ギュンター・ローレンツ (オーストリア)
【 1964 ~ 】
ギュンター・ローレンツは、1964年 (または1965年) 、オーストリア・ヴェルスで生まれた。
1983年2月15日、ジークリンデ・エッカート (43歳♀) とその長女アースラ (18歳) の遺体がラントシュトラーセで発見される。
2人はライフルによりヘッドショットで殺害されたのだが、その弾薬は爆発を伴うものであった為、発見された時、頭部は破壊されており、その惨状はあまりに酷いものであった。
その為、発見当初は遺体が誰なのか識別が出来なかった。
現場近所の住人に話しを聞くが、誰も武装した人間を見たり発砲音を聞いていなかった。
捜査官は被害者が犯人の知り合いで、アパートのドアに招き入れたのではないかと推測した。
調べた所、侵入した形跡は見られなかった。
だが、アースラの友人が殺害直前に話しをしていた事がわかり、その時、アースラはポールという名の元ボーイフレンドに会ったと話した。
その時、ポールは銃を所持しており、怖かったと話していた事がわかった。
警察はポールという男性の捜索を始めると、ポールというのは偽名であり、本名はギュンター・ローレンツという18歳の男性だと判明した。
この時、ローレンツは試験に合格し、首都ウィーンに住んでいた。
尋問を行うと、ローレンツはアースラとは何の関係もないと述べた。
だが、捜査官がローレンツの部屋でアースラの私物を見つける。
その事をローレンツに問い詰めると、アースラを連れ去ろうとした事を認めた。
ローレンツは犯行時、従兄弟のピーター・ダウビンガー (16歳♂) に同行を促した。
そして、ダウビンガーが武器を持って現れ、アースラ親子を撃ち、戦利品を奪ったと話し、自分は撃っていないと述べた。
警察はすぐにダウビンガー捜索を開始し、その危険性についてメディアに報告した。
その為、当初はダウビンガーが犯人とされた。
だが、その後、2日間の尋問をローレンツに行うと、徐々に発言に矛盾が生じてきた。
そして、ローレンツはついにアースラとエッカートを撃ったと供述した。
ローレンツは犯行には「Gewehr 98」という銃を使用し、普段は狩猟用に使用しており、銃や弾薬はウィーンで買ったと述べた。
その銃を隠して身に付ける為に改造し、消音器としてカーペットを使用した。
尋問から数時間後、ローレンツはダウビンガー殺害も告白した。
ローレンツはダウビンガーを3発撃って射殺し、同年2月9日に川岸の放棄された建設現場で頭を切り落として遺棄したと述べた。
ダウビンガー殺害理由は金銭的問題とされた (盗んだお金の取り分でもめたとされる) 。
ローレンツがダウビンガーの遺体を遺棄した場所に捜査官を案内し、雪の吹き溜まりの下に埋められたダウビンガーの遺体が発見された。
ローレンツは自分のやった事を全く後悔しておらず、また、18歳という年齢にもかかわらずその冷淡な犯行は研究者を驚かせた。
ローレンツはこれから刑務所に収監されるという状況にも関わらず、刑務所でスポーツと勉強が出来るか笑顔で尋ねた。
刑務所に収監されたローレンツは本を取り寄せた。
動機について問われると、ローレンツははっきりと答えなかったが、殺害した3人を「好きではない」とだけ答えた。
ローレンツは人格障害とされたが、精神科医は正気であると判断した。
精神科医は
「私は今回の事件に匹敵する単一の犯罪を知らない。15年の実務においてこのような犯罪を経験した事がない」
と述べた。
事件と共にローレンツの写真は新聞に大々的に掲載され、『murderer』、『double murderer』、『killer』と名付けられ紹介された。
また、ローレンツは右翼で武器への執着が異常に強いという内容が新聞に掲載され、ローレンツは全く根拠がないとして抗議を行った。
多くの新聞社が謝罪のコメントを発表した。
1984年3月14日、ローレンツは禁錮20年が言い渡され、精神病院に送られた。
2004年、ローレンツに仮釈放されるという話が上がるが、精神医学的報告によって妨げられた。
それを知ったローレンツは刑務所で暴れ始め、報告した心理学者を脅した。
7人の警察官や看守がローレンツに圧倒され、後にスタイン刑務所に移送された。
ローレンツの事件後、武器法についても政治家たちの議論を引き起こし、武器法の厳格化を求めた。
だが、当時の内務大臣らは、法だけではこのような事件を防ぐ事は出来ないと強調した。
元々拳銃取得には厳しい条件があるが、ポンプアクションのショットガンやカービン銃のような殺傷力の高い銃取得には非常に寛大だと批判された。
