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ポール・クルーズ (アメリカ)
【 1953 ~      】



ポール・デイビッド・クルーズ (出生名ポール・デイビッド・ホーン) は、1953年、アメリカ・サウスカロライナ州ロリスで生まれた。

クルーズは9人兄弟の6番目であった。

父親はほとんど家にいなかった為、クルーズはほとんど父親に会った事がなかった。

そして、母親はクルーズが5歳になるまでに家族を捨てた。

その後、クルーズは3年間、里親をたらい回しにされた。

ノースカロライナ州バーリントンの夫妻に養子となってから「クルーズ」という姓となった。


1972年、クルーズは高校を卒業し、その後、アメリカ海軍に入隊した。

クルーズは高校からの恋人テレサ・アン・ダンマンと結婚した。

だが、結婚して間もなくクルーズは自殺を試みた。

テレサは
「ある日、彼は昼食を取りに来ました。そして、手首を切り開きました」
と後に語っている。

クルーズは1年以内に退院するが、軍を辞めしばらくして離婚した。

クルーズは漂流者となり、その後、しばらくどのような人生を送ったか不明であった。


1986年7月、この頃、クルーズはフロリダ州バートウに住んでいたのだが、ある夜、バーで美容師クレミー・ジュエル・アーノルド (56歳♀) と出会った。

そして、車で帰る際、クルーズはアーノルドの喉をナイフで切り裂き殺害する。

クルーズは6回も喉を切った為、ほとんど切り離された状態であった。

血まみれの服とナイフを車のトランクに捨て (後に指紋が見つかる) 、遺体はクルーズの自宅から約1km離れた線路近くに捨てた。

アーノルドの遺体は発見された際、全裸であったが、強姦されたかどうかは検視を行ってもわからなかった。


翌日、警察はアーノルド殺害の捜査を行うと、クルーズの車を見つけ、高速道路でカーチェイスとなる。

クルーズは何とか森に逃げ込み、警察から逃れた。

その後、クルーズはサウスカロライナ州ロリスに向かい、1987年までタバコ農場で働いた。


クルーズはカレンという名の女性と結婚するが、1989年、突然、バスに乗って北に向かい、2度とカレンの元には戻らなかった。


1990年9月、クルーズはバージニア州へ行き、その後、メリーランド州を通りヒッチハイクしてペンシルベニア州に入った。

そして、アパラチア山脈のマップを手に入れる為、地元の図書館に向かった。


同年9月13日夜、ジョフ・フッド (26歳♂) とモリー・ラルー (25歳♀) のカップルは、アパラチア山脈のキャンプ地で野営を行った。

そして、クルーズは2人を見つけると、フッドを22口径の銃で3度撃って射殺し、その後、ラルーの両手を後ろに回して縛り強姦した。

強姦した後、ラルーの首を8回刺して殺害した。

フッドもラルーも攻撃された後、数分間は生きていた事がわかった。


翌日の14日、2人の遺体が発見され、同年9月21日、クルーズは逮捕された。

逮捕された際、クルーズはフッドの靴にズボン、そして、バックパックを背負っていた。


裁判が始まると、クルーズはフッドとラルー殺害の時、コカインを摂取し、ウイスキーを飲んでいたと供述した。

検察官はクルーズに死刑を求刑した。


1991年5月25日、クルーズには死刑が言い渡された。

判決を言い渡された際、法廷に来ていた遺族や友人らから歓声が上がった。


しかし、その後、上訴が行われ2006年12月26日、クルーズの刑は仮釈放の可能性がない終身刑に変更された。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1986年7月、1990年9月13日



∽ 総評 ∽

旅行していたカップルなど3人を殺害したクルーズ。

クルーズは親に捨てられ里親を転々としたが、おそらくそれが精神を蝕んでいったと思われる。

クルーズは最初の結婚後、突如、自殺を試みているが、何故、そうしたのか詳細がなくわからない。

また、2度目の結婚も、突然、家族を捨てて移動しており、何故そうしたのかもわからなかった。

クルーズはカップル殺害後、服やズボン、バックパックを身に付けていた所を逮捕されているが、クルーズは漂流していた為、まともなお金を持っておらず、強盗による殺人だと思われる。

自殺した時、そのまま死んでくれればその後の犯行はなかったと考えると、未遂で終わった事は非常に残念である。

クルーズは1度、死刑を言い渡され、法廷に来ていた遺族は判決に歓喜した。

だが、15年の間、死刑が執行される所か終身刑に変更となった。

遺族の喜びを何だと思っているのか司法に聞いてみたいものである。