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フレッディ・ホリオン (ベルギー)
【 1947 ~      】



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ロランド・フェニール (ベルギー)
【 1953 ~ 2013 】



1979年6月23日、フレッディ・アンドレ・ホリオン (1947年9月21日生) とロランド・フェニール (1953年9月9日生) は、自動車ディーラー、ロランド・ステイエルト (♂) の家に強盗目的で侵入した。

そして、まずステイエルトをガレージで殺害する。

その後、妻のレオーナ・ヴァン・ランケル (ベルギーは夫婦別姓) 、娘のアン・マリー (24歳) とその婚約者マーク・デ・クロック (♂) 、もう1人の娘ヒルダ (13歳) を次々と殺害した。

警察は捜査を行うと、同年2月9日に起きていたゲントにある店のポーランド人店主エレーヌ・リチャチェフスキ殺害事件と共通点を見つける。

使用された凶器が同じ物である事がわかった。


同年6月25日、フェニールは逮捕され、その翌日にホリオンも逮捕された。


1980年、裁判でホリオンとフェニールは6件の殺人で有罪判決が下され、死刑が言い渡された。

だが、判決は即座に終身刑に変更となった。


1982年10月、ホリオンは脱獄を図り、隣国のオランダに逃走した。


脱獄から1ヶ月半後、ホリオンは逮捕され、再び刑務所に収監された。

その後、ホリオンは仮釈放の申請を何度も行うがその度に拒絶された。


2009年11月、ホリオンはハッセルト刑務所に移送された。

これは弁護士の要求によるものだった。


2013年10月22日、フェニールはブルージュ刑務所で死亡した。

享年60歳。

ホリオンは現在も収監されているいるが、実に40年近く経っており、これは以前、紹介したスタッフ・エイケンに次ぐベルギー史上2番目に長く刑務所に収監されている囚人であった。



《殺人数》
6人

《犯行期間》
1979年2月9日、同年6月23日



∽ 総評 ∽

強盗目的で一家を惨殺したホリオンとフェニールコンビ。

強盗殺人もコンビで犯行というのも目新しいという事はないが、強盗殺人で大抵が判明する盗んだ物がよくわからない。

また、何故ステイエルト一家を襲ったのかわからない。

単純に自動車ディーラーとしてそれなりにお金持ちとして有名だったのかもしれない。

2人は幼少の頃の詳細がなく、また、どのように出会ったのかよくわからない。

おそらく、犯罪者コンビによくある刑務所で出会って意気投合した口だろう。

ホリオンは死刑を言い渡された後、すぐに終身刑となった。

何故そうなるのか理解に苦しむが、終身刑に減刑になっているのに脱獄した。

そんな人間を死刑に変更するわけでもなく、終身刑をそのまま維持し、何の罰も与えていない。

これは本当に司法といえるのだろうか。

ホリオンは現在も刑務所におり、すでに40年近く経っている。

一体、この凶悪犯にこれまでいくらの税金が使われたのだろうか。

犠牲者の遺族がその税金の一部を払っていると考えると、怒り狂ってしまう心境である。