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サッダーム・フセイン (イラク)
【 1937 ~ 2006 】



2001年9月11日、「アメリカ同時多発テロ」が発生する。

フセインは、

「アメリカが自ら招いた種だ」

と演説し、テロを非難せずアメリカの中東政策が原因だと述べた。

アメリカはテロの撲滅を宣言し、フセインがテロを首謀したアルカイーダを支援しているとフセインに対して強硬な姿勢を示す。

ブッシュ大統領は、フセインが大量破壊兵器を有し、使用を企てていると主張する。

そして、兵器の放棄を要求するが、そもそもフセインは兵器など持っていなかった。

だが、フセインは強さを誇示する為、国連調査団に対して偽証や隠蔽を行い、大量破壊兵器の所持をほのめかしてしまう。


2002年1月、ブッシュ大統領はイラクをイランや北朝鮮と並ぶ「悪の枢軸」と名指しで非難し、2003年3月17日、48時間以内にフセインとその家族に国外へ退去するよう最後通告を行った。

しかし、この通告もフセインは無視する。


同年3月20日、アメリカとイギリスの連合軍が "イラクの自由作戦" を開始する。


同年4月9日、バグダッドは陥落し、フセインは逃亡する。

だが、特殊部隊が家を一軒一軒調べて回り、フセインの関係者を捕まえて尋問を行った。

更にアメリカはフセインの情報提供者には2500万ドル (約25億円) の報奨金を提示した。

しかし、それでも口を割る者はいなかった。

フセインは大勢の護衛を顔ぶれを代えて使用し、他国の情報機関に知られていない者たちを交代でつけた。

特殊部隊は9ヶ月の捜索で何百人も尋問を行った。

そして、主要な護衛の1人を捕まえ、その護衛が大金と引き換えにフセインの居所を教えた。


同年12月30日午後8時30分、特殊部隊がフセインの隠れ家を発見し、穴の中に身を潜めていたフセインを逮捕した (逮捕された場所は生まれた場所から15kmしか離れていなかった) 。

逮捕後のフセインに動揺する素振りは一切なく毅然としており、脱出は可能だと信じていた。

フセインは人道に対する罪で裁判にかけられるが、法廷でのフセインは最後まで挑戦的で時折笑みを浮かべた。

だが、全ての罪で有罪となり、死刑を言い渡された。

死刑判決を受けたフセインは

「35年間導いた私に死刑だと?恥を知れ」

と声高に述べ、裁判官に窘められた。


2006年12月30日、フセインの絞首刑が執行された。

享年69歳。

処刑の様子はテレビで報道され、中継を見た国民は歓喜した。


2016年7月5日、アメリカ・ノースカロライナ州ローリーでドナルド・トランプが演説を行った。

この時、トランプはまだ大統領ではなく、その為の遊説であったのだが、
「イラクを不安定化させるべきではなかった。彼 (フセイン) は悪い奴だった。本当に悪い奴だった。だが彼はよくやったのではないか?テロリストを殺した。実に上手くやった。当時のイラクはテロリストに権利など読み上げてやらなかった。問答無用であった。『連中はテロリストだ』それでおしまいだった。ところが今ではイラクはテロリストにとってハーバード大学になっている」
と発言した。


最後に法廷で述べたフセインの発言で終わりたいと思います。

「私はフセインだ。大統領だぞ」



《虐殺数》
200万人?

《就任期間》
1979年7月16日~2005年4月7日



∽ 総評 ∽

イラクで独裁者として君臨し、隣国に侵攻を重ねたフセイン。

第二次世界大戦のような有事は別として、基本的に独裁者というのは自国で幅を利かせ、君臨し続ける事を主とする為、安易に他国に攻め込むような事はしない。

それは他国に侵略する事で自分の身が危うくなる可能性が高まるからだ。

だが、フセインはイランとクウェートに侵略した。

しかし、実際その侵略が自身の身を滅ぼす事となってしまった。

フセインは独裁の方法としてヨシフ・スターリンを模範とした。

その為、フセインも粛清や恐怖政治、弾圧等を駆使しているが、反乱軍の鎮圧は自身の政権維持に必要であるし、イランを攻めたのも元々イラン側から挑発があったからだ。

財前難を理由にクウェートに侵略したが、それはアラブ統一という夢も含まれていた。

しかも、事前にアメリカにクウェート侵攻を打診し、実はアメリカから「関与しない」と返事をもらっていた。

その為、裏切ったのはアメリカの方であった。

フセインが独裁者として成功しなかったのは、異常なプライドの高さといえる。

フセインにとって頭を下げる事はとても許されないある意味死を意味する事であった。

ある程度の場面で頭を下げていればおそらく死ぬまで権力を維持出来たと思われる。

後世のフセインの評価はかねがね良くはないが、思惑は別として行った事は良い事もあった。

税額を下げ国民の負担を減らし、医療や大学教育を無料にした。

男女平等を実現しようと大学や就職する女性を増やし、女性の地位向上を目指した。

日本からすれば当然だと思われるかもしれないが、男尊女卑の激しい中東でこの試みは異例であった。

フセインは女性が国の未来に必要だと考えたのだ。

また、過激な思想になりがちな宗教を抑え、トランプ大統領が述べた通りテロリストには断固たる姿勢を示し厳しく臨んだ為、フセイン政権下ではテロは激減した (ただその事でイランのホメイニが難癖をつけてきたのだが) 。

フセインが失脚した後にイラクでテロが横行した事を考えれば一目瞭然であった。

元々西側諸国はフセインの政策に当初は一定の評価を見せ、援助や支援を行ったが都合が悪くなると「独裁者」と非難し総攻撃を行った。

西側諸国は利用出来る時は利用し、価値がなくなり世論が傾くとこれまでの事がなかったかのように手の平を返す。

これは西側諸国の昔からのやり方であり、アフリカの独裁者も同様な目にあっている。

イギリスは過去に植民地としてイラクの石油を散々搾取したくせに、湾岸戦争ではアメリカと共に過去に自分達がやった来た事がまるで何も無かったかのように正義面してイラクを攻めた。

少数民族を弾圧する独裁者を許さないのなら何故、少数民族を弾圧し続け、法律で独裁を謳っている中国に攻め込まないのか。

それは中国と戦えば自国の存亡に関わるからであり、結局、相手と周囲の様子を見て判断しているのだ。

話が反れたがだからといってフセインを擁護しているわけではない。

個人的に独裁者というのは、初めの頃はそれなりに良い行いをし、後に暴走するパターンが多いような気がする。