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フランシスコ・フランコ (スペイン)
【 1892 ~ 1975 】



フランコはスペイン国家の再構築を考え、旧政府と繋がりのある人々を捜索した。

そして、教会を批判した者や社会主義者、左派組織に属した者を捕らえると殺害した。

第二次世界大戦が各地で激しく行われていたヨーロッパで、フランコは国内、自国民と戦い続けた。

その後、3年間で数十万人の国民が投獄され、その内、2万8000人が処刑された。

フランコは国民に特定の思想以外を持たせないよう教化に励んだ。

幼い子供には教義を学ぶ一貫としてフランコ政権の素晴らしさを盛り込み信じ込ませた。

それは乳児から行わせる徹底ぶりであった。

共和主義の妊婦は出産は許されていたが、子供は取り上げられた。

そして、カトリックの施設や家庭に預けた。

国外では第二次世界大戦が激化し、ヨーロッパ全土を巻き込んでいたが、当初、枢軸国寄りであったスペインは中立を表明した。


1945年、ヒトラーが自殺し、ムッソリーニが処刑されると、第二次世界大戦は終結した。

ヨーロッパで独裁者が次々と消える中、フランコは戦後も恐怖で国民を支配した。

フランコは収容所を作り、政治犯には厳しく対応し、処罰した。


1958年、約20年もの強制労働によりフランコを称える記念碑が完成した。

フランコは国内の政治と社会の掌握も完成させ、政治的意見を持つ事は犯罪と見なした。

フランコは国民が政治に関して意見するのは「衝突や紛争の原因」だと考え、政治から遠ざけた。

政治や権力が安定したフランコは、慈悲深い人物を演じ始め、"国民の祖父" として対外的に振る舞い始めた。

だが、そんな政治を推進するスペインは国際社会から取り残され孤立していく。

アメリカとソ連による冷戦が始まった事で多少は緩和されるものの、孤立は変わらなかった。


そして、フランコは自身の死後、後継者を誰にするか考え、1969年、アルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを後継者に指名する。


1975年11月20日、フランコは死去する。

享年83歳。


遺言に従って22日にカルロスが即位すると、当初はフランコに教わっていた帝王学に従い独裁体制を続けるかと思われた。

しかし、カルロスは独裁体制を受け継がず、ヨーロッパ諸国の立憲民主制を模範とする民主政治を推進した。


1977年、フランコによる独裁前に行われた総選挙が41年振りに行われ、1978年、新憲法が承認された。

新憲法では国王は儀礼的な役割を果たすのみで、政治的特別な権利は存在せず、権威主義体制は正式に解体し、民主政治の幕開けとなり、現在のスペインに至っている。

フランコの罪は死後、40年以上経った現在も続いており、スペイン人を苦しめている。

スペインにある共同墓地の数は約2000で、カンボジアに次いで世界2位であり、どの共同墓地にも墓標がなく、身元特定は困難であった。

しかも、2017年8月にバリャドリードで共同墓地が新たに見つかっており、現在もスペイン国内で見つかり続けている状況であった。

フランコの独裁政権下での行方不明者リストは、11万4000人で、どこかの共同墓地で埋葬されていると思われる。

独裁者であったフランコは多くの国民を殺害した為、現在、当然評判は良くない。

特にフランコの場合は虐殺したほぼ全てが自国民であった為、通常の (第二次世界大戦時の) 独裁者による虐殺と比べて異質であった。

当然許されるべきではないが、ただ、フランコは反対派に厳しかったが犯罪者にも厳しかった。

治世晩年にはアメリカとの関係改善や共産主義を排除し、後のスペインの経済発展に繋がった。

また、第二次世界大戦の中立を含め、自国を大戦に巻き込ませなかった事は評価されている。



《虐殺数》
50万人以上 (異説あり)

《独裁期間》
1940年3月27日~1975年11月20日



∽ 総評 ∽

ヨーロッパ史上独裁者としては最長の35年に及びスペインのトップに君臨し、独裁を続けたフランコ将軍。

フランコは独裁者らしく反対派を根絶やしにし、国民が政治に口出すと新たな思想や反対、クーデターが起きる可能性を考え、一切認めなかった。

ただ、独裁者というのは後世において一定数だが評価が分かれる事が多い (それは近年の独裁者だけに限った事ではないが) 。

独裁者といえばアドルフ・ヒトラーを思い浮かべる人も多いだろうが、ヒトラーは確かにユダヤ人虐殺にみられる非情さであったが、表面上だったとしても自国民には優しく、国民の為の政治や政策を行った。

だが、フランコは第二次世界大戦という未曾有の有事にも拘わらず、敵意を国内の内々に求め、自国民を虐殺していった。

独裁者にとって自身の地位や保身の為には粛清や虐殺は当然必要で、それに関してとやかく言う事はない。

ただ、1つ言えるのはいくら本人が正当だの正義だの唱えても人殺しに過ぎない。

フランコが特殊なのは、主に第二次世界大戦以降に独裁者として君臨した事だ。

アフリカの独裁者を除けば、大抵が第二次世界大戦以前から始まり、第二次世界大戦により死亡かそのまま君臨し続けるかだ。

しかも、ヨーロッパという自称優秀人種国家で長らく続いたのが信じられない。

独裁者は細かい点は異なるものの、大まかな点においては非常に共通点が多い。

恐怖を利用した統治、虚偽やコントロールの為の宣伝と統制、国民の感情を自分から反らす為に敵を捏造し、個人崇拝させる。

これらはほとんどの独裁者にみられる傾向であり、それらを活用し、独裁者として君臨するのであった。

ただ、フランコは国民や反対派に厳しかったが犯罪者にも厳しかった。

犯罪者には厳罰をもって臨み、容赦がなかった。

犯罪者に厳格な独裁者は非常に多く、それは個人的に独裁者の唯一認める部分である。

フランコは第二次世界大戦で中立を主張し、国を守った事は評価されている。

しかも、フランコはヒトラーやムッソリーニに助けを求め、戦争勃発時は完全な枢軸国寄りであったにも拘わらず、そちらに付く事なく中立を維持した。

これは中々出来る事ではなく、その点に関しては評価出来る。