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三豊百貨店崩壊事故 (韓国)
【 1995 】



1995年6月29日、韓国・ソウル特別市瑞草区にある三豊百貨店 (建設から6年) の施設マネージャーは出勤後、夜間警備員が残していったメモを確認する。

メモの内容は早朝に屋上から奇妙な物音を聞いたというものであった。

施設マネージャーは屋上に向かうとヒビが入っているのを確認する。

だが、これは2年前にエアコン装置を引き摺った際に出来たものであった為、気にもとめなかった。

すると、今度は店の従業員が韓国料理店の1本の柱の周りに亀裂が走り、床が陥没している事を施設マネージャーに報告する。

施設マネージャーは店を閉めるよう指示し、店の周辺を封鎖した。

悪い噂が流れる事を懸念した施設マネージャーは、料理店の店員に柱の事を口外しないよう指示した。

正午近く、百貨店4階で奇妙な物音が聞こえる。

そして、この頃から他の従業員が建物の揺れに気付いた。

12時30分、施設マネージャーは建物の揺れの原因はエアコンではないかと考え、建物全体のエアコンのスイッチを切った。

16時、施設マネージャーが百貨店のオーナーを訪ね、料理店の床の亀裂について報告した。

しかも、朝確認したよりも亀裂は広がっていた。

その場には百貨店の建築に携わった専門家もおり、全館を閉鎖して修繕するようオーナーに勧めるが、オーナーは反対する。

オーナーは営業を続ける事を頑なに主張した為、そのまま営業は続けられた。

この頃には百貨店の従業員たちが建物が危ないという不安を口にするようになっていた。

施設マネージャーは従業員を落ち着かせようと説得する。

17時40分、最上階から衝撃音が響き、吹き抜けの天井が傾く。

17時47分、最上階から更に大きな音が響き、17時52分、突然、建物全体が大きく揺れた。

建物内には非常ベルが鳴り響き、上層階にいた客と従業員が出口に殺到する。

そして、17時57分、5階建ての建物がわずか20秒で両端の一部を残し一瞬にして崩壊した。

この時、客と従業員が合わせて1500人もの人が建物におり、瓦礫の下に生き埋めとなった。

警察やレスキュー隊、消防隊が現場に駆けつけ、救助活動が夜通し行われた。

17日後に奇跡的に助かった女性を最後に救助活動は終わり、結局、502人が死亡、937人が負傷するという稀にみる大惨事となった。

崩壊後、すぐに調査が始まり、初めにガス漏れによる爆発が疑われた。

実際、崩壊の3ヶ月前に建物の中でガスの噴出事故が起こっていた。

しかし、通常、ガス爆発には火災が伴うのだが、今回の崩壊には一切火災が発生していなかった。

次に北朝鮮による爆破テロも考えられた。

韓国では北朝鮮により1983年に爆弾テロが、1987年に民間航空機爆破テロが起こっていた。

だが、調査を進めると、破片が外側に飛んだ形跡がなく、建物全体が真下に崩れていた事がわかり爆弾によるテロの可能性も除外された。

こうして、建物自体の構造の問題、設計の欠陥や建築上のミス等が原因だとされた。

そして、百貨店の図面を確認すると、建物を支えるには柱の直径が足りない事が判明する (計算では80cmなければいけない所が実際は60cmしかなかった) 。

しかも、柱の中に16本の鉄筋が通されているはずであったが、実際には8本しかない事もわかった。

また、コンクリートの床は鉄筋で強化されていたが、床の表面と鉄筋の距離は5cmのはずであったが、実際は10cmも離れていた。

これは床の強度を20%も低下させ、その分、地面に多大な負荷をかける事となった。

しかも、元々三豊百貨店は4階建てで設計されていたが、建設の途中で経営陣が5階建ての建物に変更するよう建設業者に求めた。

建設業者が今の構造は5階建てでは支えきれないと説明すると、建設業者は解雇され代わって関連会社が引き継ぎ建物を完成させた。

更にその5階はローラースケート場になる予定であったが、完成間近に経営陣が急遽予定を変更して8軒ものレストランを置いた。

韓国では食事を床に座って行う為、レストランは全て床暖房となり、それが床や柱に大きな負荷をかけた。

また、屋上の大型エアコン装置3台 (1台約30t) を移動させていたのだが、持ち上げてではなくローラーによる牽引であった為、屋上を支える柱周辺にヒビが入り、それらが致命的な原因となった。

事故を生き延びた経営陣に対し、警察当局は百貨店のオーナーと建築家、最高経営責任者と施設責任者4人を業務上過失致死傷で逮捕した。


百貨店オーナーは1995年12月27日、懲役10年6ヶ月を言い渡され、全財産を没収された (オーナーは2003年10月に病死している) 。

オーナーの息子 (最高経営責任者) も汚職と過失致死罪により懲役7年が言い渡された。

また、当時の瑞草区長が三豊百貨店の3度に渡る設計変更と仮使用許可を承認する見返りとして1300万ウォン (約150万円) の賄賂を受け取った事も判明し、収賄罪で逮捕された。

更に汚職や不正行為により21人が逮捕され、その内の12人は市の役人であった。

犠牲者502人というのは、ビル崩壊事故としては2013年4月23日にバングラデシュのダッカ近郊ビル崩落事故が起こるまで世界最悪の犠牲者数であった。



《犠牲者数》
502人 (他937人が負傷)

《事故発生日時》
1995年6月29日



∽ 総評 ∽

利益を重視した為、ビル崩壊を生み500人以上を死なせた事故。

この事故は当時、リアルタイムでニュースを見て衝撃を受けたのを覚えている (崩壊した様子は現在もネットで確認出来る。今回はその様子ではなく経営陣の写真をあえて掲載した) 。

しかし、建てられてわずか6年でこんなに大きな建物が跡形もなくなくなるのかと思える程である。

その後、色々な番組で特集がくまれた為、ご存じの方も多いと思うが、爆破でもないのに5階建てのビルがわずか20秒であっさり崩壊する様は見ていて恐怖でしかない。

現在、世界最悪の記録はバングラデシュのダッカ近郊ラナ・プラザビル崩壊による1131人であるが、どちらも原因は非常に似ている。

ラナ・プラザも経営者のソヘル・ラナが5階建てのビルに無理やり3フロアを増築した事でビル全体に負荷がかかり倒壊したが、この三豊百貨店も元々4階で建てられる所を建築途中で急遽5階建てにした。

どちらも売上や利益を重視し、安全性を無視した為に起こった事であり、偶然的に起こったものではなく明らかな人災である。

この利益史上主義による人命の軽薄振りは、現在、世界各地で起こっており、お金というのは本当に恐ろしいと思う。