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ウェイン・ボーデン (カナダ)
【 1948 ~ 2006 】



ウェイン・クリフォード・ボーデンは、1948年、カナダ・オンタリオ州ダンダスで生まれた。

ボーデンはハミルトンにあるグレンデール中等学校で過ごし、同級生によると物静かであったという。


しかし、1960年代半ば、学校の先輩と交流すると性格が変わり、サッカーチームに所属した。


1969年10月3日、ケベック州モントリオールにある繁華街の複合施設で、シャーリー・オーデット (20歳♀) の遺体が発見される。

オーデットは服を着ていたが、強姦され首を絞められていた。

また、胸には野蛮に噛まれた痕があった。

ただ、オーデットの爪には相手の皮膚等は見つからず、その為、加害者と争っていないと結論付けられた。

オーデットの元ボーイフレンドの1人は、オーデットが支配的で魅力的な男性に関わっていた事を警察に告げた。

警察がその男性の名前を聞くがわからなかった。


同年11月23日、宝石店員マリエール・アーシャンボウ (20歳♀) が同僚に「ビル」と紹介した男性に夢中だと嬉しそうに話していた。

しかし、翌朝、アーシャンボウが職場に現れないと、病気だと思いアパートへ向かった。

すると、ソファで死んでいるアーシャンボウを発見する。

部屋は荒らされた形跡はなく綺麗であったが、アーシャンボウのパンストとブラジャーが裂かれ、強姦されていた。

また、オーデット同様、胸に噛み痕が残っていた。

警察はアパートでしわくちゃになった写真を見つけ、その男性が犯人だと考え、それを元にスケッチを作成し、新聞に掲載した。

だが、容疑者逮捕には至らなかった。

何故なら写真の男性はアーシャンボウの死んだ父親だったからだった。


1970年1月16日、ジーン・ウェイ (24歳♀) のボーイフレンドであるブライアン・コールフィールドが、モントリオールのダウンタウンにあるウェイのアパートへ向かった。

しかし、ドアをノックするがウェイは答えなかった。

その為、コールフィールドは一旦離れ、少し経った後に戻って来る事にした。

しばらくして戻ると、ドアに鍵が掛かっていない事に気付いた。

部屋に入るとベッドの上で裸で胸に傷を負った状態のウェイの遺体を発見する。

その後、ウェイの剖検を行うと、小さな繊維と加害者と戦った痕が左手の指の爪の中で見つかった。

また、コールフィールドが最初にアパートを訪れた際はまだウェイは生きており、その時、加害者も部屋にいた可能性が高かった。

ウェイの死が世間に知られると、モントリオールはパニックとなった。

だが、犯人であるボーデンは、ウェイ殺害後、モントリオールから離れていたのだが、この地での殺人は終わり、後に市民は落ち着いた。


1971年5月18日、アルバータ州カルガリーで、高校教師エリザベス・アン・ポーティアス (33歳♀) が寝室の床で遺体で発見される。

ポーティアスのアパートの室内はかなり争った形跡がみられ、ポーティアスは強姦され首を絞められていた。

これまで同様胸に噛み傷があり、また、首にも歯形があり乳首が噛み千切られていた。

だが、警察は遺体の下から折れたカフスボタンを見つけ、犯行の夜、ポーティアスの同僚が不審な青いメルセデス・ベンツを確認していた。

また、車のリアウィンドウには雄牛型のデカールが貼られており、特徴的であった。


翌日の19日、警備員が殺人現場近くに停まっている青いメルセデス・ベンツを発見する。

30分後、車の持ち主である男性が逮捕されたのだが、その男性がボーデンであった。

ボーデンは自身はファッションモデルで、約1年前にモントリオールから引っ越してきたと話した。

そして、ボーデンはポーティアスが殺された夜、デートしていたと認めた。

警察が壊れたカフスボタンを提示すると、ボーデンは自分の物だと認めた。

だが、ボーデンは夜の内にポーティアスの家を去り、その時は元気だったと話した。

警察はボーデンを犯人だと考え拘束する。

そして、連続殺人事件の犠牲者全てに残された胸の咬傷痕を調べる為、警察は歯の矯正医に連絡を取り、ポーティアスの胸と首に残された咬傷痕がボーデンの歯形と概ね一致する。

しかし、カナダではこれまで歯形と咬傷痕の一致が犯行の証拠になるという事例がなかった為、アメリカのFBIに手紙を書いた。

そして、イギリスで噛みつきに関して20件から30件の事例を扱った人物により、ボーデンの歯形とポーティアスに残された咬傷痕との類似点が29ヶ所ある事を実証した。


この証拠が決定的となり、1972年2月16日、終身刑が言い渡された。

その後、ボーデンはモントリオールに戻され、オーデット、アーシャンボウ、ウェイ殺害を告白した。

その為、ボーデンには更に3つの終身刑が追加された。

警察はボーデンには他にも余罪があると考えており、1968年7月23日に殺害された学生ノーマ・ヴァインアンクール (21歳♀) もボーデンによる犯行だと尋問するが、ボーデンはそれを否定した (1994年にヴァインアンクール殺害でレイモンド・ソーブが逮捕され懲役10年が言い渡されている) 。


1977年、ボーデンは1日外出許可により、ソーシャルワーカーとモントリオールにあるマウントロイヤルホテルで昼食を食べた。

そして、ホテルの洗面所に向かうと、浴室の窓から逃走した。


数日後、ボーデンはモントリオールのダウンタウンにあるバーで逮捕された。

この逃走により3人の刑務所の警備員が懲戒処分となった。

ただ、逃走中にボーデンはクレジットカードを使用しており、どこで入手したのか内部調査が行われた。


2006年3月27日、ボーデンはキングストン総合病院で6週間入院した後、皮膚癌により死亡した。



《殺人数》
4人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1969年10月3日~1971年5月18日



∽ 総評 ∽

『The Vampire Rapist (吸血鬼強姦魔) 』と呼ばれ、4人の女性を強姦して殺害したボーデン。

ボーデンは犠牲者全員の胸に噛みつき、咬傷痕を残す程、異常な執着を示した。

女性の乳房に執着する殺人鬼は意外に多く、大抵が母親に対する様々な感情によるものが要因である。

ボーデンの幼少の詳細が少なくよくわからないが、母親が早く死んだり捨てられたりと、何らかの原因があると思われる。

ボーデンは刑務所に収監後、1度逃走を試みており、その後、普通に刑務所に戻され人生を終えたが、元々終身刑であったボーデンにはそれ以上の刑には出来ない。

その為、生涯を全うしたのだが、逃亡犯の生涯を無駄な税金で養うというのはもはや笑い話としか思えない。