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クラウディア・ソブレロ (アルゼンチン)
【 1962 ~      】



クラウディア・アレハンドラ・ソブレロは、1962年10月24日、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス特別区の中央部フローレスで生まれた。

ソブレロは若い頃から薬物中毒となった。


ソブレロ17歳の時、リノ・パラシオと妻セシリア・パルド・デ・タベラ・デ・パラシオの孫であるホルヘ・パラシオと付き合っていた。


1984年1月、ソブレロはホルヘにパラシオ夫妻の家の鍵を盗むよう促す。

夫妻はマル・デル・プラタで数日間過ごしており、ホルヘもそこに向かった。

そして、夫妻に気付かれずに鍵を奪い戻った。


数日後、盗んだ鍵でソブレロとホルヘは夫妻の家に入り、約1万ドル (約230万円) を盗んだ。

その後、ソブレロはホルヘとの関係が悪くなり、2人は別れた。


数ヶ月後、ソブレロはチリ人のオスカー・オディン・ゴンザレス・ムニョス (19歳♂) と出会い交際する事となった。

ソブレロはムニョスに自身がいかに素晴らしいかを見せつけてやりたいと考え、以前、強盗に入ったパラシオ夫妻の家に再び押し入る事にする。

実はソブレロは前回の強盗の際に合鍵を作っていた。


同年9月14日、ソブレロはムニョスとその友人パブロ・ザパタと3人でパラシオ夫妻の家に向かう。

ソブレロは夫妻が以前のように休暇で出掛けている事を知っており、家に居ないと確信していた。

ソブレロらは堂々と玄関の鍵を開けて家に入るが、家には居ないはずのリノ (81歳) とセシリア (81歳) がいた。

夫妻は休暇を予定より早く切り上げた為、すでに帰って来ていたのだった。

ソブレロは夫妻の孫の元ガールフレンドであった為、顔見知りであり特に何もなく家に入る事が出来た。

ムニョスとザパタは友人と紹介した。

家の中に入ると、ソブレロらは価値のあるものを探し始めた。

しかし、なかなか見つからなかった為、ソブレロは夫妻を脅して金品の在りかを聞き出した。

ソブレロらはお金や宝石を手にすると、口封じの為に夫妻を殺す事に決める。

ソブレロはセシリアを包丁で16回刺して殺害し、リノは頭部を鉄の鈍器で激しく殴った後、ナイフで27回刺して殺害した。

夫妻殺害後、ソブレロらは逃走するが、夫妻の娘が2人の遺体を発見し、警察に通報した。

警察はすぐにソブレロを容疑者とし、全国各地で大規模な捜査が行われた。


5日後の19日、ソブレロは逮捕された。

セザール・イサヤという警官がカウボーイの帽子と赤い靴、タイトなジーンズ姿で非常に目立つ格好のソブレロを見つける。

イサヤがソブレロに身分証明書の提示を要求するが、身分証に記載された年齢よりもソブレロは若く少女のように見えた。

ソブレロ逮捕後、数時間後にムニョスも逮捕された。

ザパタは数日後にブエノスアイレスで逮捕された。


1985年4月30日、ザパタは判決が言い渡される前に、刑務所で首を吊って自殺した。


1986年、ソブレロはエセイサに移送されたが、そこで停電が発生する。

その隙にソブレロは脱獄するが、すぐに逮捕された。

ソブレロはアルゼンチンにおける女性として初めて脱獄を行った犯罪者となった。


1990年7月7日、窃盗や強姦、2件の殺人でソブレロには仮釈放の期間を定めない終身刑が言い渡された。

この判決は当時のアルゼンチンの刑法上、考えられる最も重い刑であり、ソブレロはアルゼンチンの歴史上、最も重い刑を受けた唯一の女性となった。

また、ソブレロは当時、終身刑を言い渡された最も若い女性であった (犯行時の21歳) 。

ムニョスも終身刑が言い渡された。

ソブレロは刑務所内の歯科医院でHIVに感染させられたと主張した。


2006年1月3日、ソブレロは仮釈放された。


同年1月22日、ソブレロは通りでベアトリス・モニカ・ロハスという女性の財布を盗んだ。

財布には50ペソ (約2000円) が入っていた。

数分後、ソブレロは逮捕された。

逮捕後、ソブレロは当時のアルゼンチン大統領ネストル・キルチネルに、刑務所で受刑者の為のより良い環境を訴える手紙を送った。


2012年1月18日、ソブレロは再び仮釈放された。

ソブレロは計27年間刑務所に収監されたが、これはアルゼンチンにおける女性としては最も長い間投獄された女性となった。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
1984年9月14日



∽ 総評 ∽

2人の老夫婦を強盗目的で殺害し、現在はすでに出所しているソブレロ。

ソブレロはアルゼンチンにおいて女性として初めての脱獄、最も重い刑を受け、最も長い期間刑務所で過ごし、また、終身刑を言い渡された際はその年齢が最年少であった (年齢に関しての現在の記録は以前掲載したナイル・ガラルサ) 。

数々の記録を打ち立てたソブレロは、アルゼンチンの女性犯罪史のパイオニア的存在であった。

ソブレロは仮釈放された後、すぐに強盗を働き逮捕されたが、更生が無意味だった事を証明した例といえる。

しかも、刑務所の待遇改善をわざわざ大統領に手紙を送る厚かましさであり、呆れて言葉も出ない。

現在、ソブレロは釈放されて7年以上が経過しているが、今どのような生活を送っているのかわからない。

ただ、ソブレロはまだ50代であり、年齢的にも犯罪を行う可能性も高い。

大人しくしてればいいが、これが死刑のない国の弊害といえよう。