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ヌスラト・ラフィ (バングラデシュ)
【 1999 ~ 2019 】



ヌスラト・ジャハン・ラフィは、バングラデシュの首都ダッカから南約160kmにある小さな町フェニで生まれた。

ラフィはイスラム教の学校マドラサで勉学に励んでいた。


2019年3月27日、ラフィは校長室に呼ばれ、校長から不適切な方法で何度も体を触られ性暴力を受けた。

ラフィは校長室から走って逃げ、警察に被害届を提出し、警察は校長を逮捕した。

だが、これで終わらなかった。

男子生徒2人が呼び掛け、多くの人が集まり校長の釈放を求めた。

その抗議には地元の政治家も参加した。

そして、集まった人々は警察に訴えたラフィを責め始めた。


同年4月6日、期末試験の為にラフィは登校する。

この時、兄も同行していたが、兄はラフィと学校の敷地内に入ろうとするが、入る事を止められた。

女子生徒の1人が友達が殴られているとラフィに話し、学校の屋上へ連れて行った。

すると、屋上にはブルカ (伝統的にイスラム世界の都市で用いられる女性用ヴェールの1種) を被った4、5人 がラフィを取り囲んだ。

そして、ラフィに校長への訴えを取り下げるよう迫った。

ラフィが拒否すると火を放った。

犯人らは自殺に見せ掛けようとするが、ラフィが救出された為、その企ては失敗に終わる。

ラフィは地元の病院に運ばれたが、火傷は全身の8割に及び、地元の病院では治療は出来ないと判断され、ダッカ医大病院に送られた。

救急車の中で、ラフィは犯人の何人かはマドラサの学生だったと名前を挙げた。

事件はすぐに地元メディアによって大々的に報道され、世間の関心を集めた。

そんな中、ラフィは4日後の10日に死亡した。

ラフィの葬儀には何千人という数の人が参列した。

その後、捜査の末、ラフィの殺害に関わったとされる7人を含む15人を逮捕した。

ラフィの訴えを動画に撮影した警察官は、別の部署に転属された。

ラフィと一緒に登校し、学校に入るのを拒絶された兄は、
「もし、あの時、制止されていなければ妹にあのような事は起こらなかった」
と述べた。

首相のシェイク・ハシナは、ダッカでラフィの家族と面会し、殺害に関わった全員を裁くと約束し、

「法的措置から逃れられる犯人はいない」

と力強く話した。

ラフィの死を受けて抗議運動が始まり、ソーシャルメディアでは数千人がこの事件やバングラデシュで起こっている性暴力被害者の扱いについて日頃から溜まっていた怒りが爆発した。

2018年、バングラデシュでは940件の強姦被害が確認されていた。

だが、実際にはもっと多いのは明白であった。

フェイスブックでは「娘が欲しいと思っているけど今は怖い。この国で女の子に生まれるのは恐怖と不安の人生を送る事になるから」等と投稿された。

バングラデシュでは少女や若い女性たち性的被害に遭っても社会や家族から辱しめを受ける事を恐れ、泣く泣く黙っている場合が多かった。

そんな中、ラフィは虐待された日にその事を家族に相談し、そして、協力を得て警察に届け出た。

その後、保護されるべきであったが、それ所かラフィが救急車で運ばれる最中、警察官が携帯電話で動画を録画しながら
「大した事じゃない」
と言い捨て、動揺して両手で顔を隠そうとするラフィに手をどけるよう命じた。

実は2009年、バングラデシュ最高裁判所が全ての教育機関にセクハラ対策室を設け、生徒が相談出来るよう命じていた。

だが、実際にこの命令を守っているのはほとんどなかった。

ダッカ大学の教授は
「この事件は私たちを震え上がらせたが、過去にもあったようにこうした事は時間と共に忘れ去られてしまう。正直、この事件の後にも大きな変化が起こるとは思っていない。正義が行われるかどうか見守る必要がある」
と話した。


2019年10月24日、元校長を含む16人に死刑判決と罰金10万タカ (約13万円) が言い渡された。


最後に救急車の中で撮られたラフィの発言で終わりたいと思います。

「先生が私に触れた。命が尽きるまでこの犯罪と戦う」



《犯罪被害期間》
2019年3月27日



∽ 総評 ∽

性暴力を訴えたにも関わらず、訴えを取り下げるよう迫られ火を放たれ殺害されたラフィ。

訴えられた校長がラフィを殺すならまだ動機として理解は出来るが、周囲の関係もない人間が訴えを取り下げると迫るのは一体どういう神経なのだろうか。

それほど校長は校内で人気があったのだろうか。

しかも、生徒だけではなく政治家も校長逮捕の抗議に参加する程であり、何がそうさせるのか全くわからない。

ただ、抗議する人間は女性の事を見下しているだけであり、国柄がそうさせるのかもしれない。

自分の娘が同じ目に遭ってもそう言えるのか聞いてみたい。