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デレク・パーシー (オーストラリア)
【 1948 ~ 2013 】



デレク・パーシーは、1948年9月15日、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ストラスフィールドで生まれた。

父をアーネスト、母をエレインといい、パーシーは3人兄弟であった。

アーネストは鉄道電気技師で、仕事でビクトリア州チェルシーに移動し、その後、ウォーナンブールに移動した。


1957年、マウント・ビューティーに移動し、この頃のパーシーは明るく活発な子供であった。


1961年、パーシーは女性の下着を盗み、それを身に付けるようになる。


1964年にはカミソリの刃やナイフで人形を切り刻むようになった。


1965年、家族はニューサウスウェールズ州カーンコバンに移動し、その後、パーシーは奇妙で暴力的な性的空想を抱くようになり、それを書き始める。


1967年11月、パーシーは海軍に入隊し、1968年3月にシドニーに駐留し、その後、メルボルンに駐留した。


1969年7月20日、ビクトリア州ワーニートのビーチに、イボンヌ・テューイ (12歳♀) とその友人シェーン・スピラー (11歳♀) が向かった。

パーシーはテューイをナイフで刺して殺害し、スピラーを拉致しようとした。


同年7月27日、メルボルン南部モーニングストン半島に隣接するサーベラスで殺害の為、逮捕される。

パーシーは犯行を否認するが、警察はパーシーの洗濯された衣類から血痕を発見する。

その事を問い詰めるが、パーシーは犯行を否認した。

その後、パーシーは1960年代に多くの少女殺害の犯人とされた。

1965年1月11日、クリスティーン・シャーロック (15歳♀) と親友のマリーネ・シュミット (15歳♀) が、ワンダ・ビーチへ向かった。

午後、2人は別れた後、行方不明となり、翌日に2人の分解された遺体が発見された。

この事件は「ワンダ・ビーチ殺人事件」と呼ばれ未解決事件であった。

1966年1月26日午前10時頃、南オーストラリア州ボーモントで、ジェーン (9歳♀) 、アルンナ (7歳♀) 、グラント (4歳♂) の3人の姉弟が自宅を出てビーチに向かった。

3人はビーチへバスに乗って向かい、正午には家に戻る予定であったが、結局、帰って来る事はなかった。

バスの運転手によると子供たちが広場を歩いているのを確認していた。

同年9月28日、アレン・レッドストン (6歳♂) がキャスティン郊外で遺体で発見される。

レッドストンは手足を縛られカーペットに包まれていた。

死因は絞殺であり、殺害された後に遺棄場所まで運ばれたと思われた。

レッドストンはアイスクリームを買う為に家を出た後、行方不明となり殺害されたのだった。

1968年、サイモン・ブルック (3歳♂) が拉致され、殺害される。

ブルックは自宅の前庭で遊んでいた姿を最後に行方不明となり、目撃者によると薄い顔をした男性と一緒に去っていく姿を目撃していた。

パーシーの日記の1つに記された内容が、ブルック殺害の際の致命的な傷と一致していた。
 
また、ブルックの父親で教授のドナルドは、当時、テレビのインタビューに答え
「サイモンを殺した人間は病気であり、また、同じ事をやるだろう」
と述べていた。

同年8月10日、リンダ・ジェーン・スティルウェル (7歳♀) が拉致され行方不明となる。

結局、スティルウェルは見つかる事はなかったが、パーシーの日記にその様子が記されていた。

だが、これらの事件はパーシーによる決定的な証拠が見つからず、起訴される事はなかった。


1970年、裁判でパーシーは精神異常とされ、無罪となり、刑務所の病院に無期限に収監される事を命じられた。


2013年7月23日、パーシーはメルボルンにあるセント・ヴィンセント病院で肺癌により死去した。

享年64歳。

パーシーは死亡した時、44年刑務所に収監されており、これは当時、受刑者としてオーストラリアでは最長であった。

研究者は子供達の拉致や殺害についてパーシーによるものだと断定しており、現在も調査を続けている。


最後に多くの子供殺害について問われた際のパーシーの発言で終わりたいと思います。

「覚えていない」



《殺人数》
9人?

《犯行期間》
1965年1月11日~1969年7月20日



∽ 総評 ∽

3歳から15歳までの少年少女を拉致し、殺害したとされるパーシー。

パーシーは9人の子供を殺害したとされるが、決定的な証拠は1人以外、本人も否定しており出ていない。

だが、彼の書いた日記に詳細が記されており、まず間違いないと思われる。

普通、日記で書いているのならそれが十分な証拠ではないかと思われるが、それはあくまで状況証拠でしかない。

遺体の発見や遺体に残されている証拠、武器や道具等、確実な証拠がない場合「疑わしきは被告人の利益に」という事になるのだろう。

パーシーの犯行が全て事実であるとしたら、その犯行は鬼畜以外の何物でもない。

パーシーのように子供を標的とする殺人鬼は多いが、パーシーのように3歳や6歳等の幼児をしかも男女関係ないというのはなかなかである。

パーシーは44年も刑務所で過ごし、天寿を全うした。

44年間でパーシーには一体いくらかかったのだろうか?

怒りが湧いてくるので考えるのはこの辺で止めたいと思う。