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ゲルト・ヴェンツィンガー (ドイツ)
【 1943 ~ 1997 】



ゲルト・ヴェンツィンガーは、1943年、ドイツのザンクト・ブラジーンで生まれた。

ヴェンツィンガーは3人兄妹の2番目であった。

兄妹は何の問題もなく育ち、妹にとってヴェンツィンガーは
「バイオリンを弾く信じられない程愛らしい人」
であったという。

また、ヴェンツィンガーは絵を描く事も好んだ。

その後、ヴェンツィンガーは医学を志し、数学や物理学の研究を始めた。

ヴェンツィンガーは結婚するがすぐに離婚し、その後、多くの女性と交際した。

妹によると、ヴェンツィンガーは嫉妬深く不誠実さにより交際は長続きしなかったという。


1978年、ヴェンツィンガーは開業医としてシュトゥットガルトに住み始めた。

医者としての腕は確かで、多くの患者から感謝されていた。

だが、これは表面上の話しであり、ヴェンツィンガーは裏の顔を隠していた。


1991年、ヴェンツィンガーのパートナーの1人がビデオテープを発見する。

そのテープには治療中の患者が映されていたのだが、それを見た医療委員会はヴェンツィンガーに研修からやり直すよう命じた。

その後、ヴェンツィンガーはブラジルへ何度も旅行に出掛け、結局、ブラジルに住む事となった。

そして、売春婦を買い漁るようになる。


1996年2月、バイーア州の州都サルバドールで、不審な人物がいると警察に連絡が入り、警察官がその男性を尋問した。

その男性がヴェンツィンガーであり、警察官がアパートの部屋を調べる。

すると、カセットテープが見つかり再生してみると、それには女性を虐待している映像が映された。

ヴェンツィンガーが女性を水で溺れさせ気絶させると、胸に針を刺し性器を傷つけていた。

この映像によりヴェンツィンガーは逮捕される。

逮捕されたヴェンツィンガーだったが、警察は確実に余罪があると考えた。

ヴェンツィンガーの犯行は1991年から始まり、逮捕される1996年の間に行われ、少なくともドイツで13人、ブラジルで4人を殺害したと考えられたが、証拠は一切なかった。

だが、別の録画されたテープが見つかり、それにはヴェンツィンガーが女性に麻薬を無理やり飲ませ、暴行し切り刻んでいる様子が映されていた。

その女性はダナ・フランツケという名の売春婦で、1994年に殺害された事がわかった。

しかし、ヴェンツィンガーは

「私はダナ・フランツケを殺していません」

と述べ、犯行を否認した。

フランツケの遺体からは鎮静剤と麻薬が見つかった。

また、拷問が行われた痕跡が多く見つかった。

だが、しばらくしてヴェンツィンガーは自殺を図る (一命を取り留めている) 。

刑務所に収監されたヴェンツィンガーは、他の囚人に殺人について楽し気に話をしていた。

ヴェンツィンガーは女性が痛みを感じないよう傷つける事に力を注いだと話し、

「私は女性の体を変える事が好きだ」

と説明した。


1997年6月12日、ブラジル最高裁判所はドイツへの身柄引き渡しを承認する。


同年6月16日朝、首を吊って自殺した。

ヴェンツィンガーによる犠牲者は少なくとも17人、19人は殺害しているとする関係者もいた。

また、数百人の女性を拷問にかけたと噂された。

ヴェンツィンガーが記録した数々のテープは、現在、紛失して無くなっている。



《殺人数》
1人? (17人以上の可能性大)

《犯行期間》
1991年~1996年



∽ 総評 ∽

『The Torture Doctor (拷問医師) 』または『Havel Ripper (ハーフェルの切り裂き魔) 』と呼ばれ、ドイツとブラジルで17人を拷問の末、殺害したとされるヴェンツィンガー。

ヴェンツィンガーによる確実な殺害数は1人であり (ただし拷問の末殺害するまでの映像ではないので確実とはいえない) 、他の殺人については不明であった。

拷問の様子を録画したテープのみが唯一の記録だが、その詳細は伝わっておらず、現在は紛失している為、確認のしようもない。

ただ、拷問の様子を記録するような変態なので、多くを殺害している可能性は極めて高い。

警察もドイツで何人、ブラジルで何人と発表しているが、適当に言っているのではなく何らかの根拠があって言っているはずである。

ヴェンツィンガーは最後、ドイツに身柄を戻される事が決定した後、自殺した。

ドイツに戻りたくなかったからか、ドイツで己の惨状が浮き彫りになる事を恐れたからか理由はわからないが、死んでくれて良かったとは思う。