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ヘンリック・モルシ (ポーランド)
【 1943 ~ 2013 】



ヘンリック・モルシは、1943年、ポーランド・スレユフで生まれた。


モルシは1986年から逮捕される1992年まで殺人を行った。

モルシの犯行は強盗目的で襲い、カービン銃で撃って射殺した。

初めに殺害されたのはテレサ・グラボフスカ (♀) で、1986年に殺害された。

ピョトルクフ・トリブナルスキでは、60歳のセールスレディが自身の店舗で殺害された。

ズジスワフ (♂) とミェチスウァフ (♀) は、自宅の寝室で寝ていた所をモルシに殺害された。

殺害された時、ミェチスウァフは妊娠3ヶ月であった。

他にはチェホミンで年金受給者のジョゼフ・ジェチェク (♂) が殺害され、ツァルノチンではセメント販売員ヤロスワフ・クチェット (♂) が殺害された。

最後に殺害されたのはコルシュキの事務所のオーナー、アンジェイ・クロシンスキー (♂) であった。

逮捕されたモルシは7人の殺害を認め告白した。

だが、裁判前の最後の証言で一転無実だと主張し、これまでの発言を覆した。

裁判の手続きが行われている間、モルシは何も話さず、後悔の姿勢も示さなかった。

また、猥褻な素振りを見せるが、これは精神科医によると精神異常を装っているにすぎず、十分責任能力はあると断定された。

モルシを知る知人によると、3人の子供を持つ良い夫であり、思いやりのある父親であったという。


1993年、裁判でモルシは公共の権利の剥奪及び禁錮25年と死刑が言い渡された。

モルシは控訴するが、結局、裁判所は死刑を支持した。

しかし、この判決に対して意義が唱えられ抗議が行われた。

だが、1998年、ポーランドで死刑が廃止され、モルシの刑は終身刑に変更された為、抗議は収まった。

ボウウフ刑務所でのモルシの行いは非常に良かった為、縫製室で働く権利を得た。


2008年、モルシは当時の大統領に恩赦の申請を行った。

モルシは罰が自分の人生を大きく変えたと強調し、刑務所ではエホバの証人となり罪を後悔していると主張した。

だが、モルシの恩赦申請について政府は否定的な意見を表明した。


2013年8月18日、ツァルネの刑務所の病院でモルシは死亡した。

享年70歳 (生まれた月日は不明だが70歳とされている) 。

確たる死因は不明だが、最も有力なのはアテローム性動脈硬化、虚血性心筋症及び心不全であった。

家族はモルシの遺体を引き取らなかった。

モルシはポーランドにおける「最後の死刑囚」とされている。



《殺人数》
7人

《犯行期間》
1986年~1992年



∽ 総評 ∽

強盗目的で7人を殺害したモルシ。

モルシが犯行を行った時はすでに40を越えており、それまでどのような人生を送ってきたのか詳細がなくわからない。

唯一わかっているのは結婚して子供が3人いるという事だけだった。

モルシは刑務所で改心し、行いが良い事を理由に大統領に直接恩赦の申請を行った。

行いが良いというのは他人に判断されるのであって自ら主張する事ではない。

自分で改心したと言っている時点で、改心など微塵もしていないと判断して構わない。

結局、死ぬまで恩赦にならなかったのは、おそらく政府もよくわかっていたのだろう。