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リチャード・スターレット (アメリカ)
【 1959 ~      】



リチャード・ダニエル・スターレットは、1959年9月25日に生まれた。

スターレットは産まれる際、へその緒が絡まり鉗子で取り除かれた。

その為、鼻から上に紫色の痣が出来た。

その影響からか、スターレットは2、3日泣き続けた。

また、下痢が続き病院に通ったが、それは成長しても続いた。

スターレットは薬を飲む事を拒み、脱水症状を起こした。

その為、両親はオレンジジュースと砂糖水を混ぜた物に薬を溶かして与えたが、医者はそれを止めるよう忠告する。

だが、スターレットがそのままでは薬を飲まない為、それを続けた。


1962年 (または63年) 、スターレットは走行中の車から転落し、頭を強く打った。

だが、車を運転していた父親は、スターレットを病院に連れて行かず、家のベッドで寝かせた。


1965年 (または66年) 、スターレットは9フィート (約2m70cm) の高さから落ち、再び頭を打った。

スターレットは気絶した為、今度は病院に連れて行かれたが、検査した医師は重い損傷はないと診断した。


1967年、スターレットはショッピングモールで頭痛に襲われ、フラフラとなり倒れた。

病院に連れて行くと、スターレットは右足と左足の成長が異なる事が判明した。

スターレットはあまり文字を読む事が出来ず、教師は母親に心理学者に会う事を勧めた。

スターレットを診た心理学者は、当時、8歳であったスターレットは3、4歳程度の知能しかないと診断した。

また、心理学者はスターレットがディスレクシア (読字障害) であると述べた。

スターレットが10歳になるくらいには女の子に強い興味を示すようになり、ポルノ雑誌を集め始めた。


1971年、スターレット11歳の時、父親に笑いながらホースで水をかけられた。

そして、昼食を無理やり口の中に詰め込んだ。


1981年、ジョージア工科大学に通っていたスターレットは、頭痛に苦しみ強迫観念に襲われるようになる。

その後、カリフォルニア州へ引っ越した。


1982年9月、23歳の時にヒースという名の女性と結婚する。


1987年3月12日、長女アリソンが生まれる。


同年12月25日、スターレットは広告で女性を募り、タミー・クランフォード (♀) を騙し、強姦する。


1988年、再び広告で女性を募り、ティファニー・ハート (♀) を強姦する。


同年6月24日、スターレットは冷蔵庫の広告を掲載し、その広告に引き寄せられたスザンナ・ハンセン (♀) を誘拐し、自宅で強姦した。


ある日、ジーン・テイラー・マクリー (15歳♀) が2、3日出掛けるといって行方不明となる。

スターレットはマクリーを誘拐すると、クローゼットに監禁する。

しかし、スターレットはマクリーと一緒にゲームをしたり映画を観た。

また、旅行にも出掛けた。

スターレットとマクリーは周囲からは普通のカップルのように見えた。


同年12月29日、スターレットはシャワーを浴びているマクリーを撃って射殺した。

その後、遺体を緑色の毛布に包み、川に捨てた。


1989年2月6日、クリッシー・ブレイク (17歳♀) が行方不明となる。


同じ日、スターレットはシャリ・ドーン・ティーツ (17歳♀) を強姦する。


同年2月11日、マイク・アダムズ巡査が叫び声が聞こえたという通報によりとある家に向かった。

家から現れたのはスーツを来た身なりの良い男性であった。

男性は保険セールスマンだと話した。

アダムズが家の中を見たいと告げると、男性は「いいですよ」と言って家の中に導いた。

すると、部屋には少女がおり、特に何の問題もないように思えた。

アダムズが帰ろうとすると、少女が走って近付き、
「私、誘拐されました!」
と叫んだ。

すると、男性が銃を取り出し、少女に向けて発砲した。

銃弾は少女に当たらず、男性は逃走した。

少女は行方不明となっていたブレイクであり、逃走した男性はスターレットであった。

FBIはスターレットを重要指名手配犯とした。


同年2月14日、スターレットはテキサス州で休憩している所を発見され、逮捕された。

スターレットはカリフォルニア州にいる妻と子供に会う為、車で向かっている途中、休憩で車内で眠っていた所を見つかったのだった。

スターレットはエロチックで暴力的なカレンダーやビデオ、ポルノ等を大量に所持していた事がわかった。


1993年5月3日、スターレットは4件の強姦、1件の殺人で仮釈放の可能性がない4つの終身刑と懲役50年が言い渡された。


最後にポルノについて語ったスターレットの発言で終わりたいと思います。

「私にとって秘密であり宝物だった。見ているとあらゆる自由な瞬間を過ごせた」



《殺人数》
1人以上 (他強姦多数)

《犯行期間》
1988年12月29日



∽ 総評 ∽

十代の若い少女を主に襲ったスターレット。

スターレットが殺害したのはわかっている範囲では1人だが、もっと殺害している可能性は高い。

ただ、スターレットの犯行のよくわからないのは、マクリーをすぐに殺さず、一緒にゲームをしたり旅行に出掛けたりしていたにも関わらず、突然射殺した事だ。

何かスターレットの琴線に触れたのかも知れないがよくわからない。

スターレットは産まれてすぐへその緒が絡まりその影響からか体に様々な後遺症が残った。

また、医者が止めるよう告げた薬の飲み方を両親は続けさせた。

頭部へのダメージを負った時も両親は病院へ連れて行かず、もしそれらが後のスターレットの凶行に結びついたとするならば、虐待を含め両親の責任と言っても過言ではない。

スターレットの生い立ちは不幸とした言い様がないが、成るべくして成った結果といえる。