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マリウシェ・トリンキーウィッツ (ポーランド)
【 1962 ~      】



マリウシェ・トリンキーウィッツは、1962年4月10日、ポーランド、ピョトルクフ・トリブナルスキで生まれた。

トリンキーウィッツは兵役中に少年を誘拐し、強姦した。

軍事裁判所にかけられ、懲役1年が言い渡された。

判決が確定してから数週間後、12歳の少年にセクハラを行い、逮捕されると更に1年半の禁錮刑が追加され、結局合計5年の懲役刑となった。


1988年7月4日、ピョトルクフ・トリブナルスキで、トリンキーウィッツは母親の病気を理由にウォイチェフ・プリチェック (13歳♂) をアパートへ誘い込む。

そして、強姦した後、首を絞めて殺害した。

遺体は森の中に運び埋めた。


同年7月29日、同じ方法でクシュシトフ・カズマレック (12歳♂) 、アルツール・クラフチェンスキー (12歳♂) 、トマシュ・ウォジュク (11歳♂) の3人をアパートへ誘い込む。

そして、強姦した後、ナイフで刺して殺害した。

数日後、トリンキーウィッツは3人の遺体を森へ運び、火を放って燃やした。

3人の遺体はキノコ狩りで森に来ていた人が発見した。

警察の調査によりトリンキーウィッツが容疑者となり、アパートを調べると血痕と少年1人の腕時計を見つけた。

逮捕された時、トリンキーウィッツは体育教師として働いていた。

犠牲者の遺体はアパートのカーテンの素材で包まれており、そして、トリンキーウィッツがプリチェックを殺害した事が確認された。

トリンキーウィッツを診た精神科医は正気であると診断され、また、高いIQ (121) である事がわかった。


1989年9月29日、トリンキーウィッツには死刑が言い渡された。

だが、後に恩赦となり懲役25年に変更された。


2011年、トリンキーウィッツの性的嗜好の強制治療がジェシュフで行われる事となった。


2012年、トリンキーウィッツは母親の姓に変更するよう申請するが、裁判所に拒絶された。


2014年2月11日、治療が終了し、釈放された。


同年3月3日、裁判所は脅迫者への対処に関する法律 (いわゆるビースト法) に基づき、トリンキーウィッツを脅迫者と認定され、閉鎖されたセンターでの収監が命じられた。


2015年7月31日、児童ポルノを所持していたとして懲役5年が言い渡された。


最後にインタビューで答えたトリンキーウィッツの発言で終わりたいと思います。

「ポーランドは居心地が良い」



《殺人数》
4人 (他強姦多数)

《犯行期間》
1988年7月4日、同年7月29日



∽ 総評 ∽

『The Piotrkow Satan (ピョトルクフの悪魔) 』と呼ばれ、4人の少年を強姦して殺害したトリンキーウィッツ。

トリンキーウィッツは少年ばかりを標的とした為、おそらくゲイだったと思われるが、何故、そうなったのか詳細がなくわからない。

女性を強姦する場合、少女から老婆まで年齢は様々だが、男性を強姦する場合は、ほとんどが10代までの少年で、あっても20代くらいまでだ。

不思議と中年や老人を強姦する異常者が少ない。

トリンキーウィッツは1度釈放され、その後、懲役5年が言い渡された。

おそらく丸々5年間刑務所に収監されていないと思われ、そうなるとすでに外に出て来ている。

こんな鬼畜が更生するはずがなく、実際更生しておらず再犯を犯した。

まだ50代であり欲求が衰えてはいないはずであり、トリンキーウィッツからすればまさに「ポーランドは居心地が良い」国である。

人を見た目で判断する事は決して良い事とは言えないが、トリンキーウィッツは見たまんまの異常な小児性愛者というのが滲み出ているように思う。