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グレゴリオ・ヘルナンデス (メキシコ)
【 1915 ~ 1999 



グレゴリオ・カルデナス・ヘルナンデスは、1915年、メキシコ・メキシコシティで生まれた。


ヘルナンデスは脳炎となり、それ以降、動物への残虐行為が目立つようになり、異常な行動を示すようになる。

その後、ヘルナンデスは奨学金を受け、メキシコ国立自治大学 (UNAM) に通った。


1942年8月15日、ヘルナンデスは売春婦マリア・デ・ロス・アンジェレス・ゴンザレス (16歳♀) をメキシコシティのタクバ地区にある自宅に連れ込み、性行為を行った。

そして、ヘルナンデスはゴンザレスの首を絞めて殺害し、庭に遺体を埋めた。


ゴンザレス殺害の次の週、ヘルナンデスは売春婦ローザ・レイエス (16歳♀) とラクエル・マルティネス・デ・レオン (16歳♀) を殺害する。


同年9月、ヘルナンデスは仲間の大学の学生グラシエラ・アリアス・アバロス (19歳♀) を殺害する。

しかし、ヘルナンデスの隣人が不審に思い始め、警察に通報した。


同年9月7日、ヘルナンデスは逮捕された。

裁判でヘルナンデスは終身刑を言い渡された。


1947年、ヘルナンデスは脱獄し、オアハカへ逃亡したが、結局逮捕された。

ヘルナンデスはメキシコで最初の連続殺人犯とされ、メディアに大々的に扱われた。

その為、ヘルナンデスはメキシコ国内で有名な人物となった。

以降、ヘルナンデスを模倣した殺人犯が何人も現れた。

刑務所でヘルナンデスは勉学に励み、3冊の本を書き上げた。

その知識は国内トップの精神科医や犯罪学者が度々ヘルナンデスの元へ訪れ質問される程であった。

また、ヘルナンデスは精神医学と法律の勉強に励み、そして、ピアノを学び詩を書いた。

刑務所で結婚する事を許されたヘルナンデスは、4人の子供が生まれた。


1976年、ヘルナンデスは大統領から恩赦を受け釈放された。

釈放されたヘルナンデスは内務長官に招かれ、英雄扱いを受け連合会議でスピーチを行った。

ヘルナンデスは犯罪から見事に更生した「素晴らしい例」または「リハビリの成功例」として歓迎された。


1999年8月2日、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスで死去。

ヘルナンデスは死ぬまで弁護士として働いていた。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1942年8月15日~同年9月



∽ 総評 ∽

『The Strangler of Tacuba (タクバの絞殺魔) 』と呼ばれ4人の主に売春婦を殺害したヘルナンデス。

ヘルナンデスは確認されている中ではメキシコで初めてのシリアルキラーとされている。

その犯行はメキシコで初めてとされるシリアルキラーに相応しい陰惨で残酷なものであった。

ヘルナンデスが異常になったのは、その後の行動がおかしくなったとされる為、おそらく子供の頃にかかった脳炎だと推測される。

ヘルナンデスはメキシコ政府によると見事に更生した例として称賛を受けた。

釈放後は弁護士として働き生涯を終えたが、仮に釈放後に一切犯罪を犯さず更生したとしても個人的にはとても許せない。

殺された4人やその遺族からすれば、その後、更生して立派な弁護士になったとしてもそんな事どうだっていい話だ。

どんなに更生しようとしても犠牲者は戻らないし、遺族のその後の人生は地獄のような辛い日々だったのは想像に難くない。

私のような人間に対して「1度でも道を踏み外した人間を許さないのか」と言う人もいるだろう。

例えば軽犯罪であれば十分更生する可能性はあるし、チャンスを与えるべきだと思う。

ただ、凶悪犯罪に関しては更生など必要ないし考えるべきではない。

狭量な人間だと思われるかもしれないが、私はこのヘルナンデスが更生してどれだけ素晴らしい事をやったとしても認める事は決してない。