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ジョセフ・ウッド (アメリカ)
【 1958 ~ 2014 】



ジョセフ・ルドルフ・ウッド三世は、1958年12月6日、アメリカ・テキサス州で生まれた。


1989年8月7日、ウッドは以前、交際していたガールフレンド、デブラ・ディーツとその父親ユージーン・ディーツを射殺する。

逮捕されたウッドは裁判で死刑が言い渡された。


ウッドへの死刑執行が決まり、ミタゾラムとヒドロモルフォンの組み合わせにより処刑される予定であった。

この薬剤の組み合わせによる死刑執行は、2014年1月にオハイオ州で執行されたデニス・マクガイア以来となり、これまでマクガイアの時、1度だけ使用されただけであった。

実は死刑執行の際、薬を投与後、マクガイアは苦しみ始め痙攣し始めた。

それは絶命するまで25分も続いたのだが (通常、薬殺は10分程度で終わる) 、執行は「失敗」と記載された。


2014年7月23日午後1時52分にウッドの死刑が執行されるが、絶命したのは午後3時49分であり、実に2時間近くも費やした。

ミタゾラムとヒドロモルフォンの投与は最初の1度だけでよかったが、絶命には至らず鼻息が荒くなった。

その為、更にミタゾラムとヒドロモルフォンを投与したが、結局、合計15回も投与される事となった。

ウッドの弁護士は薬剤の投与から1時間後に執行を停止するよう求めた。

しかし、アンソニー・ケネディ裁判官は、要求を拒否した。

殺害されたディーツの姉はAP通信のインタビューに答え、
「彼が処刑されている時の様子は、1989年8月7日に起こった事に比べるとたいした事ではない」
と話した。

AP通信の記者は
「耐え難いのは彼の死ではなく、あなた (ディーツの姉) が血の海に横たわる父と妹を見た事である
と語った。

ジャン・ブリューワー知事は、ウッドが死ぬまでかかった時間を懸念し、執行手続きの見直しを命じたが、ウッドの執行については
「1つ確かな事がある。ウッドは合法的な方法で死亡し、目撃者や医師によると彼は苦しんではいなかった。それは彼が招いた陰惨で悪質な犯行に比べられるものではない。また、彼による2人の犠牲者、そして、その家族に訪れた生涯の苦しみに比べればたいした事ではない」
と述べた。

アリゾナ州矯正局のチャールズ・ライアン局長も声明で
「彼は昏睡状態にあり痛みや苦痛を抱えていない事は明白である」
と述べた。

死刑反対団体は
「アリゾナ州は以前1度、刑が失敗している事を知っているにも関わらず強硬し、適正手続きを無視し、執行手続きを秘密裏に隠した。その結果、拷問が行われた」
と批判した。

ウッドの擁護者デイル・ベイチは「残酷で異常な罰」と非難した。


死刑執行の翌日24日、アリゾナ州はウッドの死刑見直しが終了するまで、他の囚人の死刑執行を一時的に停止した。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1989年8月7日



∽ 総評 ∽

死刑執行の際、絶命するまで約2時間かかったウッド。

通常、10分程度で終わるはずの薬殺刑が、それだけかかった事に非難が殺到した。

以前も同様な執行に時間がかかった記事を紹介したが、その際も人権派などが騒ぎ立てた。

非難は苦しんで死んだ事に対するものだが、私からすれば非難する事が理解出来ない。

殺害された親子の家族や知事が言っている事がもっともであり、とやかくいう偽善者たちが信じられない。

殺害された犠牲者の姉が「犯行に比べればたいした事ではない」と言っているがまさにその通りである。

私からすれば「苦しんではなかった」とわざわざ主張する必要などなく、苦しんでいたなら苦しんで死んだと言えばいい。

秘密裏に行う事の何がいけないのか、残酷で異常な拷問の罰のどこが悪いのか説明して欲しいものだ。

ウッドは最後の執行の時の様子ばかり強調され、肝心の人生についてはどのように送ってきたのかわからない。

犯行についても詳細はないが、おそらくウッドを異常だと感じたディーツの父親が交際に反対し、ディーツから別れを切り出された事を恨み、復讐の機会を伺っていたと思われる (父親はただ単にディーツと一緒にいて巻き込まれただけかもしれないが) 。

それまで余罪も沢山あると思われるので、もっと苦しめて処刑してもいいくらいだと私は思う。