その為、新たな銃器免許の法案が上がるが、もし、法案が通った場合、120万人以上の銃所有者が銃を所持出来なくなる事になった。
また、違法な銃器の取引の増加が懸念された為、結局、法案は否決された。
余談だが、ローレンツが犯行には使用した銃は、ウィーン犯罪博物館で見る事が出来る。
最後に逮捕後のローレンツの発言で終わりたいと思います。
「私の擁護者は精神病です」
《殺人数》
3人
《犯行期間》
1983年2月9日、同年2月15日
∽ 総評 ∽
従兄弟や元ガールフレンドなど3人を惨殺したローレンツ。
ローレンツの幼少時代については詳細がなくわからない。
その為、何故これほどの異常性が備わったのかよくわからかい。
ローレンツは従兄弟を殺害し、元ガールフレンドも殺害したが、殺害理由については本人が「好きではなかった」と答えただけであり、本当の理由はわからない。
ただ、従兄弟はおそらく金銭トラブルで、元ガールフレンドは別れを切り出された事による恨みだと推測される。
コメント
コメント一覧 (13)
数km離れた標的を打ち抜けるそうです。
その為「戦時国際法で禁止すべきではないか」との声も上がっているそうです。
対物ライフルは、素人には取り扱えない代物なので違うと思いますが、
硬い頭部を吹き飛ばす威力とは凄いですね。
ただ、こういうチンピラに武器を与えた時、凄惨な結果になるのは当然と言えます。
そうなんですね。
結構国際法で使用を禁止されている兵器ってありますね。
ただ、禁固20年は甘いです!
本来だったら死刑すら物足りない!
銃殺刑で殺処分すべきです。
最後の発言にはむっとしました。
真意をつくような発言をしている鬼畜が精神病なわけないでしょう!
ただ、弁護士などにサイコパスが多いのは事実ですね。
そう言えば、逃亡鬼畜が逮捕されたようですね。
野たれ死ぬか射殺されればよかったのにと思いました。
どうせなんだかんだでまた釈放されそうですから。
甘過ぎますね。
同じ銃で撃ち抜いてやればいいのです。
逮捕されましたね。
まあ逃亡は結構簡単に捕まりますね。
お金はないし働けないし。
そして、お金を手に入れる為にまた犯罪に手を出す事になり逮捕されますね。
それに仮釈放が取り消されたのを聞くと暴れて各方面に脅迫しているのを見れば更正なんぞ1ミクロンもしていないでしょう。
刑務所内でスポーツと勉強が出来るかを笑顔で訊ねるクソムシ加減からして刑務所を「別荘」としか考えていない事が分かります。
凶悪犯罪者であるクソムシ共は多少の違いはあれど同じ精神構造をしていると思われます。
このようなクソムシ共に血税を浪費して養うのが人権を守護すると本気で考えているのなら狂気沙汰の限りでしょう。
本来、最も人権を尊重されなければならない善良な一般市民を蔑ろにする行為に他ならないと思うのですが、ヨーロッパの人達は違うのでしょうね。
来年のオリンピックが怖くて仕方がありません。
そうですね。
そう言ってる時点で精神病でもないですし反省も後悔もないですね。
こういった刑務所への考え方って激甘なヨーロッパで顕著ですね。
犯罪者に主張させること自体ありえないのに。
日本もある程度おりこうさんにしておけば運動も自由でにできるし、職業訓練という勉強も自由にできるそうです。
しかも、いっぱい資格もただでもらえて健康な状態で社会に解放されるようです。
被害者だったら絶望してしまいます。
もはや人ではなくゴリラです。
本当ですよね。
2、3人ならまだしも流石に7人は無理ですよね。
酸についてはわかりませんが、銃に関しては日本の感覚ではわかり得ないですね。
もちろん人権なんてないので死刑の日まで多種多様な拷問や人体実験をしてもいいと思います。
ユーロの凶悪犯罪者に対する姿勢はもうどうしようもない。
テロリストの殺人鬼をすぐ釈放したり、佐川やマッケイのような凶悪な鬼畜に理由をつけて甘い罰にしたり。
特に悲しかったのは群を抜いて凶悪なのに子供と言う理由で釈放されていることです。
本当だったら鬼畜をリンチして殺しても無罪にしないとつりあわないくらい甘い。
どこまで国民をなめたら気が済むのか?
そう言えばフランス政府は中東にすごくおこがましいことをいっているようですね。
基本的にテロリストは自国で裁かれるべきだが、死刑相当の場合は終身刑か懲役刑に減刑しろと。
自分たちが彼らに殺されるかもしれないのに?
当然死刑でいいですね。
まあヨーロッパの激甘司法はどうしようもないですけど。
政府からすれば人1人+遺族が困ろうがどうだっていいですからね。
痛くも痒くもないですし。