22日、マッカーシーは逮捕され、ブース殺害で起訴された。

マッカーシーは酒屋で財布の中に入っていたブースのクレジットカードを使い、運転免許証を持っていた。

ブースの家や凶器からマッカーシーのDNAが見つかった。


1998年11月24日、テキサス州ダラス郡で、マッカーシーには死刑が言い渡された。

ブース殺害で死刑を言い渡されたマッカーシーだが、別の容疑も浮上する。

1988年12月に、マギー・ハーディング (81歳♀) とその隣人ジェティ・ルーカス (85歳♀) が殺害されていたのだが、未解決事件となっていた。

マッカーシー逮捕後、DNAを調べると、2人の殺害現場で見つかったDNAと一致する。

マッカーシーは殺人を認め、コカインを買うお金を得る為に2人を殺害したと述べた。

しかし、マッカーシーは2人の殺害で起訴される事はなかった (おそらくすでに死刑判決が下されていた為) 。


2002年、マッカーシーは上訴したが、2002年11月1日に再び死刑判決が下された。


マッカーシーの死刑執行日は2013年1月29日に設定されるが、執行が延期された。

次に同年4月3日に設定されるが、同年3月下旬に再び変更となり、結局、同年6月26日になった。


2013年6月26日、マッカーシーはテキサス州ハンツビルの刑務所で致死量の注射によって死刑が執行された。

享年52歳。

マッカーシーは執行の時まで無実を主張していた。

執行前の最後の言葉は

「これは損失ではありません。これは勝利です。あなたはこれから私が行く所を知っています。私はイエスと一緒にいる為に家に帰ります。信仰を守って下さい。私はあなたを愛しています」

であった。

マッカーシーは2013年に全米で死刑が執行された18人目であり、テキサス州としては8人目。

1976年にアメリカで死刑が復活して以降、全米で1338人目であり、テキサス州としては区切りの500人目であった。

また、マッカーシーの執行は全米で女性への執行としては約3年振りであった。



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1988年12月、1997年7月21日



∽ 総評 ∽

コカイン欲しさに老人の住む家に侵入し、3人を殺害したマッカーシー。

マッカーシーの犯行は典型的な強盗殺人であるが、女性が直接金品欲しさに強盗に押し入るというのはなかなか珍しい。

マッカーシーはどのような家庭環境で育ったか詳細がなくわからない。

ただ、成人する前にすでにコカインの依存症となっており、おそらくまともな生活環境ではなかったであろう。

マッカーシーはコカインを手に入れる為には何でもする容赦ない様子になっており、これは手のつけられない非常に恐ろしい状態だといえる。

人を見た目で判断してはいけないが、マッカーシーの表情は堕ちる所まで堕ちた異常者らしい凶悪さが滲み出ているように見える。

死刑は当然であるが、延期となったりそもそも執行が遅かったりと司法の怠慢に苛立ちを覚えてならない。