_20190310_164942
ミハイル・レスタルスキー (ブルガリア)
【 1959 ~      】



ミハイル・ツヴェタノフ・レスタルスキーは、1959年、ブルガリア・ヴラツァ州ツァレヴェツで生まれた。

レスタルスキーは2人兄弟で、父親はツァレヴェツで店を経営しており、家は裕福であった。

母親は専業主婦であったが、レスタルスキーは非常に神経質で攻撃的な性格であった。

手に負えない子供であったレスタルスキーを、父親はしつけと称してベッドに縛り付けた。

また、手の届かない所に食べ物を置き食べ物を与えなかったり、車に結びつけて庭を走り回したり、肌が青黒くなるまでコードで殴ったりと虐待を繰り返した。


レスタルスキーは8年生 (中学2年) まで勉強したが、そこで勉学から脱落し、犯罪を行うようになる。

強盗を繰り返したレスタルスキーは何度も逮捕されては釈放を繰り返した。

刑務所に収監されている間、レスタルスキーは虐待を受け、何人かの囚人に強姦された。

レスタルスキーは外にいる間は父親からの暴行を避ける為、常に外出し、夜な夜な強盗を行った。


レスタルスキー16歳の時 (15歳とも) 、強制的に軍に入隊した (ブルガリアは2007年に廃止されるまで徴兵制度が存在した) 。

ある日、レスタルスキーは短い休暇があり、父親が新しく購入した家を訪ねる事になった。

父親の運転する車にレスタルスキーと母親が乗り、新居に向かったが、父親はこの時、酒で酔っており、交通事故を起こしてしまう。

レスタルスキーは無傷であったが、父親は足を骨折し、母親は頭を強く打ち重い脳震盪を起こした。

これ以降、母親は精神的に問題を引き起こすようになり、ある時、料理の際に猫の皮を剥ぎ鍋に入れて焼き殺そうとした。

また、羊小屋を焼き払おうとした事もあった。

母親はレスタルスキーがガールフレンドを強姦したと訴えた為、レスタルスキーは逮捕され懲役18年が言い渡された。


2005年、レスタルスキーは釈放された。

釈放されたレスタルスキーだったが、再び強盗を行い、逮捕された後、釈放された。

ある日、レスタルスキーは未成年のロマ民族の売春婦を買った。

その後、売春婦と交際し、同居する事になったが、後にその売春婦はレスタルスキーを捨てた。

この事にひどくショックを受ける。


2005年から2008年までヴラツァのホテルの複合施設「Chaika」で働いた。

同僚からは勤勉で優秀だと思われていた。


だが、ある日、レスタルスキーは保護観察期間が終了した直後に会社の車やトラックの窓ガラスを全て破壊して逃走する。

レスタルスキーは自身が社会不適合者であると自覚していた為、山に向かい洞窟に籠って生活を始めた。

毎日3、4スプーン分の蜂蜜を食べ、自作の弓で動物を狩って食糧として生活を送った。

レスタルスキーはほとんどを山で過ごし、たまに30km離れた海辺まで歩いた。

ある時、レスタルスキーはストヤン・ムラデノフという男性家族の家に隠れ住んだ。

レスタルスキーは家の屋根裏に身を潜め、階下で何が起こっているのか確認する為に壁に穴を開けた。

レスタルスキーは週の2日程度家で過ごし、残りは山に戻った。

こうして4ヶ月間、ムラデノフの家で過ごしたが、ある時、レスタルスキーはムラデノフを攻撃し、その妻を強姦した。


2009年8月27日、ソフィア州で夫と娘ゾルニッツァと暮らしていたエレナ・トモヴァ (59歳♀) は、ヴラド・トリチコフに新しく建てた別荘を訪れた。

すると、別荘に見知らぬ帽子が置いてある事に気付いたが、特に高価な物を盗まれていたという事はなかった。

その為、トモヴァは警察に通報するか悩み、盗まれた物がないのなら無駄だと思い連絡しなかった。

トモヴァは何かあった時の為に傍に斧を置き、その後、野生の果実を採りに出掛けた。

家に戻り本を読んでいると、目の前に長く白い顎髭をたくわえた男性がいた

その男性はレスタルスキーであった。

レスタルスキーは電車に乗りメズドラからソフィアに到着し、その後、戸口や窓のない放棄された家で寝泊まりしながら漂流し、前日の26日、ヴラド・トリチコフに到着していた。

