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ハラルド・ササック (オーストリア)
【 1948 ~ 2013 】



ハラルド・ササックは、煉瓦職人とオペレーターの子として生まれた。


ササックは1966年から1969年までラインズ病院で軍隊の補助として働いた。

しかし、病院で働いている時に黄疸にかかり、その後、ササックは解雇された。

ササックは家族や友人、そして、上司からとても親切でフレンドリーだと思われていた。


ある日、年配の女性に頼まれ、ササックはガス器具を修理した。

これ以降、ササックはガス器具の修理や点検を利用して高齢者の家に忍び込む方法を思い付く。

その事をササックは「gas trick」と呼んだ。


こうしてササックは1970年8月31日から1972年2月12日の間、ガス工場の従業員として、高齢者の家に赴き装置の点検を申し出て家に侵入した。

そして、会話の中でお金の在りかをさりげなく聞き出すと、コップ一杯の水を求め、その隙にお金を奪った。

気付かれたり抵抗してきた場合は殺害し、逃走した。

いくつかの犯行には酒屋で知り合った共犯者のジョアン・シャラディッチが協力した。

生存者が犯人は小太りで身なりの良い男性であり、一見問題ない身分証明代書と専門知識を持っていたと述べた。

警察は捜査を進めるが、痕跡が残っておらず、犯人逮捕は困難だった。

また、指紋が検出されたが、データベースに引っ掛からなかった。

だが、被害者の1人の隣人のグラフィックデザイナーが、目撃した記憶をもとに犯人の正確な顔の合成写真を作成した。

この写真が決定的となり、レイザー・ホテルのウェイターがその写真をササックだと認識し、警察官たちをその時ワインを飲んでいたササックのもとに案内した。

そして、被害者の1人がササックを見て犯人だと特定した為、その場で逮捕された。


1974年1月22日、ササックの裁判が始まった。

その犯行の詳細は起訴状を読み終えるまで1時間以上かかる程であった。

ササックは自身の犯罪を語ったが、殺人には一切参加していないと主張した。

検視官は犠牲者のリチャード・ランガー (79歳♂) とジョセファ・フィアリンガー (86歳♀) は、暴行が死亡の直接の原因だと述べた。

アロイジア・メスシャナーク (69歳♀) は事件の後、入院し、17日後に腎不全で死亡し、ローザ・シュウォーツ (66歳♀) は7日後に脳性麻痺で死亡し、マリア・アーベルレ (86歳♀) とエレオノーレ・ハウアー (85歳♀) は10日から38日の間に肺炎で死亡した。

また、ガブリエル・ハンマー (♀) はササックの暴行から54日後に死亡したが、ササックの暴行により死亡したという証拠を見つける事は出来なかった。


1974年2月7日、結局、ササックはランガー、メスシャナーク、シュウォーツ、アーベルレ、ハウアーの5人殺害と、9件の強盗及び窃盗で有罪判決が下され、終身刑が言い渡された。

共犯者のジョアン・シャラディチは、窃盗2件と強盗2件で懲役18年が言い渡された。


2013年、ササックは39年以上刑務所で過ごした後、釈放され、特別養護老人ホームで過ごした。


同年8月21日、ササックは老人ホームにて病気で死去した。

ササックはオーストリアの歴史上、最も長く刑務所に収監された囚人であった。


最後に高齢者の家に侵入する際のササックの発言で終わりたいと思います。

「ここにガスマンがいる!」



《殺人数》
6人 (7人の可能性大)

《犯行期間》
1970年8月31日~1972年2月12日



∽ 総評 ∽

『gas assassin (ガス暗殺者) 』と呼ばれ、少なくとも6人の高齢者を殺害したササック。

ササックはガスの点検や修理を名目に高齢者の家に侵入し、お金目的で殺害に至った。

その犯行は典型的な方法とはいえ、抵抗されにくい高齢者を標的とし、しかも、ガス点検等で家に侵入する狡猾さを見せており、ずる賢く陰湿で陰惨な犯行といえる。

ササックは39年刑務所に収監され、釈放後に死亡した。

おそらく、もう病気で助からないとわかっていた為、仮釈放されたと思われるが、そのまま刑務所で死なせればいいのに最後に情をかけるのが理解出来ない。