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アーウィン・ハーゲドルン (ドイツ)
【 1952 ~ 1972 】



ハンス・アーウィン・ハーゲドルンは、1952年1月30日、ドイツ・エーベルスヴァルデで生まれた。

ハーゲドルンは若くしてシェフ見習いとして働いていた。


1969年5月31日、ハーゲドルンは働いていたミトローパというレストランで、学生のヘンリー (♂) とマリオ (♂) をナイフで残酷に殺害する。

2人共に首を深く切られた事が死因であったが、遺体は2週間後に発見され、1人は腐敗が酷かった。

警察は捜査を始めるが、これは長く続く捜査の始まりであった。

そして、犯人逮捕の為、ドイツの刑事史上初めて精神科医による加害者の心理的プロファイルが作成された。

GDR (ドイツ民主共和国:東ドイツ) の国家安全保障省は、ユルゲン・バルチェ (以前掲載したのでそちらを参照) の事件についての資料を西ドイツから入手し、参考とした。

その結果、犯人は同性愛者及び小児性愛者のサディストの可能性が高いとされた。

だが、政治的な理由により事件が公に公表され、大規模な捜査が開始されるが失敗に終わる。


1971年10月7日、ハーゲドルンは同じ方法で12歳の少年ロナルドを森で殺害する。

少年を殺害後、ハーゲドルンは母親の手術の見舞いに行った。

ロナルドが殺害されると、エーベルスヴァルデのウェストエンド地区各所に警察官が配備された。

また、子供は親と同伴でなければ家を出る事を許されず、全ての子供は学校の送り迎えを両親が行う事となった。


そして、捜査の末、1971年11月12日、ハーゲドルンは逮捕された。

この時、ハーゲドルンは19歳であった。

逮捕されたハーゲドルンは、これまでの罪を告白した。

ハーゲドルンは魚を調理する事でナイフの捌き方を訓練したと述べた。


1972年5月15日、フランクフルト地方裁判所は、ハーゲドルンに死刑を言い渡した。

判決を言い渡した後、裁判官は
「被告はこの私たち人間社会の中で生活する権利を放棄するべきだ」
と述べた。


同年9月15日、ライプツィヒ刑務所で、ハーゲドルンの死刑が執行された。

享年20歳。

当初、絞首刑による死刑が行われる予定であったが、急遽、銃殺による死刑執行となった。

ハーゲドルンはGDRにおける死刑が執行された最後の民間人であった (民間人でなければ西ドイツに亡命を企てたとしてスパイと反逆罪で1981年6月26日に死刑が執行されたベルナー・テスケ大尉) 。

このハーゲドルンの事件は、後に数々のテレビで放映され、映画化もされている。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1969年5月31日、1971年10月7日



∽ 総評 ∽

17歳で殺人を始め、わずか20歳で死刑が執行されたハーゲドルン。

ハーゲドルンは東ドイツ (当時は東西に分かれていた) における最後に死刑が執行された民間人であった。

そもそも、当時のドイツでは西ドイツが1949年に、東ドイツが1987年にそれぞれ死刑が廃止されている。

その為、ハーゲドルンが執行された際は西ドイツはすでに死刑を廃止している為、ハーゲドルンは事実上、ドイツで最後に死刑が執行された民間人であった。

ハーゲドルンはわずか17歳で殺人を始め、その後、19歳の時に再び殺人を行い、そして、わずか20歳で死刑が執行された。

まるで殺人をする為だけに生まれて来た人間である。

ハーゲドルンは死刑確定から執行までわずか4ヶ月足らずであった。

当時のドイツは東西に分かれ、東ドイツがソ連によって、西ドイツがアメリカやイギリス、フランスによって建国された。

その為、東ドイツはソ連の影響で社会主義国家であった。

現在のロシアはヨーロッパの影響を受け過ぎているが、中国は死刑の執行が早い。

そう考えると、死刑に関しては社会主義国家の方が遥かに優れているといえる。