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フランク・シュメルク (ドイツ)
【 1962 ~      】



フランク・シュメルクは、1962年8月19日、ドイツ・シュトラウスベルクで生まれた。

シュメルクの父親は警察官であった。


1988年、シュメルクは13歳の少女に対する暴行と強姦未遂の罪で逮捕され、1年半の禁錮刑が言い渡された。

刑務所に収容されたシュメルクだったが脱獄を図り、更に10ヶ月の禁錮刑が追加された。


しかし、1989年、恩赦により釈放された。

釈放されたシュメルクだったが、8歳の少女を強姦し、他にも犯罪を犯した。


1993年、フランクフルト地方裁判所でシュメルクは4件の性的虐待で有罪判決が下され、5年半の禁錮刑が言い渡された。


1994年、シュメルクはクリアランス (寸法的なゆとり、隙間) の間から逃走し、クヴィッツェローで11歳の少女を強姦した。

シュメルクは少女を強姦した後、殺そうとするが失敗し、逮捕される。

シュメルクは強姦及び殺人未遂で14年の禁錮刑が言い渡された。


1995年、再びシュメルクは逃走するが、翌日に逮捕された。


1996年、シュメルクは許可を得て刑務所を出るが、その間に逃走を図る。

だが、3日後に逮捕された。


1997年春、再びシュメルクは逃走し、1週間後に逮捕されノイルピーンに移された。


ノイルピーンの刑務所に収監されてから6ヶ月後、シュメルクは脱獄するが翌日に逮捕された。


2000年4月、シュメルクは治療の一環として介護者を伴って自由に拘留センターの外に移動する機会を与えられた。


同年10月25日、シュメルクはシュトラウスベルクの母親への訪問を許可される。

保護者を伴って母親の元を訪れるが、シュメルクは母親を激しく殴って傷つけ、保護者もナイフで傷つけ逃走した。


同年11月2日、シュメルクはシュトラウスベルクで隠れるが、60歳の退職者を殺害し、車を奪って逃走した。

バウツェン近くの森で通行人により逃走車両が見つかる。

森はチェコとポーランドにまたがる広大なものであり、その為、数百人もの警察官が投入され大規模な捜索が行われた。


同年11月7日、バウツェン近郊のザリッチでシュメルクは発見される。

シュメルクは逃走するが、銃で腹部を撃たれて逮捕された。


2002年12月11日、シュメルクはフランクフルト地方裁判所で終身刑が言い渡された。


シュメルクは控訴するも、2003年11月12日、連邦裁判所が控訴を棄却し、シュメルクの判決は確定した。


2004年、警察はシュメルクが1982年に兄弟を殺害したとして捜査を始める。

そして、殺人を認める代わりに自伝の出版を許可した。

シュメルクの事件が公になると、何度も脱獄や脱走された事に非難や批判が集まった。

その後、議論を巻き起こし、セキュリティや拘束規則の厳格化に繋がった。



《殺人数》
2人 (他強姦多数)

《犯行期間》
1982年、2000年11月2日



∽ 総評 ∽

何度も逃走を図りその都度犯罪を繰り返したシュメルク。

シュメルクは5回もの脱獄や逃走を行ったが、今回の場合は逮捕後の刑罰の重さよりもセキュリティの甘さが問題といえる。

1度ならまだしも、何回も行われるこんなザルな刑務所や施設が存在するのかと疑ってしまう程だ。

しかも、そんな鬼畜に恩赦も出すというにわかには信じ難い事実。

そもそも少女ばかり強姦している鬼畜なので、最初に逮捕した時に死刑にしていれば何の問題もなかったのだが。