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シッコ・ピカジーニョ (ブラジル)
【 1942 ~      】



シッコ・ピカジーニョ (ニックネーム:フランシスコ・ダ・コスタ・ロシャ) は、1942年4月27日、ブラジル・エスピリトサント州ヴィラ・ヴェーリャで生まれた。

ピカジーニョの家は非常に貧しかった。

父親はコーヒーの輸出業者で、ピカジーニョが幼い頃に家族を捨てて家を出た。

母親は子供を養う為に友人と一緒に働き始めた。

仕事で忙しい母親に代わり、ピカジーニョはその友人夫妻に世話を受けたが、その夫に様々な性的虐待を受ける。

そんなピカジーニョは子供の頃には異常な行動を示し、猫を殺すようになる。

また、ピカジーニョはバイセクシャルであった。


ピカジーニョは成長すると再び母親と暮らし始めるが、母親は売春を行っており家に見知らぬ男性を何人も招き入れた。

しかも、母親は売春をやっている事をわざわざピカジーニョに見せつけた。

それはピカジーニョの精神状態を破綻させるに十分な出来事であった。

その後、ピカジーニョは母親との口論の末、家を追い出された。

ピカジーニョは生活する為に窃盗を行い、すぐにアルコールや薬にはまり中毒となった。

また、ピカジーニョは窃盗で得たお金の大部分を遊びや売春に使用した。


1966年、サンパウロ市内でピカジーニョはオーストリアのダンサー、マーガレット・スーダ (♀) を殺害する。

スーダは数年前からブラジルに住んでおり薬やアルコールを好んだ。

自由奔放な性格のスーダは、やがて夜な夜なセックスショーを行うようになる。

それを知ったピカジーニョはバーやナイトクラブに通った後、スーダを性行為に誘った。

ピカジーニョは友人の外科医のアパートでスーダと性行為を行った。

その後、ピカジーニョはスーダを殴り手で首を絞めた。

最後はベルトで首を絞めて殺害する。

殺害後、ピカジーニョはスーダの死体を眺めていると、死体を消さないといけないと考え始める。

そして、カミソリの刃やハサミ、ナイフ等でスーダの死体を切り刻み、胸を切り開いた後、筋肉を切り離し関節を外した。

また、ピカジーニョはスーダが幽霊となって自分の所に来るかもしれないと恐れ、スーダの遺体を隠さなければいけないと考えた。

結局、遺体を全て袋に入れるまで3、4時間かかり、友人と共有していたアパートに運んだ。

その後、ピカジーニョは友人に人を殺したと話したが、その理由や方法については話さなかった。

ただ、遺体はアパートに置いてあると述べた。


同年8月5日、逮捕されたピカジーニョは懲役18年と、死体損壊により更に2年6ヶ月を言い渡された。

その後、14年4ヶ月の禁錮刑に変更となった。

ピカジーニョは刑務所で勉強し、獄中結婚した。


1974年、刑務所での行いの良さが認められ、わずか8年で釈放となった。

また、精神病的人格障害と診断されていたのだが、その診断は無かった事にされ抹消された。


1976年9月、サンパウロ東地区のモーテルで、売春婦のローズマリー・ミケルッチを強姦し、ナイフで刺した後、首を絞めて殺そうとする。

だが、ミケルッチは悲鳴を上げ、パンチやキックで反撃した。

予想外の反撃に焦ったピカジーニョはその場を逃走した。

ミケルッチは重傷を負ったものの、一命を取り留めた。


同年10月、ピカジーニョはボカ・ド・リクソに戻り、バーで売春婦アンジェラ・シルヴァと出会う。

2人はお酒を沢山飲んだ後、ピカジーニョのアパートへ向かった。

数ヶ月前に借りたアパートで性行為を終えた後、ピカジーニョはベルトでシルヴァを殴り首を絞めた。

死んだのを確認した後、シルヴァの死体を切り刻み始めた。

ピカジーニョはスーダの時の反省を活かし、遺体を丁寧に解体した。

そして、全てをトイレに流そうとするが不可能であった為、そのまま放置してリオデジャネイロに逃走した。


だが、ピカジーニョは友人や母親に殺人の告白をし、その後、警察に連絡して同年10月28日に逮捕された。

ピカジーニョは子供の頃に受けた虐待に対して怒りをあらわにし、母親が売春を行っていた為、売春婦を殺したと述べた。

裁判では解体されたシルヴァの写真が公開され、精神障害に苦しんでいたと指摘された。

それらを考慮され、ピカジーニョには22年6ヶ月の禁錮刑が言い渡された。


1994年、ピカジーニョは医学的治療を受ける為に精神医学的検査を受けた。

また、ピカジーニョは仮釈放の為に上訴を試みるが、全会一致で却下された。

だが、ピカジーニョは深刻な精神障害にあると診断された為、禁錮刑ではあったものの、人との社会的接触を避け、生涯病院での治療を受けるべきだとされた。


2017年3月1日、ピカジーニョは釈放された。

本来、ピカジーニョは釈放されるはずではなかったのだが、裁判官はブラジルの法律では30年以上刑務所に収監する事を禁止しているとし、釈放に踏み切ったのだった。



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1966年、1976年9月



∽ 総評 ∽

売春婦の女性ばかり標的としたピカジーニョ。

ピカジーニョは友人夫妻の夫に強姦され、母親の売春行為をわざわざみせられた。

こんな環境でまともに成長するはずもなく、成るべくして成ったといえる。

ピカジーニョは現在、釈放されて自由の身だが、こんな異常者を放置している事が信じられない。

しかも、異常者だと司法も認識していながら「法律で30年以上刑務所に入れられないから」という理由で釈放している。

これは「異常者だけど法律がそうだから仕方ないでしょ」という事であり、これで「な~んだ、法律で決まっているならしかたないよね」と思う国民が1人としているだろうか?

私がブラジル国民なら恐ろしくてならない。

そもそも、1度、逮捕され、刑務所での行いが良かったとして釈放され、その後、すぐに殺人を行っている時点で反省なと嘘で、更生も無意味な事を示していたはずだ。

それなのに甘い判決、甘い対応、甘い対処。

国や司法は国民の事をバカにしているのだろうか?