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アニバル・イゴネット (アルゼンチン)
【 1937 ~      】



アニバル・ラウル・ゴンザレス・イゴネットは、1937年11月11日、アルゼンチンで生まれた。

父親はイゴネットがまだ子供の頃に職場で倒れ死亡した。

母親は自分自身の生活が精一杯であり、イゴネットを見捨てた。

イゴネットは些細な窃盗を犯すようになり、ラウソンの刑務所に収監された。

イゴネットを知る人物によると、刑務所での生活がイゴネットを変え、刑務所から出所した後、真面目に働こうとするが前科のあるイゴネットはまともに働く事が出来なかった。


1963年1月14日、イゴネットはエミリア・オーティス (♀) の家に侵入する。

そして、眠っているオーティスをハンマーで襲い掛かった。

その後、数ペソを奪って逃走した。


数日後、今度はトレッティ家に侵入し、婦人を7回殴った。

イゴネットの手口は、深夜、独身女性の家に侵入し、ハンマーで殴りその後、数ペソを奪って逃走するというものだが、決して強姦は行わなかった。


同年3月8日夜、イゴネットはローザ・ロッソ・デ・グロッソ (65歳♀) の家に侵入し、ハンマーで一撃で殺害した。


同年3月22日、イゴネットはバージニア・ラクェル (80歳♀) の家に侵入し、ハンマーで殴って撲殺した。


翌日の23日、イゴネットはネリー・マーベル・フェルナンデス (55歳♀) を殺害する。

フェルナンデスが殺害された時点で、ブエノスアイレスでは20人以上の女性が同様の方法で襲われていた。

警察は容疑者として3人を逮捕し、拷問を行って無理やり自白させようとした。


同年3月30日、イゴネットは2人の警察官によって逮捕された。

逮捕された時、イゴネットは凶器のハンマーを所持していなかったが、後に住んでいた小屋近くで発見された。

イゴネットを診た精神科医は、
「彼は情緒的及び性的能力に深刻な欠陥がある」
と診察した。


1967年4月12日、イゴネットには終身刑が言い渡された。

イゴネットはアルゼンチンで最も劣悪とされているシエラ・チカ刑務所に収監された。

イゴネットの刑務所での模範囚としての様子は「聖人のような振る舞い」とされる程で、32年シエラ・チカ刑務所で過ごした後、別の刑務所に移送された。


2001年、イゴネットはインタビューに答え、

「私は殺したくなかった。だが私は非常に困窮していた。そして、私はただ価値のある物を奪う機会を探していた。私は何故それをしたのかわからない。私が女性を選んだのは最も危険性が低かったからだ。私は誰も殺したくなかったが、叫ばれるのを恐れていたので私は襲った」

と語った。

また、「40年後、あなたはどうなっていますか?」という問いには

「私の姉と週末を過ごしているという希望を失っていません」

と述べた。


2006年3月23日、イゴネットは仮釈放となった。

イゴネットの妹は、40年以上刑務所に収監された兄への訪問を欠かさなかった。

イゴネットは43年刑務所に収監されていたが、これはアルゼンチンの歴史上、最も長い間収監された囚人の1人とされている。



《殺人数》
3人 (他20人以上被害)

《犯行期間》
1963年3月8日~同年3月23日



∽ 総評 ∽

『El Loco del Martillo (狂ったハンマー) 』と呼ばれ、強盗目的で次々と女性を襲ったイゴネット。

イゴネットは強盗殺人鬼であり、強姦は1度も行わなかった。

ただ、強姦を行わなかったのは性的能力に深刻な欠陥 (インポテンツ?) があったからだと思われる。

イゴネットはこれだけの犯罪を犯しておきながら、殺すつもりはなかったとか危険性が低いから女性を狙ったとか言っている事が支離滅裂で自分勝手である。

しかも、将来姉と過ごす事を諦めていないという余りに自分勝手な発言に呆れて言葉も出ない。

現在、イゴネットは出所して10年以上が経過しているが、どのような生活を送っているのかはわからない。

すでに80をこえているので、詳細がなくわからないがもしかしたら死んでいるのかもしれない。

ただ、生きていればいくら高齢者といえど生粋の犯罪者なので恐ろしいかぎりである。