そして、トモヴァの家にたどり着くと、壊れていた窓から侵入し、水や食べ物を探した。

ジンのボトルを飲み、キュウリを食べて数時間過ごしていると、トモヴァが家に戻って来て鉢合わせたのだった。

レスタルスキーは自身の状況を説明し、食べ物を作れってくれるよう頼んだ。

トモヴァはレスタルスキーの身の上を知って同情し、レスタルスキーがオムレツをリクエストした為、オムレツを作る事にした。

卵を焼いている間、トモヴァは娘に電話し、男が家にいる事を話した。

食事を終えた後、エホバの証人であったトモヴァは聖書と神についてレスタルスキーに話し始めた。

話を聞いたレスタルスキーは母親の事を思い出し、激怒した。

そして、トモヴァと口論の末、恐怖を覚えたトモヴァは自身の身を守ろうと斧を掴んだ。

しかし、レスタルスキーはトモヴァを圧倒し、両手で首を絞め、強姦するつもりでベッドに連れ込んだ。

だが、気付くとすでにトモヴァはぐったりとして動かなかった。

レスタルスキーはベッドの上に座り泣き始めた。

数時間後、レスタルスキーはナイフを取り、トモヴァの額を十字に切り裂き着ていた服を脱がすと、左胸を切り取った。

そして、トモヴァの遺体の上にシーツと聖書を置き、ジンの瓶を持ってその場を去った。


翌日の28日、娘のゾルニッツァがトモヴァに何度も電話を掛けるが出なかった為、更に翌日の29日に夫と息子と共に別荘に向かった。

そこでトモヴァの遺体を見つけ、すぐに警察に連絡した。

警察は捜査を始めるが、有力な情報を得ないまま、数ヶ月後に捜査は中止となった。

ただ、捜査は中止となったが、捜査官は証言や写真、被害者の経歴など調べながら2年の間、事件に取り組んでいた。

そして、犯人はブルガリア人の35歳以上の男性、基本的な教育を受け、定職に就いておらず、家族はいない。

悲劇的な過去のせいで女性に対する憎悪を抱き、社会と接触しない生活を送っているとプロファイリングした。


2011年2月22日、レスタルスキーが強盗によりメズドラ近くの洞窟で逮捕された。

警察はレスタルスキーをトモヴァ殺害の容疑者と考え、追及するとトモヴァ殺害を自白した。


同年9月29日、レスタルスキーには2つの終身刑が言い渡された。

だが、警察はレスタルスキーによる殺人はトモヴァだけではなく、2011年1月にスタロ・セロの自宅で殴り殺された半盲目のヨルダン・ヨロフ (82歳♂) と、同年2月に自宅で殺害されたウラジミール・トショフスキー (75歳♂) の2人を含む少なくとも4人を殺害したと考えていた。

また、他にソフィアで起きた類似した事件についてもレスタルスキーによるものではないかとされた。

ただ、目撃者や決定的な証拠がない為、レスタルスキーによる犯行と断定する事は出来なかった。



《殺人数》
5人? (もっと多い可能性あり)

《犯行期間》
2009年8月27日~2011年2月?



∽ 総評 ∽

『The Cave Killer (洞窟の殺人者) 』または『The Caveman (穴居人) 』と呼ばれ、5人を殺害したとされるレスタルスキー。

レスタルスキーによる確実な犠牲者は1人だが、これ程の犯行を行った鬼畜が1人という事はまずないといえる。

警察は5人の可能性を示唆したが、もっと多い可能性すらあるだろう。

レスタルスキーにこれ程の異常性が備わったのは、子供の頃の父親による虐待が原因だと思われる。

その後も父親の事を常に恐れており、それが山に籠る原因にもなった。

レスタルスキーはその呼び名が示す通り、山や洞窟で主に過ごし、食糧や水を求める時に家に侵入していた。

レスタルスキーのように社会からドロップアウトした殺人鬼はたまにいるが、住所がなく所在が掴みづらく逮捕され難い傾向にある。

本人はまだ生きているので、他の犯行について判明する日がいずれ来るかもしれない。