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カテリナ・ハンジューク (ウクライナ)
【1985 ~ 2018】



カテリナ・ハンジュークは、1985年6月17日、ウクライナ・ヘルソンで生まれた。


ハンジュークは2002年から2006年まではヘルソン国立大学に通い、その後、キエフ国立経済大学に通い、2008年に卒業した。

ハンジュークは2003年から祖国党の活動家として行動し、州の市民団体「若き祖国」の代表を務めるまでになった。

また、市民団体「エイドス」にも所属し、市民活動基金プロジェクトのマネージャーや、国際連合人口基金 (通称、UNFPA) ウクライナの専門家としても活動した。


2012年、ハンジュークは市民報道エージェンシー「モスト」の共同設立者となった。

また、同年から国際連合開発計画 (通称、UNDP) のプロジェクト「若いサッカー・ボランティア:1000年発展を目的とするスポーツとボランティア」に参加し、ヘルソン州各地で体育教師と共にスポーツの発展に励んだ。

ハンジュークはヘルソンにおけるユーロマイダン (2013年11月に欧州連合協定調印棚上げなどに対してウクライナ・キエフ野党や市民によるウクライナ大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチへの抗議運動が行われた広場) の積極的な参加者であった。

クリミア併合とドンバス地方の戦争が始まった際は、ハンジュークは国内避難民の世話をしていた。

その後、国際連合難民高等弁務官事務所にてヘルソンの秘書官として働き、国内避難民の子供達に靴を購入する為の募金集めをした。


2016年、ハンジュークはウクライナ大統領直轄国家ガバナンス・アカデミーを卒業し、ヘルソン市議会執行委員会の運営代行に就いた。


2018年7月31日、ハンジュークは身元不明5人により、硫酸をかけられる。

ハンジュークは全身約40%の火傷 (通常、火傷は20%以上で死ぬ可能性がある) と視力の一部を失い、すぐに病院に搬送される。

病院に搬送されたハンジュークはその後、50日間に渡って実に11回に及ぶ手術が行われた。

犯人5人は逃走していたが全員が逮捕された。

逮捕されたのは、ヴィクトル・ホルブノウ、セルヒー・トルビン、ヴォロディミール・ヴァシャノヴィチ、ヴヤチェスラウ・ヴィシネウスキー、ミキータ・フラブチュークの5人であった。

5人は反テロ作戦の参加者であったが、4人は犯行を認めたが1人は否認した。


同年9月26日、ハンジュークは病院から市民テレビ局を通じて動画を放映した。

ハンジュークは

「私が今醜い姿である事は知っています。しかし、少なくとも私は治療を受けています。ウクライナの優れた医師が治療してくています。そして、私は現在、私の姿がウクライナにおける公正さと正義の姿よりもはるかにましである事も確かにわかっています

と述べ、更に

「私は過去1年の間に発生し、攻撃を受けた40人の中の1人に過ぎません。過去1年間、ウクライナで発生した市民活動家に対しての40件の攻撃事案がありました。そして、それら攻撃の首謀者の名前は1人として判明していません。攻撃された40人の内、半分は私の知り合いです。誰がこの攻撃を命じたのか。誰かが隠しているのでしょう。最も積極的に行動するものが殺され、動けないようにされている中で何故私たちがこれを我慢しなければならないのでしょうか。私は全ての犯罪者が摘発され、罰され断罪される事を信じています」

と語った。


同年11月4日、治療を続けていたハンジュークが病院で死亡する。

享年33歳。


同年11月7日、ハンジュークの告別式が行われた。



∽ 総評 ∽

暴漢5人に硫酸をかけられ、約3ヶ月後に死亡したハンジューク。

硫酸をかけられるというのは尋常でない苦痛であり、死亡するまでの3ヶ月はまさに地獄のような苦しみだったであろう。

彼女のように活発の活動家は、反対派から目の敵にされ襲われてしまう事が多い。

もちろん活動家の全てがその行動に正統性があるわけではなく、このハンジュークの活動も本人にとっては良かれと思っても100%正しいとは言えないのかもしれない。

ただ、反対行為として硫酸をかけて殺害するというのはとても許される行為ではないし、そういう仕返しを行うという事は反対派がまともでないのは一目瞭然だ。

このような犠牲者が出てしまうと、他の活動家は活動を自粛してしまい (当然だが) 、そうなると相手の思うツボになってしまう。

他人事で申し訳ないが、圧力や暴力に負けずに頑張って欲しいものである。